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【書評シリーズ】「『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』を旅する」③/渡辺祐真

文人学者・高遠弘美に導かれ、名文に出会う


はじめに

高遠弘美氏は自然と人工のあらゆる物に――眼に見える乳房や花から、眼に見えない吐息や魂に至るまで――美を発見するために生きている、現代における稀有の奇人である。

中村眞一郎「高遠弘美『乳いろの花の庭から』序」(ふらんす堂、1998年)

 戦後を代表する文芸評論家・中村眞一郎による高遠弘美氏に対する賛辞である。この度そんな美の探究者の手によって発掘された最高の秘宝が『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』である。
 本稿では、本書について、その編者である高遠氏から考えることを主眼としている。訳者としても編者としても黒子に徹される高遠氏には、いささか申し訳ないと思いながら、さりとて私には高遠氏を抜きにして本書を考えることは、小林秀雄無きランボオ、畠中尚志無きスピノザ、西村賢太無き藤澤清造に近いものを感じざるを得ない。彼ら紹介者が絶対ではないが、彼らの読みは間違いなく大きな力を持っていた。
 したがって、市河晴子という書き手を十全に味わう一つの手がかりを得るために、編者の高遠弘美氏について考えてみたいのである。(以下、敬称は適宜省略する。)

その幅広い関心


 高遠と言えば、マルセル・プルーストの翻訳を手掛けるフランス文学者として広く知られている。本書に付された編者紹介を参考に、プロフィールをまとめると以下の通りである。

1952年長野県生まれ。フランス文学者。明治大学名誉教授。著書に『プルースト研究』『物語パリの歴史』『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』。訳書にプルースト『失われた時を求めて』、ロミ『完全版 突飛なるものの歴史』など多数。編著に『矢野峰人選集 1 エッセイ・詩・訳詩』

 確かに高遠の仕事の核をなすのは、専門のプルーストを中心としたフランス文学である。だがプロフィールを見れば、義太夫節の七世竹本住大夫、詩人で英文学者の矢野峰人、そして今回の市河晴子といった、フランス文学とは離れた人物にまつわる仕事が確認される。
 なぜ高遠は専門にこだわらない幅広い仕事を手掛けるのだろうか。高遠が住大夫について綴った『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』の序文では、同書を執筆する経緯について次のように述べている。

 素人や玄人の枠を越えたところで、住大夫の藝は一人の人間を根底から揺り動かす力をもっていることをお伝えしたいという気持ちに偽りはありませんし、さらに言えば、私のような素人を魂の底から揺さぶるのは住大夫が普遍的な藝術家の域に達しているからだと思うのです。

高遠弘美『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』講談社、2013年

 冒頭に引いた中村の「美を発見するために生きている」という高遠評と、高遠が住大夫を評する「普遍的な藝術家」という言葉が共鳴する。
 つまり、高遠が専門にこだわらないのは、特定の分野や枠組みに拘泥せず、普遍的な美を愛しているからなのだ。だから、高遠に専門と非専門という区分けは無用となる。反対に言えば、美が最も鮮明に表れているプルーストを専門にしただけで、他の美を捨てたわけではないのだ。

高遠の考える「美」


 では、ここで言う「美」とはなんだろうか。
 アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』というプルーストの手引書に対する高遠の評に、そのヒントが隠されている。

現実のものに仮託してはいけない、私たちの目でプルーストを見てはいけない、そうではなく、プルーストによって開かれた感受性と知性とを使って、自分たちが生きている世界、自分たちの人生を見直しなさいと言っている。

『文学こそ最高の教養である』光文社新書、2020年

 高遠は、自らの感性を振り回すよりも、まずはプルーストを読むことによって感受性や知性を磨き上げるべし、という同書の態度を高く評価している。そして、他ならぬ高遠自身もプルーストの感性を己に染み込ませた一人である。だからこそ、小津安二郎や竹本住大夫に深く感動できたのだと高遠は続ける。

〔様々な芸術に対する感動の※引用者注〕そのすべての根源は、マルセル・プルーストに出会って『失われた時を求めて』を読み、それを繰り返してきたことにあります。七二年から数えると、四十五年ほどかけて読み続けてきたわけですが、その折々に、いろんな芸術、色んな時間の大切さを教わってきました。
プルーストは過去のことばかり書いているようですが、そうではなくて、たとえばマドレーヌの挿話に戻りますが、口に入れた瞬間に「ああ、これは」ということで無意識的な記憶が働き、昔のコンブレー全体、つまり、同じ感覚を持った昔のある時点での自分の過去と一気に結びつくわけですよね。それで、世界がもう一回自分に入ってくるということで言いますと、今、この口に入れているマドレーヌと紅茶が混ざった味について、感覚を全開にしていなければ、この繫がりが見えてこない。つまり、現在を一瞬、一瞬、大切に生きているからこそ、過去のそういった瞬間と結びつくことができるわけで、その意味で言えば、決して過去だけの人ではないんです。

