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蓑虫の恋

少し前にも蓑虫の歌を紹介しました。

別に蓑虫にこだわりがあるわけではありませんが、もう少し蓑虫の歌を作って遊んでみました。暑さのせいか、まともな発想でないとご承知ください。

片恋の恋に身を病む蓑虫の切なさのようだ 酷暑

恋をする蓑虫がつく溜め息をあつめて モコモコの入道雲

青空に浮かぶ「入道雲」が漫画の「噴き出し」のように一瞬思えて、そんなことを歌にしてみたいと思ったのですが、うまくいきません。「噴き出し」は英語で Speech balloon というのだそうです。


入道雲は君への Speech balloon、 好きだよと書き込んでみたいけれど  蓑虫

三十九文字、相当な字余りになってしまいました。


蓑虫は、その「蓑」をまとう独特な姿がユニークで、ちょっと気になる虫です。でも、かわいそうな謂れを持つ虫のようで、『枕草子』では

蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ来むとする。侍てよ」と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

のように書かれています。大雑把な意味は次の感じです。

蓑虫は鬼の子、父はそれを恐れて「秋になったら来るから」と言って去ってしまい、その父を秋になって「父よ、父よ」とはかなく鳴く・・。

実際には蓑虫は発声器官を持たないので鳴かないそうですが、何故か俳句の世界では「蓑虫鳴く」が季語になっているようです。

芭蕉も

くさの戸ぼそに住わびて、あき風のかなしげなるゆふぐれ友達のかたへいひつかはし侍る
みの虫の音をききにこよ草の庵

架空の蓑虫の声を「聞きにおいで」と言って友を呼び寄せることにかえって風流があるとも考えられます。ちゃんとしたことはよくわからずに言いますが、「蓑虫鳴く」という季語は、「ない」ものを「ある」前提として虚構を楽しむ感性とでも言えるのかもしれません。

とすれば、拙歌の「恋をする蓑虫」という愚かな架空も許されるんじゃね?と思ってみた次第です。


※備忘録
芭蕉と素堂の蓑虫を仲立ちとしたやり取りの詳細が山梨県歴史文学館のHPに掲載
また、伊賀には服部土芳が結んだ「蓑虫庵」が、芭蕉五庵のうち現存する唯一の草庵として残存。


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