映画『首』がすごすぎた
先日、北野武監督、主演作品の『首』を映画館に観に行ってきました。終始怒涛の展開で期待を裏切らない作品だったと思います。これまで観てきたどの作品にも似ていない、まさに「天才のつくった映画だなあ」と圧倒されました。
以下は『首』を観た感想と個人的に重要だと思った論点を登場人物ごとに書いていきます。多分にネタバレが含まれるので、今後観る予定のある方やまだご覧になっていないは、お読みにならないでください!
1. 好きな子にイジワルしちゃうタイプの信長
尾張弁でまくしたて容赦無く暴力を振るう信長はどうみても「狂っている」。冒頭のシーンで、村重に刀で突き刺した餅を咥えさせ刀を「ウヒャヒャ」と回す姿は恐ろしいにも程がある
。そして衆目の中、血だらけになった村重の口に「おみゃーっちゅう奴はどんだけ可愛い男かァ」と接吻をする。
信長は自分のために血を流す男に恍惚するタイプの正真正銘のサディストなのだ。
光秀には、村重を庇った際「お前らデキてるだろ!(意訳」)」とからかったり、蘭丸とのまぐあいを見せつけるなど、セクハラを行う。何を隠そう、信長は光秀に惚れているのだ。しかも厄介なのがそれが純愛であるというところだ。
忠義者の光秀は信長の命令なら同衾するだろう。にもかかわらずそれを命じないのは、彼が両思いを望んでいるからだと思う。
信長は家康暗殺という光秀との物騒な「共同作業」にこの上なくワクワクしている。光秀の「お慕いしておりました!」の一言でスッと鉾を収め、急に嬉しそうになるのは、両思いにこだわっているからだ。
思えば信長が拳を上げる家臣は、光秀と村重だけである(パワハラこそするが)。彼は恋愛対象のみに暴力を振るう。光秀に異常に厳しいのは、村重への嫉妬と「好きな子に振り向いてほしい」という純愛からだ。
ただ書状では信長も光秀を殺すと言っているので、他の男のところに行ってほしくないだけなのだろう。
謎が残るのは、信長が村重に向ける感情だ。生捕りを望んでいる様子から恋敵を捕まえて何かをしようとしているのは確かなのだが…。
2.一番狂っているのは光秀?
では、なぜこんな暴君信長に光秀はついていったのか。「酷い目に遭わされても次の天下を考えて我慢しているんだ」や「これまでの私は殴られ損だ!」と言ってはいる。
たしかに相当鬱憤が溜まっているようで、捕えた者を信長に見立てて殺したりしている。だが同じシーンで「蘭丸〜!!」と言ってモブを斬っているのだ。ここで実は光秀も信長のことが好きだったのではないかという疑いが出てくる。
弥助には投げ飛ばされてるが蘭丸には何も嫌なことをされていないはずである。光秀は光秀で信長のオキニの蘭丸に嫉妬してるのではあるまいか。
光秀は信長・村重だけでなく家臣の斎藤利三にまで慕われている、作中屈指のモテ男である。ただ村重とはビジネスライクな関係じゃなかったと思いたい。村重を箱に入れて捨てるのは、危険な賭けから逃すためではなかろうか。
光秀は慇懃で秀吉にも紳士的だが、茂助の村を襲撃したり寺島進の隠れ里を根絶やしにするなど残虐さに余念がない。「いい人だけど狂っている」のが光秀の存在感を倍増させている。
3.難波茂助という人物
茂助は為やんを裏切ったり、出世の邪魔になる家族が殺されて「せいせい」したというなど異常な上昇志向に取り憑かれている。だが途中で策略から抜ける曽呂利に対して情を見せたり、家族が殺されたと知って咽び泣いたり人間らしいところもある。また為やんのことはあっさり殺したが終始それを悔やんでいるようである。
百姓の茂助は光秀や官兵衛同様、「首を挙げる」ことにこだわるが、武士のそれとは別である。光秀は彼の首への執着を、異質なものながら自分に重ね殊勝に思い茂助に首を授けたのだろう。
光秀の首をとり歓喜するが、彼もまた落武者狩りの集団に殺される。彼が最後に見た顔は為やんだった。クズになりきれない彼自身の情が茂助を殺した。
3.アウトサイダーたち
作品を通して、武士の世界を貫くゲームルール(衆道、首、etc…)とそこから距離を置く者との対比が描かれる。侍の嗜みである衆道から距離を置くヘテロの秀吉や家康(女性との絡みしか描かれていない)はドロドロの恋愛に巻き込まれずに勝ち残る。そして結局は信長も「見掛け倒しのかぶきもの」にすぎず、光秀よりも、女性との間に授かった息子がかわいいのである。
切腹をすすめるという価値観の押し付けを行った結果、信長は憤怒した弥助にあっけなく殺される。別の場面で曽呂利新左衛門は黒田官兵衛の行う和睦交渉を見て「みんなアホか」と冷めた目でツッコミを入れている。
百姓出身の秀吉も首そのものに執着を見せず、「生きているか死んでいるかわかれば十分」という立場だ。
ゲームのルールにこだわらない者が生き残り、遵守する者たちは滅ぼされていくという構図は『アウトレイジ』で見覚えがある。加藤、石原、片岡などセコイやつらが生き残り、古い型に染まった大友は転落する。
この『首』では史実はもはや素材でしかない。「時代考証ガー」などというのは野暮以外の何者でもない。秀吉の御伽衆となるはずの曽呂利新左衛門が大竹まことに殺されるとは誰も予想しなかっただろう。
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