いつだって目標は一つ
あけましておめでとうございます。三ヶ日も過ぎ、今日から仕事始めの方もいらっしゃるかな?
私はもう少しゆっくりして、6日が仕事始めです^^
新年に際して、今年の目標とか今年目指すものとか、考えるかと思います。とても大事なことかもしれません。
が、我が家の犬を見ていると、12月31日も1月1日も同じです。
当たり前か^^
当たり前・・・昨日と今日で年が変わるとか、心が変わるとか、ない。
こう言うことに「意味」を持たせるのが、人間の役目だな。と思ったりします。
植物の生き方
サロンの入り口付近に小さな「庭」があります。春になればミモザがたわわに成り、ジャスミンが咲き、ラベンダーが咲きます。
夏になれば、紫陽花が咲き、ヤマボウシが花をつけます。秋になれば、いつの間にか曼珠沙華が咲き、ヤマボウシやドウダンツツジの葉が色を変え始め、冬には赤く色づきます。クリスマスローズは一年中花をつけているし、パンジーも気がついたら花が咲いています。
つまり、1年を通してそれぞれの植物が、自分の時間割で生きています。
それは何のためかと言えば、子孫を残すため。種を残すため。
そして色をつけたり香りを出すのは、植物が自分たちではできないことを誰かに手伝ってもらうため。
昆虫を集め、動物を集め、人を集め、受粉を手伝ったり、生息域を変えたり、土壌を変えたり・・・
合わなければ死ぬ
この庭には、私たちが植えたものもあれば、いつの間にか生まれている植物もあります。いつの間にか生まれているものたちは、鳥や昆虫が運んできたに違いありません。
そして、この環境が合っていたから育っています。
しかし一方で、私が何度植えても定着しないものもあります。
それはこの環境が合わないのです。この環境が合わない植物は、当然ですが死にます。
なぜだろう?と思うんです。
いろんな環境に適応できた方が良いのに、自分の環境が合わないと判断すると死ぬのはななぜだろう?と。
それはきっと、種を残すに相応しい環境ではないから、敢えて「残さない」と判断するのではないか?と思っています。(勝手な想像だけど)
動物なら、自分に適合した環境を選ぶことができますが、植物は選ばれた場所に適合できるか否かです。この選択はシビアになります。
住めば都という発想
それに比べて私たちはどうだろう?どの動物に比べても環境適応能力を高くできています。
どのような環境にも「住めば都」と言って、適合どころか「快適」に設定することができる。
そう考えると、人間という生き物は、植物も選ぶことができず、動物も選ばないような環境でも生き残ることができる。
そんなサバイバル能力を身につけているのかもしれません。
だから人間は自然界のヒエラルキーの頂点なのか?というと、そうではなくて、私たちがこの自然界に配置されている意味というのは、もっとサーバントリーダーシップのようなものなのではないか?と思ったりします。
人間の役目
どこにでも適応できる人間は、全ての動植物の環境を保護し、維持するために配置されたのではないか?
自然を守る
という言葉は、森の木々を大事にするとか、川を氾濫させないとか、汚染しないとか、そういうことではなくて、動物が生きやすく、植物が生きやすく考え配置し、人間がそれを監視し、時に手を入れること。
それができる自然界の存在は、人間だけだから。
神様という存在があるかどうかという議論は、一旦置いておいて。
地球を創造した時に、地球の空気、水質、土壌を守るために植物を作り、陸と海の活動に常に変化と進化をもたらすために動物を作り、それを監視し、保護する「世話係」として人間を作ったのではないか?と、空想します。
私たちはお世話係だったはず。いつから支配者のように振る舞うようになった?
サロンの小さな庭ですら支配できない。
せいぜいお世話をするくらいしかできません。
それでもいつの間にか生まれている命、失われている命があり、それを見届け、環境を変え、それぞれ(私を含め)が心地よく生きられるようにするくらいしかできません。
受け入れる
心地よく生きられるように環境を整備し、土壌を変えたとしても、雨が全然降らない、太陽が全然出てこない、毎日気温が低い、のような宇宙的要因によって全然実らない努力もあります。
そんな時に、ビニールハウスやストーブなどの努力や工夫をするのが人間の知恵ではあるけど、限界があります。
どこかで「受け入れる」ということも大事。
動物や植物を見ていると、早々に「受け入れる」ということを選びます。それは、耐性の問題でもあるけど、人間にも受け入れることが必要な時もある。
不可抗力を受け入れることは、これまでの努力や工夫が無駄になるのかというと、そんなことはなくて、一つ一つが学びになっています。そしてそれが次に生きる時の糧となり、心構えや覚悟につながります。
生きる意味
ダラダラと何を書きたいのかというと、つまり・・・
生きる意味を求めることは無意味だということ。
え?いつも生きてきた意味、使命があるはず、って言ってるじゃん!!
って、声が聞こえてきますが、実はこの答えは誰もが同じで
生きてきた意味は「幸せになること」
使命は「幸せにすること」です。
しかし、幸せになることの意味を求めてはいけない。ってことなんです。
みんな、もう気づいているはずなんです。
「幸せになりたい」と思って生きていることを。
それなのに、そこに意味を探そうとする。
なぜ幸せになりたいのか?幸せになると何が良いのか?
そんなもんは無い。
”幸せは幸せなんだ。”
無意味に意味を探し過ぎたり、意味を求めたりすると疲れます。
今年の目標だって簡単です。
「幸せになる」です^^
そして幸せとは
命を輝かせること
これに尽きると思っています。
この言葉に何を感じるか?何を受け取るか?
それがあなたの幸せです。
2023年もよろしくお願いいたします。
藤原綾子
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