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乾燥肌


夏休みが終わり、今、テストの採点をしている。夏休み明けの課題確認テストである。生徒をいかに休みの間に遊ばせないか、あれやこれや算段するのは教員の「哀しい性」であると言えよう。

生徒は大変である。せっかくの夏休みだというのに膨大な課題を出され(過大な課題と言えばおしゃれである)、夏休みが終わったという感傷に浸る間もなくテストが待ち受けている。

ただし大変なのは生徒だけではない。テストするためにはテストを作らなければならず、いかに生徒をいじめようかと策をめぐらすとそれなりに結構膨大な時間がかかる。

それだけではない。テストをしたら採点をしなければならない。採点がなければ毎日テストでも、僕はいい。以前にも採点は倦み疲れるという不謹慎な話を書いたが、どんなに不謹慎と言われても、採点ほど倦み疲れるものはないと公言したい。

そんなわけで、夏休みが終わってしまった限りのない寂しさを感じながら、今、採点をしている。夏休みが始まる前にはあんなに待ち遠しかったのに、あっという間に終わってしまった夏休み・・。

そういう心理的タイミングの切なさに加えて、最近では「加齢」という新たな悩みが僕にのしかかって来てもいる。

最初の授業で返したいと思うので無理をして夜更かしする。昔は徹夜してもたいしたことはなかったのに・・。夏の疲れも出る。残暑も厳しい。
夏休み中には、朝、川べりを散歩していて、よろけて川に落ちたという事件もあった。合宿の最後に西瓜割りをみんなでしたのを動画に撮って、みんなに送ろうとしたら、動画ではなく写真を撮っていた・・そうした諸々の精神的打撃もあった。

また夏休み明けのテストというのは、生徒様も学習が極めて粗雑である。単純に言えば勉強して来ない。最悪の「デキ」と言っていい。
疲労感と徒労感から二学期が始まるのである。

切ないのはそれだけではない。

もっと単純な話、指が乾いて採点する時に答案用紙が思うようにめくれずにイライラしたりしている。若い人にはわからないだろうが、こんなことが結構つらいのである。

答案はひとつの問題を連続して採点して行くので、常に答案用紙をめくる必要がある。若い頃はお肌に潤いがあったので答案用紙は指に吸いつくようにめくれたのだが、最近、お肌は乾燥しきっていて、残暑が厳しい時節であるにもかかわらず、答案用紙をめくるのに四苦八苦してイライラしてしまうのである。

そう言えば、もう10年くらいに前に乾燥肌に悩まされた時があって、体中が痒くてたまらなかった。誰かが「脂分が少なくなっているのだからお風呂に入っても石鹸で洗わない方がいい」と教えてくれたので、それ以来、僕は風呂に入ってもお湯につかるだけにしている。

老いるとはオイルが足りなくなることだと言うとオシャレかもしれない。

以来、長い年月、さすがに顔と頭は洗うが、身体は石鹸で洗っていない。湯に沈むだけである。確かに痒みはなくなった。効果覿面である?きっと垢が僕の皮膚を保護してくれているに違いない。

ところが、そんなことをうっかり部活中に口にしたところ、部員である女子高生に「きったなーい。もう先生のそばには寄らない!」と言われてしまった。こうやって世の中の父さんは、自分の娘に汚い物のように扱われるようになるのだろう。歳は取りたくないものである。

小学生の頃、先生がプリントを配るのにやたらに指をなめていたのを思い出し、あの頃、汚いなあと思って見ていたのだったが、今は「ああ、そうだったのね」と先生の気持ちがよくわかる。

何事も、その人の立ち位置に立って見ないとその人が見えないことは、こんなつまらぬことにおいても実感されるのである。


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