同書

 高遠はプルーストを長く読み込むことを通して、芸術に対する感性も磨きあげた。それを可能たらしめたのは、プルーストという作家が、「現在を一瞬、一瞬、大切に生きて」、瞬間ごとに得られた様々な感情や出来事を、己の過去、知識、連想といったものへ架橋できたからである。
 私なりに解釈すれば、高遠が、引いてはプルーストが大切にしているのは、一瞬の輝きに秘められた天啓をしかと見定め、その意味するところを経験や知識、他の作品などによって限界まで味わい尽くすことにある。その果てにやっと感じ取れるものを「美」と呼んでいるのではないだろうか。
 例えば、『失われた時を求めて』で、川にある睡蓮に目を留めるシーン。

私は散歩のたびに、つねに同じ状態にあるその植物を見つけた。それは十年一日のごとく、突飛な習慣的行為を私たちの目の前で繰り広げる、ある種の神経症患者を思わせた。祖父に言わせれば、レオニ叔母もそうだったというのだが、彼らは前の日には、もう明日はそんなことはしないと思いながら、その日になるとやはり同じことをしてしまう。体の不調と奇癖が歯車のようにまわり続ける悪循環にはまり、そこから出ようと努力してもがいても結局は無駄に終わって、却って歯車の働きを確かなものにし、避けがたい、奇妙で不吉な食餌療法の始動装置のスイッチを入れることになるのだ。その睡蓮がまさにそうだった。睡蓮はまた、ダンテの好奇心をそそった、いつまでも永遠に繰り返される風変わりな責め苦に苛まれる、『神曲』「地獄篇」の不幸な人たちにも似ていた(略)。

プルースト、高遠弘美訳『失われた時を求めて①』光文社古典新訳文庫、2010年

 眼前の睡蓮を自らの親族になぞらえ、神経症患者の苦しみを連想し、更にはダンテ『神曲』にまで至る。この一瞬に凝縮された思考の閃きを美と呼ぶべきだろう。(このように、プルーストは、ホメロス、聖書、ラシーヌ、ミュッセ、ウェルズといった様々な作家や作品の表現をふまえることが多いが、これは後述する市河晴子の筆を思わせる。)
 以上を踏まえて、次の住大夫評を読めば、高遠にとって、プルーストと住大夫は同心円を描いていることが了解されるはずである。住大夫が義太夫の勘所について、細部の所作に工夫を凝らすことで「其場そのばの情趣と云ふものが現はれて来る」と説いたことを承けて、高遠はこう語る。

太夫の語りには、人物それぞれの人生を全体的に捉えて表現することが求められている。最近のほとんどの太夫はそれを閑却していて、人物をただその場に登場しているだけの存在としか考えていない。それぞれの人物は、その芝居の時間のなかで生きざるを得ず、生きるのも死ぬのもその芝居のうちであるのに、彼らがあたかも、いったん幕が下りれば、そそくさと実生活に戻って別の人生を生きる役者と変わらぬかのようにさらりと語るのみで、それらの人物の内奥に入ってゆくことがない。人物の内奥に入る、とここで言うのは、その人物の今までの境遇や人生、思想や感情のすべてに分け入るということである。

高遠弘美『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』講談社、2013年

「人物の内奥に入る」という言葉は、先に引いた「プルーストによって開かれた感受性と知性とを使って、自分たちが生きている世界、自分たちの人生を見直しなさい」とほぼ同義である。つまり、住太夫は演者として、登場人物たちに深く深く分け入る。そして我々は、住大夫と人物との間に起こる共振に強い感銘を受けるのである。その根底には、実に深淵な人間観が横たわっているからだ。高遠はその人間観を次のように説明する。

人として偶然この世に生を享け、平等のはずなのに人に仕え、偶然のように禍福にめぐり会い、時間に振り回され、愛し愛され、憎み憎まれ、愛欲に翻弄され、騙しだまされ、子をもうけ、親になり、家族を慈しみ、家族を捨て、若くして世を去り、歳を重ね、老衰を迎え、罪を犯し、正義を求め、理解と誤解の間を行き来し、道を踏み外し、正道をゆき、奇蹟にめぐり逢い、平々凡々たる日々を生き、怒り悲しみ、愉しみ喜ぶ。(中略)それこそが人の世の実相ではないのか。太夫はそうしたすべてを人間に対する深い愛情と透徹した眼差しで理解する必要がある。

