誰が、誰を好きだとしても。
今日は、映画[his]を観てきた。
LGBTQを題材にした映画やドラマが最近は増えている気がするんだけれど、この映画はその中でも異色だな、って感じた。
それは、ゲイカップルを主人公にしながら、決して「同性愛者」への差別や偏見、生きづらさだけの話ではない、ってところ。出てくる人たちそれぞれが、ある意味では少数派であり、見る角度で誰もが弱者であり、それぞれ違う人生を生きている、って思えたこと。見るのが苦しかったけど、見てよかった映画だった。
私はトランスジェンダーで、ゲイではない。だけど、「自分を隠さなくちゃいけない苦しさ」というのはわかる。レズやホモ、おなべやおかまという言葉にビクビクしながら、「きもちわるー!」と息をするように笑う人たちと一緒になって、「ほんと、気持ち悪いよな」って笑わなくちゃいられない時の息苦しさとか。
分かってくれる人と出会った瞬間の、なんとも言えない安堵感、喜びとか。
全体的に淡々と、ゆっくり進んでいく映画で、できる限り日常を切り取って映しだそう、としている感じを受け取った。大事件とか、急激な展開とかはないんだけど、当事者にとっては大問題である出来事がつながっていく。
もちろん、映画だから「現実はそうはいかないだろう」っていうこともあったんだけど、私はこの世界のどこかに、このカップルが実在していてもおかしくない、って思った。この村のような場所が実際にあったらいいな、とも思った。
「LGBTQについて知ってほしい」というと、逆にLGBTQとそうでない人たち、って分断してしまう気がするんだけれど・・・
ただ、「すでにできてしまっている壁」を取り除くためには、今分断されている状態を把握しなければいけない。だからあえて(本当は分けたくなんかないけど)トランスジェンダーである自分が、LGBTQについて伝えていく必要はあると思う。
でも、私が目指す先は「こちらとそちら」って分けて考えることじゃなくて、高い壁、世界を分断している何かをなくすこと。
いや、違うな・・・
誰にでも、LGBTQに限らず全ての人に「私は私、あなたはあなた」っていう境目がもちろんあって。だけどそれが全く向こうの見えない高くて分厚い壁ではなく、グラウンドに引かれた白いライン、その線は越えて手をつなごうと思えば手を繋ぐこともできるし、線の向こうにいる人を見るのに遮るものはない状態になること。
自分とは違う誰かの困りごとを解消していく結果作られる世界ってのは、きっと他の誰かにとっても、自分にとっても、便利であったかくて優しい世界なのだ。
自分と他人は違う存在だけど、自分の世界と他人の世界は、間違いなく繋がっているのだから。
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