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葡萄に足音を聞かせる

今年度途中から、学校でAIによる採点システムが試験的に導入された。どうでもいいが、その名を百問繚乱と言う。多忙を極める教員たちはこれに飛びついた。あっという間に採点は済み、合計点はもちろん、順位や偏差値、設問別の正答率もあっけないほほ瞬間的に出してくれる。来年度から本格導入されるらしい。

採点は勿論だが教員になった頃はPCなどなかったから、大抵のことは「手」で行われていた。成績をつけるときも手計算、教科から出された伝票でクラスの成績一覧表をまとめるのも手写し、通知票も僕の下手くそな字で手書きした。
今はそれをエクセルやシステムが一気にやってくれる。成績処理に何日も要した昔がまるで嘘であるかのように。

出席もWebシステムで管理するようになった。保護者が欠席、遅刻、理由を書き込み、担任が確認。それ以外の早退や中抜けなども追加入力すれば苦もなく出席状況の一覧が得られる。
近隣の学校では職員室に掲示板が作られ、その状況が一覧でき、授業の欠課も瞬時に共有されるようにしているとのことで、これも近々導入されるらしい。


楽になることはいいことだ。
ブラック企業の従業員である教員の負担軽減につながる。

そんな具合で、ここ数年でIT化の波がガンガン押し寄せ、生徒も一人一台iPadを持ち、教室にもWi-Fiが飛ぶようになった。
でも、63歳の僕の頭ではついていけない。だから業務軽減どころか負担重増。
でも、申し訳ないが今さらもういいかって感じで、やる気がどうしても湧き起こってこない。

なので、ジジイの負け惜しみに過ぎないと思って聞いていただきたいが、数字の統計処理はともかく、AIの採点は教員の根幹に関わる問題であるような気がしてしまう。

確かに設定すれば観点別の点の集計や全体の集計も全てやってくれるし、AIに採点させると言っても記号以外は自分の目でディスプレー上で見比べながら採点するのでそういう意味では変わりはない。

けれど、生徒との間にAIを介在させることは、関係が間接的なものになることを意味している。
例えば僕らは2年も答案と付き合うと、字を見ただけでその生徒がわかる。字には個性が現れ、答案からは勉強の様子とか、その時の気分も伝わってくる。迷いの跡、落書き、寝ていたヨダレの跡も。こちらもメッセージや解答の修正を書き込んだり部分点の与え方も気ままに示すことができる。
AIに採点させるために答案をスキャンすれば、それらは単なるデータとなってしまい、答案が生徒個人から切り離されてしまう。

もうひとつ大事だと思うのは「楽になる」「効率的」ということが優先されていくと、そういう迷路に迷い込む危険性があることである。例えば、個人批判ではないことをあらかじめ断っておきたいが、選択肢のみの大学入試の問題をそのまま出題してAIに採点させた人もいた。でも、それは違うだろう。

僕は国語を担当しているが、特に現代文は、問題を作るのも正答を作るのも、そもそもどう読むかも難しい。採点も生徒の答案を一通り見て、部分点の与え方を決めたり、解答自体にも修正を加えたりもする。
そうそう、優秀な生徒の答案は僕の作った解答より遥かに、いい。
入試問題をそのまま使えばその方が生徒のためになるとは思うが、入試問題であっても、例えば各予備校の解答は全く食い違う。どの解答も違うのではないかと思うことも多い。
正解がない、あるいは正解がたくさんある中で、それでも生徒が納得できるように説明するためには、自分がどう読むか考える「手間」が大事になる。その「手間」は普段の授業にもつながる。

そうしたことはAIの採点システムであっても可能なのだろう。けれど、「手間」を省こうとする発想が浸透していけば、省かれやすい大変な作業である。
やがて技術がもっと進めば、AIが採点だけでなく、問題も作ってくれ、授業もしてくれるようになる時代が来るかもしれない。
まったく教員は楽になり、そして不要になるかもしれない。

偉そうなことを書いたが、でも、そういう言い方で自分の正しさを訴えたいというわけでもない。
ITCについていけず、旧来の「チョーク&トーク」で「努力こそ大事だ」と主張する「昭和の生き残り」みたいな自嘲?揶揄?を最近耳にすることが多くなって、ああそんな感じと思ってみたりする。
能のない僕は「手間」を大事にすることしかできず、それが通じないとなるとどうしていいかわからなくなってしまうというのが正直なところなのである。


この間テレビで、農村に移住した若い葡萄農家の夫婦が採り上げられていた。その夫婦に土地のお祖父さんが自分の葡萄畑を譲り、ただそれだけではなく、もう相当な高齢であるにも関わらず、とにかく毎日、葡萄畑に足を運んで面倒を見てくれたそうだ。
「なぜ?」という問いかけに、おじいさんは「葡萄に足音を聞かせに行くんだ」と答えたそうだ。
その言葉がなんだかじんわりと深く胸に響いた。

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