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所属教会へ自分の意見を発表する

先日、7月16日(日)、わたしの所属する教会(シオンの群教会)において、「精神障がい者と教会」をテーマとした勉強会が、講師に勝本正實先生を招いて、教会の会堂にて、約2時間、行われました。

これにて、わたしの所属する教会に「精神障がい者」のための「居場所」である「集い」を作る、その素地が、だいぶ固まってきたような気がしています。

わたしは、この機を捉えて、自分の所属する教会の主任牧師、教会主事、協会役員へ向けて、自分の持っている「ビジョン(明確な目標)」を共有すべく、資料を作成致しました。

今回は、その「全文」を、以下に、引用させて頂きます。

わたしは、自分が「障がい者」(精神障がい者)であることを「賜物」だと、今では、そう感じております。これは、神さまが下さった「ギフト」なのだと…でも、そう心の底から感じるようになったのは、人の性(さが)として、悩み、苦しみ、そこを通り抜けた後でのことでした。これから、わたしが綴ろうとしている拙文が、どういった読者を得て、どのように読まれるのかは分かりませんが、ただ、自分が体験した出来事…それを体験作文として、書き記してみたいとおもいます。どなたかの「心の糧」となれば幸いです。
 わたしは35歳にて、肝炎の急性増悪を疑われて入院した過去があります。その時が、人生における転換点でした。入院した先の病院で主治医から『最悪の場合も覚悟して下さい』と告知され、今まで実人生で培ってきたものが、これから黄泉路を越えてしまえば、何の役にも立たないと、強く思い知らされました。それまで仕事に打ち込んできた人生…人並みの収入を得て何不自由のない生活を暮らし、自分の人生に、好き勝手に生きてきたこと以外に、大きな間違いはないと、そう思い続けていた…それが間違いであったと、自らの死を突き付けられたときに悟ったのでした。
 富も、地位も、名誉も、彼岸を越えてしまえば、何の意味もないことに、その「当たり前」のことに、死らしきものを宣告され、はじめて気が付いたのでした。わたしが、それまで人生で築いてきたものは、この地上では意味はあっても、彼岸を越えれば意味はないのだと、そう切実に自分の人生を嚙みしめたときに、わたしの手の中には、何も残っていないと、そのとき、気が付いてしまったのです。今まで過ごしてきた人生を後悔し、枕を涙で濡らしました。わたしは、やっと、死の床にあって「無一物」という、人生の「当たり前」を目の当たりにして驚愕している、まるで幼子のようでした。
 『もう一度、人生が欲しい』と、そう心の底から願いました。そして、もし、自分の患った病が、偶然にも、大病とならずに、平癒した暁には、次の2つを、新たな人生にて果たそうと、そう心に誓いました。ひとつは、生まれ変わった「証し」として、キリスト者(クリスチャン)として洗礼を受けること。そして、病院で授かった回心であるが故に、もしも将来があるのならば、病者に仕える信仰生活を送ること…この2つでした。
この2つを果たすために、わたしは自分の人生を、残りの人生を使おうと、そう心に決めた瞬間でした。これは、わたしの「生まれ変わり」となりました。今から振り返れば、新たな人生の始まり…となりました。
 結果として、肝炎の急性増悪は、未然に終わりました。しかし、病は、これで終わりではありませんでした。わたしは、クリスチャンになるべく、教会の主催するキリスト教の入門講座に通い始めた矢先、喘息を発症しました。この病を契機に会社も辞めることになり、病身を引きずりながらも教会に通い続けて、足掛け3年の歳月を費やしてキリスト教入門講座を修了、無事に、洗礼を受けることができた頃には、40歳の春を迎えていました。
 クリスチャンとして、洗礼を受けるまでに、最初の決心から、5年の歳月を、病のために費やしてしまいました。わたしは、クリスチャンになったらば、病者に仕えるという目的を持っていた自分でしたが、喘息となってカラダの健康を失ってしまった今、自分に何ができるのだろう…と思い悩んでいた頃、さらなる病が、わたしに追い打ちを掛けました。末期がんであった父の介護疲れから、父の他界後、心労から、わたしは精神疾患となりました。はじめは「うつ病」の診断でしたが、それが「双極症(双極性障害のこと、昔は「躁うつ病」と呼ばれていた)という病名に変わるまでには、半年ほどの時間が流れていました。
 35歳のころ、わたしは大病を「きっかけ」をして、クリスチャンになって、病者に仕える人生を、新たな「拠り所」として人生の再スタートを切ろうとしたにもかかわらず、それを阻止するかのように、喘息、双極症という精神疾患と、病が、次から次へと襲い掛かってきました。病者のために尽くすどころか、自分が、病者その人になっていまっていたのでした。『こんなわたしに、なにができるというのか?』わたしは、もがき苦しみながら、わずかに差し込む、一筋の光を探し求めていました。
 わたしが、聖書にある『ヨブ記』という文章に、目を留めたとき、そこに一筋の光がありました。それは決して、自分の得た病が平癒することを意味はしていませんでしたが、病のなかにあっても、精一杯に生きようとする、主人公の言葉がありました。

