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小説を出版するまでに何回書き直すのか

さてnoteを当分毎日投稿してみようと思いついてからなんとか三日坊主を逃れられた4日目です。
物事は3日以上、3ヶ月以上、3年以上続けるのに波があると言いますが(まあ3の倍数だと思うのできっと半年とかもあると思うのですが)なんとか続けられています。これとは別に毎日の仕事とさらに小説も直しているわけですから(ここが進まないと全く意味をなさないので)もうてんてこまいといえばてんてこまいです。
さらにそのために色々ノートに自分が思うこと考えることを別途書いているっていう・・

(ノートも3冊目になりました。写真の様に相変わらずムーミンです。もう終わりにしたいな・・ノート・・新しいけど(爆)

スキをくださった皆様ありがとうございます。

めっちゃ励みになってます!!


でもまあ、子供が生まれた時に比べれば時間もあって、時間の使い方も上手くなっているのでなんとかなるかなあと思っています。
その、小説の直しですが一体書籍を出すまでにどれくらい直すのかという話を今日はしてみたいと思います。


現在の直しの回数

そもそも先日終了した講座は6回あり、初回には企画書の書き方を学び2回目に向けての宿題は企画書を書くことでした。

で2回目にここが提出した企画書についてのフィードバックとラストシーンについての学びがあり2回目の時の宿題はラストシーンを書くということだったわけです。それ以降は最初のシーンを書く、全体をかくと単純に提出だけで考えて1回目を除き5回ありました。
で、それ以外に何回あったかをみてみると21回wordの保存があるので少なくとも21回。
これは佐渡島さんができるだけ多くの人に見てもらったほうがいいというアドバイスを講座内でしてくださってたので私が講座の提出前に1回または2回は色々なプラットホームで意見を聞いて直すという作業が含まれていたことがあります。

でもそれ以外で毎日読んで毎日直して行っているのでこの倍は少なくとも直していることになります。

佐渡島さんもおっしゃっていましたがプロの作家さんも何度でも直すわけで、新人の人がもったいないと思うのは直す前の段階でやっぱり自分のものなんてと諦めてしまうこと、そんな

最初からいいもの書けるわけない

この辺は自分の肝に銘じてとにかく出してはなおす、直すということを気にせずに行おうとしてきました。


何を基本に直しているのか

とはいえど、講師陣に「人に見せてその反応を見て直すのがいい」と言われたから出してみていただけで最初は私も一体何をどうやって直せいいのか、人に出してそれをどう抽出するのかがよくわかっていませんでした。

これは講座に参加していたメンバー内でも少し話題になっていたことがありましたが、感想を言う側も講座内の人は気をつけているので批評にならない様にするのが非常に難しかったです。

で今、ようやくわかってきたのは、自分の伝えたいことが伝わっているのかというチェックをしてそこを直すべきなんだなと思っています。(思えばそういうことを講座内でも言われていましたが色々教わっていて後々になってきちんとああ言われていたなと落ちてくる感じになっています。)

面白かった面白くないは一定のレベルのものがあるにしても興味があることだったり文体だったりその辺で当然感想は分かれてきますし、相手は編集者でもないのでなかなか的を得てない批評もあったりするわけです。
そこに振り回され始めると人によって真逆だったりもするので結構右往左往する感じになったりします。
でも自分が意図しているテーマだったり内容だったりが伝わっているかどうかはとりあえず重要だなと思う様になりました。

思うほど自分の書いている意図、内容というのは人に伝わらない

自分の頭の中ではつながっているのだけれどどうもそういうものだよねとはならないのですよね。
これは「自分の頭の中で」であって言語化がきちんとできてないからだと思います。最後の講座のお話を書きましたが

“でもその直しが全く無駄だったわけではなく、(と思いたいというのも自分の中でありますが。苦笑)監督がその直しがどうしてまずいのかを考えてくださったおかげで、それを聞いていた佐渡島さんも理解ができてどういう主人公が何をしてどうなっていくのかをきちんとまとめてもらうという(おい!自分!)ミラクル具合笑。 多分ここまで聞けば良くなった状態で作品を世に出せるだろう、出せないといけないなとは思わせてもらえて、本当に感謝でいっぱいです。”

