一区切りを迎えた時の涙の意味~次のステップへ覚悟ある選択ができるように~

毎年この時期になると、小学生は最後の公式戦を迎える。

小学生から中学生に上がるのは一つの区切り。

この区切りでサッカーから離れる子もいれば、クラブから部活、部活からクラブへチャレンジの場を移す子

他競技で新たなチャレンジをする子など進路がバラバラになる。

今まで、ルーティンのように過ごした毎日から一区切り。

もう一度自分自身を見つめ直す時間的・精神的な猶予の時間が子ども達には必要だ。

昨日、我がクラブの子も公式戦としての最後を迎えた子達がいた。

試合が終わった瞬間に泣き崩れる子。呆然としている子。

それぞれの想いがひしひしと伝わってくる。

最後の挨拶で応援してくれた保護者の方への挨拶では、保護者の方も涙している姿が見えた。

それは、ただこの大会が終わったからという事ではなく、

今まで一生懸命子どもの事をサポートしてきて、一区切りを迎えた子達に対しての

頑張ったね。やりきったね。お疲れ様。

という意味の涙だったと思う。

もちろん、子ども達もその涙の意味を分かってるはずだし、心から感謝の気持ちを持っているはずで、

その光景が余計に一区切りの時間を際立たせる。

たった何年かの小学校年代でのサッカーとの関わりだったんだろうが、

おそらく子ども達は、この一区切りまでたくさんの事をサッカーを通して学んでくれたと思う。

なので、これから先の進路を決定する際は、サッカーを続ける事以外にも、別の選択肢があっていいように思う。

サッカー指導者として、全ての子がサッカーを続けて欲しいというのは願いだが、

当たり前のように流れに任せてサッカーを続ける選択があるとしたら、

その選択の前に、猶予を設けてじっくり自分自身に向き合う事をさせてあげたい。

その中で、たとえサッカーを離れる選択になったとしても、その子は別のステージできっと輝く事ができる。

区切りで見つめる事なく、流れに任せてサッカーに依存していくよりは、よっぽど素晴らしい事だ。

サッカーをやるにしても別の道に進むにしても、絶対一人の力だけじゃ進んでいけない。

家族のサポートがあったり、周りの人の支えの中でこれからも成長していく。

それなのに、覚悟や決意がなく、自分の人生をデザインするようではいけない。

逆に言うと、親や指導者が子ども達の人生をデザインしてはいけないと思う。

もちろん、その子に確固たる意思があり、こちらができる手助けは全力でしてあげないといけないと思ってるが。。。

依存される手助けだったら、その子達のためにもしない方がいいと思う。

一区切りを迎えた時の涙の意味を感じていると、ありきたりだが、

この涙をどう次に繋げないといけないか考える必要があると感じた。

また、涙の意味が、やりきった、頑張ったという事なら、

さらにステップアップするために、もう一度過ごした時間を振り返って次に進むべきと感じた。

これからの子ども達の人生がさらに輝かしいものになるように、

残り数ヵ月の小学校生活を猶予と思って自分自身としっかり向き合って欲しい。

大人である僕らは、選択肢はたくさんあるんだよという事を教え、

次のステップへ覚悟を持てる子ども達にしてあげないといけない。

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