ヨブ記1章21節
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 

 思えば、わたしは、まだ記憶のない頃、産湯に浸かったとき、無一物でした。この地上にあって、持ち合わせていた力と云えば、泣き叫んで庇護を頼むこと、小さな手のひらで懸命に何かを握りしめようとすること…それだけが、全てでした。わたしは、死の床には、そこに帰ることになる。天賦の才、地上で与えられた境遇が如何なるものであったとしても、それは、誰しも、変わることがない。「主は与え、主は奪う」のです…その主の御名を「ほめたたえられる」ようになれる自分があったらば、わたしの信仰は「本物」であるだろう…そう肝に銘じたのでした。
 わたしに与えられた「病」とは、わたしという人生の境遇に与えられた、可能性を秘めた「恵み」なのだ…きっと、そうに違いない。人生の終わりまでに、この私にも、地上に残せる「何か」があるだろう。それを探そうではないか。それを生きようではないか…それを思い始めた矢先、わたしは、喘息、双極症に続く、第三の病である「緑内障」を患っていることに、眼鏡を作り変える際の眼科検診にて、はじめて気が付かされたのでした。      
 この眼病は、すでに失った視力は、現代の医学をもっても、取り戻せません。わたしは、眼鏡を掛けた「強制視力」にて、すでに自動車の運転免許を更新できないほど、症状が進んでしまっていました。『そうか…神さまは、わたしの視力までも奪おうとするのか…何を為すにせよ、時は限られている…急がねばならないに違いない』と、わたしは、より一層、死ぬまでの間に、この地上に残すことができる「何か」を心に求めました。わたしは病を得て、何が、できるのだろう...。神さまは、わたしに、何をすることを望んでおられるのだろう...。「病のある人のために尽くす」と、そう神さまと交わした約束を、病人のわたしが、どのように実現していったら、いいのだろう...。
 自分の病は「双極症」という「精神障がい」なのだから、同じ仲間たちである「精神障がい」の当事者たちの、たとえ、それが、どんな小さな「幸せ」でも構わない…そのために全力を尽くそうではないか…そう頭に浮かぶまで、それほどの時間は要しませんでした。「障がい者」の当事者である自分が、同じ「障がい」を抱える人々のために…何ができるのか?それを私は自問するようになりました。
 最初は「精神障がい」を、より多くの方々に知ってもらうことが大切だと思い、自分の「障がい」、「双極症」(※双極性障害のこと)の世界的記念日である3月30日「世界双極性障害デー」を、新聞社や雑誌など…マスコミに告知して「双極性障害」という「精神障がい」のあることだけでも、広く世間に知って欲しいと、クラウドファンディングを実施、ここに有志の方から寄付金が集まり、その原資を用いて、マスコミ各社(150部署)に、郵送にて「世界双極性障害デー」を知ってほしい旨、「障がい者」に目を向けて欲しい旨を、手書きで文章を綴り、これを訴求しました。お蔭様で、この年のTwitter(SNS)における、3月30日の「トレンドワード」に「世界双極性障害デー」が選ばれることになりました。
 世間における認知度が上がってきた…次の段階では、自分の身近にある「障がい者」の問題に取り組みたいと思いました。改めて、次年度もクラウドファンディングを実施、今度は、自分の所属する共同体(コミュニティ)である、教会と…強いて云えば、キリスト教と、何らかの関わりがある「障がい者」の方々が、安心して集える「居場所」作りのために、まずは、自分の所属する教会から、自分の「障がい」である「双極症」への理解を求めるべく、この「障がい」に関する紙資料を印刷、これを教会報などの定期連絡の郵送物といっしょに、全教会員に届けてもらうことを致しました。これを実施しましたのが、2,023年4月の出来事になります。
 そのあと、わたしには好機なことに、教会が、役員会の決定として「精神障がい」の問題に明るい、理解度の高い人物を招聘して「勉強会」を開いて下さることになりました。その人物、白羽の矢は、勝本勝實(かつもとまさみ)氏という、「精神障がい者」の方々と関わって、この道30年、社会保険福祉士と精神保健福祉士の有資格者であり、元牧師であった人物に行きつきました。その勉強会が、教会の会堂にて、約2時間ほど設けられたのが、つい最近の、去る7月16日(日)の出来事でした。講師である勝本先生は、小さくてもよいので「障がい者」が定期的に「集える」場の必要性を訴えていらっしゃいました。
 さて、これからは、未来の話です。わたしが実現したい夢の話です。自分の所属する教会にて、「精神障がい者」の集える「居場所」を、具体化しようと思っております。まずは、健常者の方々による協力者が必要です。傾聴訓練を受けた方であったり、もし可能であれば精神保健福祉士(PSW)の有資格者による、アドバイザー的な存在の方も欲しいところです。当事者のスタッフ(ピア・スタッフ)だけでは、どうしても補えないところが「障がい者」である私たちには、ございます。やはり、「精神障がい者」の「集い」、その核になって頂くには、健常者の方々による協力が不可欠なのです。
 あとは、「集い」が「居場所」となるためには、実際に場所が必要です。これを、もし教会にて行う…というのであれば、分科会として、ひとつの教会活動として、役員会の了承が必要になるかと思います。教会とは、多様性のある方々による具体的な「共同体」であり、その「意思決定」には、それ相応のプロセスが必要になります。役員会の了承を得るには、その「分科会」が、責任分担と申しましょうか…所属する健常者の人物名、役割などの明記も必要かもしれません。その「居場所」の末席にて、「集い」の参加者となるのが、発起人である、この私である…というのが、今回のプランです。有志による、教会における奉仕活動としての、多くの方々によるご協力と、ご賛同が不可欠となって参ります。
 もしも、わたしの所属する教会で、役員会の了承も得て、「障がい者」のための「集い」が始まれば、それを成功事例、モデルケースとして、他の教派、教団の教会へ…たしかに、教会という共同体には、少なからず「精神障がい」の方々があり、その方々には、安心して集うことのできる「居場所」が、教会内の活動として必要である…という事実を、伝えてゆくことを、わたしは、やりたいと思っています。「障がい者」のための「居場所」を、ひとつでも多くの教会で、実現してゆくために...。まだ見ぬ、「精神障がい」を与えられた「同胞」に向けて、わたしのできる精一杯のことは、これなのかな…これが私が、かつて神さまと「約束」したこと…「病者に尽くす」ことなのかな…と、今では、少しづつ、そのように思えてきております。
 最後に、自分の教会における「精神障がい者」のための「集い」を、モデルケースとして、それを他の教派、教団に伝えるべく、その伝達手段としての郵送費用を捻出すべく、今年3月30日から、2ヵ月間かけてクラウドファンディングを実施、5月中旬には、無事に目標金額を達成し、活動すべき原資は、既にして確保済みです。まずは、自分の所属する教会にて、ぜひとも「精神障がい者」ための「居場所」である「集い」を実現すること…ここに全てが、かかっています。もしかすると、前途は多難なのかもしれません。すべては「神のみぞ知る」です。ただ御心だけが行われますように、主なる神に委ねたいと思います。