自分が考えていることさえ、結構きちんと文章に、言葉にするって難しいんですよね。悲しいかな。
自分なのにね。
お二人とも相当色々読んでいてしかも、理解しようとして読んでくれていて伝わりきれてないというのはよほどだなと思うわけです。

で、気がついたのは伝わってないところを

どう書けば伝わるのか、

足りないのか、はたまた

多いせいでわからなくなっているのか

この辺を意識して直す様にはなってきました。直すと言ってもその辺がわかってきたのも最後の方でそれまではとにかく文章が一度最後まできちんと通るということがどうしても中心であったし、どこをピックして直すべきなのかがわかっていなかったのでこの辺は回数をこなしてきたからこそなんとなくわかってきたかなと思います。


何度も直している中で問題になってくること

これは一度物語をかいて直そうとしてみたことがあればわかると思うのですが、結構俯瞰して読めなくなってきます。
てにおはや誤字はともかく内容が伝わっているのかなどは全くわからなくなる感じ。
読んでいても元々何度も書き直しているので斜め読みみたいになっていくんですよね・・。一生懸命読んでいるつもりでもそんな感じ。


プロの作家の方と触れ合える機会があったら聞いてみたいとは思うのですが、これらを払拭するために私が今試しているのは以下のことです。

1:縦書きを横書きにして文字のフォントを変えて読んでみる

(これは大友監督がお勧めしていた方法です)
こうすることで少しでも自分のものではないものとして読めます。


2:1週間くらい開ける

これは提出の流れから掴んだテンポの様なものですが、提出をするとそこから講座までは1週間あった関係でここはもう意識して一切手をつけない時間としていました。

3:とりあえず進める

これも2を応用するためなのですが同じところを直しているともっとその箇所は読み込んだ箇所になっていくので俯瞰して読めなくなっていきます。なので自分が行っているのは何度も同じ箇所を直すのではなく先に進めながら直す。
次の日ももう一度読んでみて直して進める


以前この記事でも書きましたが



(どうでもいいけれど誰か教えてくださいなんで時折noteはリンクだけになるんだろう・・)

“私の場合は一度どこまで描くと決めて描く。次にそれを手にする時は頭からそれを読んでいって直しながら進み、またどこまでと決めたところまで描く。”


という様な流れで書き直すのは今の私にとっては一定のリズムで大切になってきています。


小説と一緒に直しているもの


前回の記事でも書こうと思っているという風に書きましたが、私は実は企画書も小説と一緒に書き直しています。というのは私は性格的なものもありますがロジックに沿って書いているのが安心するし楽なのです。
そもそもそのロジックを講座で学んだと私は思っています。
今世の中に溢れかえっている物語には多くのロジックがありその研究も進んでいます。確かに面白いと思う映画や本は読んでみて紐解いていくとその研究結果に当てはまらないものはありません。
それは作者が意図しているかどうかは別として人が面白いと思うものにはやはり一定の流れだったりロジックがある体と思います。

そもそもアートであれば振り切って考えるならば人に見てもらわなくてもいいのかもしれませんが、私は物語を書いていてもアートをしているわけではないと思っています。

前々回


にも書きましたがなんらか人にとってヒントになるだろうと思う書きたいことがあるから今この作品を書いているわけでそこまでに人に伝える能力をスキルアップしていく必要があるわけです。
そうなってくると結局のところロジックの元=企画書も大切となってくるわけです。

まあ頭のいい人は企画書なぞなくても頭の中で描けるのでしょうが私はここを時折小説を直すことで整理することをしています。


いやあ・・物語を書いていてわかったんですけど本当小説を書くことを生業にしている人っていうのは天才だと思います。

大変ですよ。この作業。

今までも雑に扱ってたわけではないですが本、大切にしようと思います。



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