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第63話:真冬の半ズボン

夏が好きな人と冬が好きな人がいるとすれば、僕は後者であった。

今と違ってクーラーなどなかったから、夏は、僕にとって汗が体にまとわりつき、幾ら頑張って眠ろうとしても眠れない熱帯夜の、どうしようもなさの記憶でしかない。
6月頃になると、これから続く暑い日々を思いやって憂欝になり、いざ夏になれば「暑い、暑い」と一日に何百回も言って、カミさんに顰蹙を買っていた。

しかしそれにひきかえ、冬は子供のころから大好きで、秋が深まるころには何となく気持ちが浮き浮きして来たりもした。
無論寒いことは寒いのだが、整然と閑散とした風景、身の締まるような冷たい空気など、僕にとってこのキリリとした冬は、寒いというデメリットを凌駕するだけの魅力があった。

小学校に登校する道々で、ドラム缶に厚く張った氷を取り出しては割り合ってふざけたり、畑の中に入って高い霜柱を踏み歩いたり、日曜の朝には焚火をして芋や栗を焼いて食べたりと、そんな懐かしい記憶もある。
冬を嫌う人は多いようだが、悪い季節ではないと僕は思う。

ただ、冬が好きだと言ってもやはり寒いことは寒いのであり、自ら求めて寒さを体感したいと思う気持ちなど勿論なかったのだが、小学校高学年のある冬、ひと冬を半ズボンで過ごしたことがあって、これが我が家ではなかなかの物議をかもした。

「子供は風の子」というわけで真冬の半ズボンという光景もそれほど異常なものではない気もするのだが、兄貴にはバカ呼ばわりされ、親には「お前はみっともないから連れて行かない」と何かの折の外出の同行を拒絶されたりもした。

だから当時であっても、真冬の半ズボンというのは「風の子」の元気さを心地よく眺め得る範囲を逸脱した、むしろ「恥ずかしいもの」という常識があったことになる。

ある時、お遣いで魚屋に行き店先に立っていたところ、魚屋のオバサンが突然大きな声で「まあ驚いた。ちょっとこの子、半ズボンよ。靴下もはかないで。お父さん見てよ」とわざわざ「お父さん」を連れて来て二人で僕を眺めたりしたこともあった。全く失礼な話である。

別に半ズボンが好きだったとか、長ズボンが嫌いだったとかいうわけでもなく、僕としても半ズボンにこだわった理由は特に見当たらないのだが、自然に半ズボンをはいて過ごしていたところ、これもまた自然に季節が進んで真冬になってしまったということになろう。

ただ人間というのはおかしなもので、周りからやいのやいのと言われるとどうも素直に反応することが難しくなる。

要するに単にくだらぬ意地を張ったということになるわけだが、暖冬続きの昨今とは違って、あのころはそれなりに寒さも厳しかったのであって、自分でもずいぶん寒い思いをしながら、張ってしまった意地の手前、日を追うにしたがって自らを変更不可能な状況に追い込んで行ってしまったことになる。

更に悪いことは重なるもので、ふとしたきっかけで兄貴と喧嘩になり、その時にこの半ズボンの件が持ち出されて、何故か「だったらコタツになんか入るな」ということでその喧嘩が終局してしまったために、僕はその冬、半ズボンでいた上に、コタツにも入れなくなってしまった。

律義な僕は兄貴のいるいないにかかわらず、その兄貴の暴言を守ってコタツに入らず、皆で居間にいるときにも、一人、冷たい膝を抱えて背中を丸めていたのだが、一度だけ兄貴のいなかった日曜日に、ちょっとだけこっそりとコタツに足を入れてみたことがあった。
淡い罪悪感からすぐに足を出してしまったが、あの一瞬のホンワカした温もりは、今も何となく足に残っているような、いかにもホンワカとした幸せな温もりであったと記憶している。

今にしてみれば人間ってやつは随分くだらぬ意地を張るものだと思わないこともない。
60歳に近づくころから次第に寒さに弱くなり、上半身は下着から長袖Tシャツ、セーター、ジャージ、ダウンなど7枚を重ね着し、下半身もズボンの下に2枚の薄いジャージのようなものを重ね、テニスコートに立つときは、さらに上下とも1枚をその上に重ねる。ほとんど身動きが取れない状態。
「意地」もへったくれもない「意気地なし」の状態と言っていい。

冬のコートは冷たさが地面から這い上がって来て、数年前からふくらはぎが痛くてならなくなった。靴下をはかねば眠れぬようになり、そして湯たんぽを使うようになり、60歳を迎えた今年はさらに加えてレッグウォーマーを装着せねば立ちいかない現状となった。家でも自室で仕事するとき足が冷たくてならず、それを訴えるとカミさんがスリッパのお化けのようなこんなものを買ってくれた。

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なんだか情けないような、でも「あったかけぇー」と思ってしまった。

孔子は「五十にして天命を知る。六十にして耳したがふ。七十にして心の欲する所に従へども、のりえず」とおっしゃったが、「六十にして耳順ふ」とは「身体の声を聞け!」ということではないかと、何だかそんな気がしたりもしているこのごろである。

(土竜のひとりごと:第63話)

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