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第172話:心にささるひと言

迂闊にも自分の老いに気づかず、他人に指摘されて初めてそうなんだと思ったのは、53歳の誕生日だった。

もはや誕生日が来たということに特別な感慨があるわけでもなかったのだが、自分が顧問をしているテニス部の女子部員たちがお昼休みにお祝いをしてくれた。

昼休みが終わる1分前。授業をする教室に着くと、黒板いっぱいにチョークで大きなHAPPY BIRTHDAYの装飾。待ちかまえていた部員に囲まれ、クラッカーを浴び、「ハッピバースデイ♪」の合唱。歌い終わると「おめでとうございます」の声とともに、彼女らは5時間目の授業にドタバタと走り去って行った。

机の上には、お菓子と缶コーヒーが所狭しと並べられ、中にはカップラーメンや永谷園の「ごはんですよ!」までが混じっている。見ると、そのひとつひとつには全てマジックでメッセージが書いてある。
誕生日を迎えた生徒が、よくお菓子の入った大きな袋を持っているのを目にしたことがあったが、「ああ、これが今時の女子高生の文化なんだ」と実感したりした次第である。

誕生日を祝ってくれる人などカミさん以外になくなった現在では、カミさん以外に誕生日を祝ってくれる人がいるということが、何だかとても面映ゆいくらいうれしかったりして、普段、誰からも見向きもされないオジサンとしては、貴重な経験と言ってもいいくらい、ありがたいことだ。

タバコ消臭元とか、ビールキャラメルをはじめ、お菓子をくれた男の子たちも何故かいた。能力の乏しい教員たる僕などは、その日その日がめいっぱいなのだが、こういう瞬間が、それを「がんばろう」という気持ちに替えさせてくれる。

それにしても、後でテニス部員である彼女ら高校2年生の生まれ年の干支を聞いたところ、「子と丑だ」と言うので仰天してしまった。
実は僕も「子と丑」の学年なのであって、その時、「ああ、この子らと2周りも違うんだ」と思って感慨にふけったのだが、待てよ、と後でじっくり考えてみると、3周りも違うのだということに気づかされた。

ということは、彼女らが生まれたとき、僕はすでに36歳だったということになるわけで、考えてみればすぐにわかるそんなことに驚いたのは、迂闊にも若い世代といつも一緒にいて、自分も若いと思い違いをしているからなのかもしれない。
生徒に歳を聞かれると、いつも35歳と答えていたのだが、若いつもりではいたが、もう53歳なのだと実感させられたのである。

再び、それにしても・・なのであるが、彼女らはお菓子にもメッセージを書き込んでいたが、メインのプレゼントらしい?貯金箱には、僕の好きなが堀北真紀の写真とともに彼女らの正式な?メッセージが貼り付けられていた。

そのメッセージの中に、なんと、「長生きしてくださいね」というのがあって、それも一人ではなく、何人も・・。
「これって、おじいちゃんに敬老の日かなんかに言う言葉じゃないの?」
と僕は思い、
「オレは女子高生にとっては、すでに“おじいちゃん”なの?」
って、ちょっと悩んでみたりもしたのである。

無垢で無邪気な「ひと言」だけに、結構衝撃的な「ひと言」だったのである。



蛇足のような本論になるが、年を重ね、無理を重ねてきた「老体」には、それなりに異常が出るわけで、人間ドックで白血球に若干の異常があると言われ、再検査に近くの病院に行った。
再検査の結果は特に異常のあるものではなかったが、ついでに、ここ3年くらい口の中が異様に乾き、舌は白く、水膨れもできたり、口内環境があまりかんばしくない。そこで、そのことを相談してみた。

医者は僕の口の中を見るなり、「ストレスでしょう」と簡潔に言ってのけた。

ただそのあとに、

先生も私も人間を相手に仕事をしているのですから、ストレスはあって当然です。いい仕事をしようと思えばストレスはつきものであって、逆に、ストレスを感じないような仕事にたいした意味はありません。

とさらっと断言してみせた。

受け取り方によって不遜な言葉に聞こえるかも知れないが、僕にはその「ひと言」が、その時、妙に胸に響いたのであって、勉強や部活で、絶えず四苦八苦している諸君にも共感していただけるのではないかと思い、ここにメモすることにした。

頑張ることに疲れた時には、そんなふうに考えてみるといいかもしれない。
前を向いて生きようとすれば、そこに必ず負荷が生まれる。それを当然と肯定すれば、また努力の意味が見えてくるかもしれない。


■土竜のひとりごと:第172話


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