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野菜のクズをクズとして捨てるのか

私は料理をほとんどしない。できるけど。パートナーも弟も料理が得意だから私がする必要がない。私がやるよりよほど美味しくて無駄のない食事ができるからだ。

料理が得意な人というのは、みんなが使わないような、捨ててしまうようなものを使って美味しいものを作る。野菜クズを使って一品作ってしまうのだ。例えばニンジンやかぼちゃの皮。捨てないできんぴらにしたりする。しかも美味しい。ほとんどの人が見向きもしないような小さな野菜クズを生かすも殺すも料理する人次第である。

これって、人生においても同じだと思うのだ。

日常で起きる気にも留めないような出来事、その出来事から何を学ぶのか、どんな気づきを得るのかはその出来事を料理する人次第である。


例えばこの野菜クズの話もそうだ。「野菜クズで作ったきんぴらが夕飯に出てきた」という出来事は、日常にある些細な出来事で、気にもとめなければただそれだけだ。

だけど、そこから「ああ、どんなものだって使い方次第で自分にとって役に立つ材料として使えるんだなあ」と気づくきっかけとすれば、野菜クズを捨てるか捨てないかという出来事が、自分の価値観を作る材料になる。そして、これができるようになると、普段の生活の中から自分を成長させたり、視野を広げたり、価値観を変えるきっかけを山ほど見つけることができるのだ。つまり、何からでも学べる人になれば、学び放題ってことになるのだ。

自分を変えるきっかけを、何か大きな事件や、ものすごい感動する特別な出来事の中から探そうとすると「そんなにドラマチックなことなんてそうそう起こらない」と思うかもしれない。だけど、本当は些細な日常、ありふれた毎日の中にこそ、自分を変えるきっかけになる材料が転がっている。

もしかしたら鉛筆の芯が折れた、そこから気づきを得るかもしれない。コンビニでマスクが売り切れていた、そこからだって気づきを得ることができる。子どもが宿題をやらない、自転車の鍵をなくした、そんなことからだって気づきを得られるかもしれない。そう考えたら起きる出来事全て「これってなんのきっかけだろう!」と宝探ししているみたいに思えるようになる。

こじつけでもなんでもいいのだ。自分のために使えれば。今日はどんな出来事があっただろう。ちょっと振り返ってみてはいかがだろうか。野菜クズをクズとして捨ててしまうのはもったいないからね。





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