以上になります。

教会関係者向けの文章であるため、少し、キリスト教から縁遠い方々からすると「説教臭い」、その腐臭がするやもしれませんが、そこは今回は、ご容赦頂きまして、ご一読のほどを頂けましたらば幸いです。

さて、今年の3月30日に「クラウドファンディング」にてプロジェクトを呼び掛けました際には、次の順序になっておりました...。

  1. 自分の所属する教会に向けて、自身の「精神障がい」を理解してもらうために、資料を作成、これを配布する。(50部)

  2. 自分の所属する教会が加盟している組合に所属している諸教派、諸教団へ向けて、自身の「精神障がい」を知ってもらうために(※認知度向上を目的として)、資料を作成、これを配布する。(150部)

  3. 実際に「精神障がい者」の「居場所」としての「集い(自助グループ)」を作る

これが、7月現在、より具体化し、目的が、より明確になって参りました。

  1. 自分の所属する教会に向けて、自身の「精神障がい」を理解してもらうために、資料を作成、これを配布する。
    ⇒4月度に完了

  2. 自分の所属する教会内において、「精神障がい者」の「居場所」としての「集い」を実現化させてゆく。
    ⇒年内を目途に完了予定

  3. 自分の教会において実現化された「精神障がい者」の「居場所」としての「集い」を、成功事例として、各教派、各教団に、その情報を共有すべく、郵送などを通じて、情報拡散を行う。
    ⇒来年からを目途に実現予定、年度内(3月末)までには終了

上記、3.にて、皆さまから、ご寄付を頂いた金額は、その大部分が、郵送費であったり、コピー代であったり、封筒などの雑費であったり…に充当されると思われます。その点を、ご了解頂けましたらば幸いです。

今月度より、7月16日に勉強会にて講師を務めて下さった勝本氏、あとは、当プロジェクトを煮詰めてゆく段階にて、諸連絡に郵送が必要となった場合などは、既に、クラウドファンディングにて頂戴した寄付金より、充当させて頂いております…その点は、事後報告となりますが、合わせて、ご理解の程、宜しくお願い致しますm(__)m

以上、長文となりましたが、経過報告となります。

今後とも、宜しくお願い申し上げますm(__)m

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