同書

 高遠自身の言葉を借りて一言でまとめれば、住大夫にあるのは「深遠な人生観照と幅広く奥深い人間理解」となる。ここまで抽象化すれば、ここで述べられていることは、住大夫に留まらない、高遠による芸術論として読むことが可能だ。
 その証拠に、この言葉は、先のプルースト評と響き合うだけではなく、英文学者の矢野峰人を評する言葉とも同じように響き合う。

矢野峰人のエッセイの魅力は、もちろん学殖に裏打ちされた知性のきらめきがそこかしこに見られることであるが、同時に、書物への限りない愛と人間存在へのいつくしみを惜しみなく注ぎ込んだ悠揚迫らぬ語り口も他に例がないと云ひたくなるほどすばらしい。

『矢野峰人選集 1 エッセイ・詩・訳詩』国書刊行会、2007年

「すぐれた作家はただひとつの作品しか創らない」とはプルーストの言葉だが、高遠が自らの審美眼に従って読み、おこなってきた論考、翻訳、編集も、本質的には「ひとつの作品」なのである。
 そうした高遠が、晴子に惹かれるのは当然の成り行きだった。

『欧米の隅々』を求めて


 市河晴子(1896~1943)は、敢えて一言で言うなら名文家である。渋沢栄一の孫であり、英語学者・市河三喜の妻。1931年、三喜が欧米諸国の視察の旅に出ることとなり、晴子は同行した。その旅行記が『欧米の隅々』である。1933年に刊行されるとまたたく間に評判を呼び、やがて増刷を重ね、果ては英訳されるほどだったという。
 だが、晴子の死後、同書も晴子も忘れ去られ、顧みられることはほぼなくなってしまった。それから幾星霜、2006年に高遠が古書店で『欧米の隅々』を偶然に手にしたことから、運命の歯車が少しずつ動き始めることとなる。
 当時、高遠が雑誌「ふらんす」で連載していた「日佛往還記繙讀」には、突如として晴子の名前が現れ、「この出色の旅行記については一回ではとても足りないから、再度採り上げる」と述べたかと思えば、以降最終回に至るまでほぼ毎回晴子への言及が見られることからも、高遠がいかに心を動かされたか十分察することができる。
 爾来、晴子の文章や彼女に関する文章を読み漁り、その成果が今回の書籍に結実したというわけだ。(こうした経緯については、本書のまえがきや解説を参照されたい。)
 では、それだけ強い思いを注いだ晴子の文章に対する、高遠の評を見てみよう。

 初めて市河晴子の文章に触れた方は、そこに漲る生命力と理知的な眼差しや深い思索に共感を覚え、鋭い観察力、冷静公平でときとして皮肉な人間観察から生まれるユーモアに膝を打ち、「いま、ここ」の現実を感じさせる喚起力に心打たれ、たまさかにあふれる激情に息を呑み、そこかしこに滲み出る博覧強記に目を見張り、うるおいに満ちた繊細な描写や優しい情感に涙するのではないでしょうか。

『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』

 市河晴子評として実に簡潔かつ優れているのは言うまでもないが、これまで見てきた高遠の文学観を踏まえれば、「「いま、ここ」の現実を感じさせる喚起力」という表現に、高遠が晴子に惹かれた理由がよく表れている。まさにプルーストや住大夫、矢野峰人が与える感動と近しいものを晴子が持っていたのだ。
 晴子の文章の魅力を愚考するに、それは視覚と聴覚、記憶の妙なるバランスだ。作家は、視覚情報を核として文章を紡ぐことが多い。確かに視覚から得られる情報量は膨大だ。しかし、瞬間ごとに得られる情報は視覚だけではない。聴覚や触覚、嗅覚、自らの記憶など、様々である。晴子の場合、視覚に加えて、聴覚と記憶が鋭い。
 例えば、中国へ向かう海上でのこと。

昔の入唐使らもさぞ酔ったろう。時の帝が「水の上は土ゆくごと、船の上は床におるごと」と船出を祝って下さっても、事実は船の上はブランコにいるごとだから「ますらをや船酔せむとなげけども」と嘆息したに違いあるまい。

 以上のような、記憶に基づいた機知。これは先述のプルーストを思わせるだけではなく、海という広がりの中で、時空を繫げ、個人的な感情を大きな相の下に展開している。その結果、たった一瞬という時を味わい尽くすことに成功しているのだ。更に甲板で鳥の声を耳にするシーン。

頭の上で海猫というのだろう海鳥がミャウミャウと鳴く。その声を聞いていたら、突然子供たちが闇雲に恋しくなって、涙が内出血のように私の中にさっと広がった。たぶん鳥の鳴き声が、庭へ来るどら猫の声でも想わしたのだろう、理屈なんかないんだ。

