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やる気のないゆるさが大好きでした

退職前に新聞部の生徒から「教員人生を振り返って!」と言われたので、自分の過去を振り返ってみた。

子供時分から、成績も悪く、いたって不器用。だから高校時分も、つまづかなくていいことにもつまづき、人間について考えたいと文学部に進んだ。

教員になったのも、カッコよく社会の歯車になりたくなかったと言ってみたいが、そうはなれなかったというのが実際のところ。

勤めてからも大概はつまづいていて、普通高校2校に16年勤めながら、自分のしたかったことがわからなくなり、特別支援学校、定時制高校、図書館と10年間をプチ放浪させてもらった。

普通高校に戻ると10年のブランクを埋めるのにまたつまづいたが、よぼよぼと8年過ごし、56歳でこの最後の学校に来た。

高校からの40年余をざっと振り返ると、僕の人生も、こんなものにでしかないことになる。


転びながらいろんなことを考えた。

特別支援学校や定時制では、「個」と向き合うことの大切さを。差別、格差の問題も考えた。
ここ十数年は生徒が「つながり」の大切さを教えてくれた。「ジジイと遊んでやるか」って感じかもしれない。生徒と向き合って「いかに一緒に遊ぶか」が、わからなかった僕の仕事の「理由」であると感じている。

卒業生と酒を飲みながら、彼ら彼女らの他愛のない話を聞くことが楽しい。だから、授業をし、テニスをしながら将来の「飲み友達」を探している感じの日々、と言ったら今のご時世では訴えられるだろうか。

働き方改革って何?と訴えたくなるような40年間。でもたくさんの財産ももらった。つまづかないと見えなかったこともあり、寄り添ってみないと寄り添われる感覚も得られなかったかもしれない。


僕は「真剣に怠ける」生き方を標榜しているが、卒業の色紙に

先生のやる気のないゆるさが大好きでした。

と書いた女生徒がいた。前と後のどちらに重きがあるかは微妙な問題だが、「そうそう、よく見てるね」と思った。

こういう手放しの逆説を一緒に遊べる生徒とあと何人つながれるか、それを楽しみにもう少し過ごしたい。


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