見出し画像

第205話:トイレの闇

職場に安全衛生委員会というのがあって、それは職員の健康衛生上の問題を話し合う会なのだが、ある時そこに「職員トイレを1台でいいからシャワートイレにしてほしい」という要望が出されて議論になった。

一般の方がこの議論をどう思われるのか窺ってみたいのだが、このご時世、企業の人たちからは失笑を買うような議論なのであろうか?
企業だけでなく内閣府HPによると、シャワートイレの普及率は、H24で73.5%、令和に入っては80.4%となっている。いまさらシャワートイレがない職場など天然記念物のような存在なの?と。

学校という組織は良くも悪しくも、常に時代の最後尾をのろのろと歩む牛のような存在であり、身近にシャワートイレが設置されている学校を聞いたことがない。80%の普及率だと言われても、僕の家は和式で、勿論シャワートイレではなく、これまでの人生でお世話になった経験も天文学的に少ない。

したがってこの議論が出た時、僕は優に築40年を越えるオンボロ校舎にシャワートイレはおよそ似つかわしくない気もしたし、逼迫した財政に頭を抱える担当の否定的発言もあって、この要望を文明に毒された贅沢な要望だと思っていたのである。

しかしその後、紆余曲折を経て職員トイレの一台だけにシャワートイレがつけられることになった。
しかし、あろうことか設置され使い始めてみると、なかなかにこれは心地よく、慣れてくると、あのお尻が洗われているときの、こそばゆいような感覚や、紙でごしごし拭かなくてもお尻がきれいになるような、清潔感の錯覚が心地よく、何となくこれを好んで使うようになった。

慣れというのは恐ろしい。次第にトイレに入ってこのシャワートイレがふさがっていると、別のトイレを使えばいいものをしばらく時間をおいて出直すようにもなった。
いやいや、職場だけでなく、外でトイレを利用するときも、それでないと何だか寂しい気分に襲われもし、それどころか、休日に家で過ごすときにも、自分の家のトイレを使わず、すぐ近くにあるコンビニにまでわざわざ出かけて用を足すようにさえなったのである。

簡単に言えば、図らずもシャワートイレ依存症に陥ったことになる。それは全く僕にとっては僕らしくもない出来事だったのだが、しかし、そういう依存症の人は結構いるらしく、翌年の衛生委員会には「もう一台設置してほしい」という要望が出された。「一台だけでいいからという約束だった」という逼迫した財政に頭を抱える担当の断固たる主張をもって却下されたが。

その会議の席でもトイレについて様々な話題が出たのだが、ある同僚によれば「うちの主人はシャワートイレでないと用が足せず、常に携帯用の洗浄器を持ち歩いている」とのことだった。
音姫の存在もこのとき初めて知った。「音」を嫌って水を流しっ放しで用を足す人が多いため、節水や周辺部品の消耗を抑える目的で開発されたらしく、最近では携帯のアプリにもそういうものがあるらしい。

ネット検索してみると、確かに携帯用おしり洗浄器トイレ用擬音装置というものが存在していて、僕は驚嘆したりしたのだが、大学生がアパートを決めるのに、シャワートイレか否かが、その決め手になることも多いらしい。君たちもそうか?と聞くと女子の中には、やはり「じゃなきゃ、嫌」と言う生徒もいた。

時代は変化したのである。

無論、シャワートイレ依存症に陥った自分を棚に上げて文明批判を気取る気もない。
でも、得ることは失うことであるとしたら、何を失ったのかを考えてみるのも無駄ではないかもしれないとも思う。

例えば、洋式トイレに慣れた若い世代では、和式トイレにかがんで用を足す蹲踞そんきょの姿勢、いわゆるウンチングスタイルができない人が多くなっているとも聞く。得意なのはコンビニの駐車場にたむろする不良君たちくらいかもしれない。

壺の上に板を渡しただけの便所にかがみながら、新聞紙や広告、雑誌を破いてそれを揉んでお尻を拭いていた時代からすると、逞しさの喪失とも言えるかもしれない。うがった言い方をすれば、得ることによって失うという逆説は、守ることで弱くなるという逆説に通じているかもしれない。

でも、たぶん、トイレの進化によって失われた最も大きなものは闇だったのではないかと、僕は思ってみたりする。
便所の部屋の暗さ、後架の穴の奥の闇、それは、もはや、たぶん消滅した。

話が飛躍するのをお赦しいただきたいが、子供時分を思い返してみると、その記憶のそこここにそうした「闇」が見え隠れしている。田舎の百姓屋であったから当然と言えば当然なのだが、幽霊がそこに潜んでいると言われればそう信じざるを得ないような深々とした闇が至るところにあった。

古い箪笥が置かれ湿った臭いのした納戸、黒く煤けた梁があらわになっていた台所、土間はいつでも冷たい陰鬱な空気を家の中に漂わせていたし、そこから階段で通じていた天井裏の物置には蜘蛛の巣と埃と暗闇だけしかなかった。

遊びに気を取られて紛れこんでしまった天井裏や縁の下。悪戯に兄貴に閉じ込められた納戸の戸棚。電灯もなく小さな明かり取りの窓から差し込む光が朧に差し込んでいただけの倉。家の中は昼間でもどことなく薄暗く、夕闇が落ちて来れば、どこか心もとない、閑散とした寂しさが押し寄せた。子供の僕にとってそれは、取り留めのない、足元をすくわれるような寂しい闇だった。

今でも鮮明に覚えているのは、ある日、やはり遊びほうけて、気が付くと川の堤防に一人で立っていたことがあった。小学校の低学年のころだったと思う。夕焼けが空に僅かにその赤みを残しながら、辺りは薄闇から刻々と深みを増し始めていた。ふと我に返ると、初めて自分が一人であることに気付き、同時に押し寄せて来る闇の深さに気付いたのだった。

恐る恐る辺りを見回すと静かな風に鬱蒼とした夏草が音もなく揺れ、堤防の道がぼんやりと白くつながって、その先に山が黒々とした姿を横たえていた。

その時突然、大きな筒のようなものに自分が今にも覆われてしまうような恐怖感にとらわれ、自分の背中に自分を飲み込む空洞のようなものの存在を感じた。
呆然として一瞬立ちすくんだ後、やもたてもたまらず急いで堤防を駆け降り、後ろから迫って来る何かに追われながら家まで一目散に走って帰った、そんな少年期の小さな記憶である。

しかしこんな小さな記憶を今でもはっきりと覚えているのは、有り体に言えばそれが僕が初めて経験した、畏れについての感じなのであったかもしれない。

おほわれておしつぶされる瞬間の僕の悲鳴を聞いた気がする

闇が僕らに抱かせた畏怖の感覚、それは畏怖であると同時に僕らのモラルの根っこになっていたのかもしれない。

今そんなことを言えば虐待と罵られそうだが、子供時分に悪さをするとよく「お前は橋の下から拾って来たんだからどこへでも行っちまえ」と親に怒鳴られた。その時に思い浮かべる橋の下の闇とは、まさに自分の実存を揺り動かされる闇の深さなのであって、それはトイレのキンカクシの奥にトウトウとたたずむ闇の深さと共通するものではないかと思ってみたりする。

トイレで用を足しながら、そこに記されているTOTOという文字を見、もしこの会社がそうしたことを了解した上でこのトウトウという名を付けたとしたら、これは非常に哲学的なトイレではないかと、そんなことを考えてみたりしたのである。

(土竜のひとりごと:第205話)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?