 海鳥の鳴き声に敏感に反応する感性の鋭さ。そして、そこから日本に置いてきた子供たちのことを思うが、その連想について、「理屈なんかないんだ。」と強く言い切っていることから、自らの聴覚を恃みとしていることが伺える。聴覚が催した感情について、理屈や論理といった煩雑なものを介さず、ただまっすぐに聴覚の力を信じている。
 この感性は、併録された「日本の旅」にも見られる。

また人家が途切れ、川が曲り、路も曲る。岩鼻に藤の花。そうしたことの繰り返しが音楽のテーマがメロディーの中で反復されるように、わざとでないリズムを持って旅人の足を峠へ峠へと誘って行く。

帰りには大波池に数百の鴨が浮んで、銀盆の上に椎の実を撒いたように見えた。林に入ると湿った土に点々と猪の足跡が続く。小さく深く泥に印して、いかにもコトコトとtrotして行った跡らしく、あのジクジクと、むさい大きな鼻づらには似合わぬ、可愛かわいい「小」の字を二行並べていた。

 目の前の対象に対して、持てる器官を十全に活用し、そこから得られる感動を巧みに言語化する。その言語センスと審美眼は、間違いなく卓抜している。
 審美眼という点では、次の箇所も必見である。『欧米の隅々』にて、パリのエッフェル塔を訪れた箇所。
 例えば、パリのエッフェル塔の何気ない鑑賞にも光るものがある。

そろそろパリらしく、エッフェル塔が見える。この塔は実に気に入った。外形の全体としての良さばかりでなく、細部の鉄材は偉大な唐草に力とやわらぎを兼ねて、壮大な鉄骨の組合せに、シンフォニー的な味を出している。千尺の頂上から「アレアレ人が蟻のように見える」とおったまげたのはあか毛布ゲットの昔となって、スカイスクレーパーの続出と、飛行機、登山の普及とは、この塔から見世物式名声を奪ったために、真の芸術品としてのみの存在価値がふるい残された事をむしろ喜ぶ。

 エッフェル塔が、純粋な芸術品としての魅力を得たことの理由を、高所からの眺望という実用的な目的から解放された点に見る、晴子の鋭い見識が冴えわたる箇所は、何度読んでも瑞々しい。
 そういえば高遠は、映画評でしばしば用いられる「十年に一本の名作」「こんなに美しい映画はほかに知らない」といった表現を「批評言語以前の色褪せた幼稚な言説」として断罪していたが、一方で高遠の最大の賛辞は「再読に値すると言えよう」だった。(いずれも『乳いろの花の庭から』より。)
 晴子の文章は、まさに再読に値する。それは、汲んでも汲んでも汲み尽くせない対象の深い感性が、その湧き水の源になっているからだろう。

文人学者・高遠弘美


 以上見てきたように、幅広い関心を持ち、仕事を重ねてきた高遠をどう表するのが正しいのかと考えた。パッと浮かんだのが「文人学者」だ。思い浮かべば、文人学者という言葉がこれほど似つかわしい人物もそういるまい。
 かつては学者の中にも、自らの専門分野に拘泥することなく、その関心と情熱に突き動かされ、ディレッタントとして様々な活動を行う人も少なくなかった。例えば、ドイツ文学者の富士川英郎について、息子であり英文学者の富士川義之は「文人学者」と称して、次のように述べる。

富士川英郎は、専門知を追いかけることのみに関わりがちな現代にはめったに見られぬ、自由闊達で、おおらかで、いかにもゆとりのある文学研究を、その長い生涯を通じてまことに見事に実践してみせている。

富士川義之『ある文人学者の肖像』新書館、2014年

 ドイツ文学者としてリルケやホフマンスタールを訳しながら、森鷗外に傾倒し、江戸漢詩をこよなく愛した富士川英郎は、まさに文人学者と呼ぶに相応しい。
 であるならば、プルーストを専門としながら、義太夫に人生を聴き取り、英文学者のエッセイに「書物への限りない愛と人間存在へのいつくしみ」を読み、忘れられていた紀行文作家を蘇らせた、「美を発見するために生きている、現代における稀有の奇人」のことを、文人学者と呼ばずなんと呼ぼう。
『欧米の隅々』は、何を措いても市河晴子の作品だが、今日我々が読めるようになったのは、一人の文人学者の確かな審美眼と熱情によるものだ。心から敬意と謝意を表したい。

渡辺祐真|わたなべ すけざね
1992年生まれ。東京都出身。東京のゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、2021年から文筆家、書評家、書評系YouTuberとして活動。
毎日新聞文芸時評担当(2022年4月~)。TBSラジオ「こねくと」レギュラー(2023年4月~)。著書に『物語のカギ』(笠間書院)。


高遠弘美さん、渡辺祐真さんによる対談動画はこちら

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