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第175話:助けての必要性

*これは8年間勤めた学校を離任するときに話した内容です。個人的な備忘録に過ぎないとご承知ください。ただ、これ以降の生徒へのメッセージの基本があるような気がするので書き残しておきたいと思います。


8年間お世話になりました。
と言っても僕を知らない人も多いと思います。僕の授業を受けたことのある人は「なんて程度の低い授業だ」と思ったかもしれません。僕は君たちと遊んでいたくて始終バカなことばっかり言っていました。
「偉大な女優は堀北真希」とかね。堀北真希も結婚しちゃったし、引退しちゃったし寂しいですね。今、僕は堀北真希への愛を貫こうか、それともガッキーへ乗り換えるべきか悩んできます。君たちはどう思いますか?・・なんてね。

こんな調子で、女生徒に「僕と結婚しよう」と随分果敢にプロポーズを試みたりしたのですが誰もまともに取り合ってはくれませんでした。寂しいですね。

志望校で迷う生徒が来ると「僕には君の一生を決められない。僕と結婚してくれるなら決めてあげる」と言うと、「それだけは勘弁してください。自分で決めます」と、そそくさと去っていきます。
自己解決を促すいい教育をしています。

授業でも「悩みや相談があればいつでも遠慮なく来てください。男子は頭を殴って活を入れてあげます。女子は優しく抱きしめてあげます」なんて言うと誰も来ません。
自己解決を促す、これもいい教育ですね。

全部冗談ですからセクハラで訴えないでくださいね。

でも、最近「好きだ」とか「ありがとう」という言葉がすごく大事だな、ということを感じています。と同時に、そういう思いを口にすることが少なくなっているのかな、ということも感じます。

同じように、心の中に「つらい」とか「苦しい」とか「助けて」という思いがあっても、それを口にすることはなかなか難しいと思ったりもしています。
授業を持ったクラスでは、必ず隣の席の人に「助けて」って言う練習をするんですがね。

くだらない話ですが、僕は学生時代いつでも金に困っていました。ある時テニスの関係で遠征が続き、その費用を払ったら一か月の生活費が4000円しか残らなかったことがありました。
いろいろ買い込んで食いつなぎましたが、最後の1週間は何も食べる物がなく、とても惨めでした。友達に金を借りればいいし親に仕送りを頼めばそれでいいのですが、なぜか惨めな気持ちの中でそうすることができず、友達も気づいて千円札を差し出したりしてくれるのですが、なぜでしょう、「大丈夫だ」なんて突っ張ってしまったりしました。全然大丈夫じゃないのにね。

君たちもよく言いますね、「大丈夫だ」って。
「本当に大丈夫か」と思うことがたくさんあります。

僕は8年前にこの学校に赴任しましたが、その前の10年間は高校で授業をする現場から離れていました。
最初は授業の勘も取り戻せず四苦八苦しましたし、いきなり一年生の担任だったので4月の入学式から一学期の間、目の回るような忙しさの中で自分を見失いがちでした。
そんな中でクラスでも大きな問題が起こってしまい、自分の至らなさを痛感しました。「もう教員をやめよう」と本気で思い、カミさんにもそんな話をしたりしました。

そんな僕の苦境を救ってくれたのは、当時のクラスの生徒たちの、さきほどから言っている「好きだよ」という言葉でした。

僕はその「優しさ」に助けられ、いままだここにこうしているのですが、それから今まで残りの7年半は、僕がもらったその「優しさ」を何とか「かえそう」としてきた時間だったかなと思います。
君たちの「優しさ」に出会えたことは僕にとって大きな財産でした。

君たちも「つらい」「苦しい」ときには、素直にそれを言葉にできればいいと思います。また、そういう人を見かけたり、相談を受けたりした時には「好きだよ」って言ってあげるといいと思います。

僕は「僕は君のような人が好きだな」ってよく言いました。これは方便ではなく、僕は悩む人が好きです。うまく生きている人より躓く人の方が、僕に近い。

助けてと言われても一緒に悩む必要はありません。解決策など見つからないし、解決策はむしろ本人の中に眠っているものです。大事なのは、人とつながっているという感覚や、自分への信頼を取り戻すことだと思います。

蛇足ですが、3年間担任を持ちあがった学年の卒業式でクラスの生徒が色紙にメッセージをくれたのですが、そこに級長をしていた女子生徒が、やはり「好きだ」という言葉を書いてくれました。
ただそれは非常に微妙で「先生のやる気のないゆるさが好きでした」と書かれていました。これを見た時は、肯定なの?否定なの?と思ったりしましたが、20歳を超えて二人で何度か飲みに行きましたので多分嫌われてはいないのだと思います。

でも、この言葉は「怠ける」ことの大切さを大事にしている僕にとっては実にぴったりの言葉で、「ああよく見ているなあ」と思うと同時に、そういう言葉をフランクに書いてくれる関係もひとつの財産だなあと思いました。
僕ら教員は得てして「教員という蓑笠」で自分を防御しがちになるのですが、君たちの前ではそういうことが一切必要なく、素のままの自然体でいられたことがとてもありがたかったと思います。

ばかな言い方ですが「酒を飲みあえる関係をつくりたい」といつも思ってきました。将来の飲み友達を探しているみたいに?

最後にテニス部の皆さん、僕は君たちが僕の周りで、泣いたり、笑ったり、悩んでいる姿を見ているのが大好きでした。
僕に「好きだよ」と言われるのは君たちには奇異なのかもしれませんが、「おまえはばかなやつだなあ」と言えば、それが「好きだよ」ということだという了解が成立し、顧問の僕のことを面と向かって「つっちー」と呼ぶ君たちとの「つながり」は、僕にとって大きな支えであったし、これからも貴重な財産となるものだと思っています。

本当にありがとうございました。 


■土竜のひとりごと:第175話 

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