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日本一周一筆書きの旅➀

毎年夏には5日ほどの休みを取ってツーリングに出かけていた。しばらく東北地方を気ままに走ることが多かったのだが、数年前、糸魚川を上って日本海を西し、能登半島を回って金沢から木曽へ下りてきた。意図してはいなかったのだが、今まで走ったルートが日本海側を青森から金沢までつながったので、ならば日本列島の一筆書きに挑戦しようとふと思い立った。

そこで翌年は京都から丹後に上がり、山陰を走って下関で折り返し、山陽を広島までつないだ。ならば今年は四国を一周しようと思い、酷暑にへこたれそうになる自分を叱咤して、それでも出かけたのであった。

初日はとりあえず四国の入り口まで行ければいいと淡路島に入って一泊。翌日、鳴門大橋を渡って四国に入り、鳴門に入ったところのローソンで朝食を取った。朝食といってもおにぎりとサンドイッチを店先の駐車場でかじるだけであるが。その後はとりあえず四国の東海岸を室戸岬に向かって走る。徳島市街を抜けるまではやや込んだが、あとは快調で、きれいな海を左に見ながら四国の海岸線を下っていった。

あと少しで室戸岬というところで給油をしようとガソリンスタンドに入ったのだが、そこでその「出来事」は発覚した。全財産、現金は勿論、クレジットカードやキャッシュカードまでを入れたバックがないことに気づいたのである。

一瞬真っ白になったが、ほとんどを走り続けていて、そのバックを外したのは朝食を取ったローソン以外にあり得なかった。自分の足の間にあるガソリンタンクにマグネットではり付いているバックなのであって、それがないことに気づかずに走り続けていた自分の無能さに嫌悪感を感じながら、しばし途方に暮れた。

しかし、そのローソンに戻るしかない。旅を続けるにも、家に帰るにも、お金がなければどうにもならない。ポケットをまさぐると、天の助けか、500円が入っていた。それで給油する。100キロ強走ることができれば何とか鳴門まで戻れるだろうと思い、来た道を引き返す。

何とかあって欲しいと思う僕の脳裏に、嫌な記憶がよみがえった。実は、この経験は今回が初めてではなかったのである。

その夏は、平成18年、やはり一筆書きの旅をしようと、ひたすら北にのぼって青森の大間まで行き、そこから太平洋側を時間の許す限り下りて来よう、大間に行ってまぐろを食べてみたいと考えたのであった。

中央高速からできかけの圏央道をつないで関越へ、そこから一般道を東に走って東北道へ乗ることにした。天気は良好。快適だった。しかし関越道を下りるとき、悲しい出来事が起こった。

料金を払おうと財布から5千円を出した瞬間、一陣の風が起こってその5千円札が宙に舞っていってしまったのである。あっと思ったが、5千円札は見る間に飛ばされていき、反対車線を越えあっという間に視界から消えていってしまった。追いかけようにも、どう考えても回収は不可能であり、諦めるしかなかった。

寂しい思いになりながら、関越を下り、それでも東北道を目指した。ただ、それはここで起こる悲しい出来事のほんの予兆でしかなかった。

東北道に入り、佐野のSAで給油し、遅い昼食を取る。ちょうど甲子園の決勝がテレビ中継されていて、忘れもしない、8月21日、あのハンカチ王子(斉藤)とマー君(田中)が壮絶な投げ合いをしていた。

試合は終盤で9回に入ると観衆はみんな総立ちになって食い入るように画面を見つめ、歓声を上げている。こんな緊迫した熱戦はなかなかない。球史に残る試合だろうと僕も思わず夢中になって観た。結果は早稲田実業が勝利。ため息や歓声が起こり、熱気が収まらぬその余韻を楽しみながら、SAを後にして、再び北を目指した。しかし、思えば、ここでその「出来事」は既に起こっていたのである。

福島の手前のPAで休憩し、缶コーヒーでも飲もうと財布を探る。しかし財布が見あたらない。ポケットも鞄の中も探してみるがどこにもない。走っている途中で落としたかと思ってもみたが、財布はウエストポーチの中に常に入れられており、走行中に落とすようなことはない。

佐野のSAで給油したからそこまでは確かにあったはずであると考えたとき、ふと思い付いた。僕は佐野のSAでテレビに背を向ける形でラーメンを食べ、そこにグローブと財布を置いたまま、振り返ってテレビの野球の試合に見入っていたのである。

あそこで取られたに違いない・・。確かにそこしかなかった。おのれの不覚に痛恨の悔いを感じながらSAに電話をしてみるが、届出があるはずもない。お金がなければ高速さえ降りられないと悲嘆に暮れながらも、料金所で事情を話そうと福島ICまで来ると、料金所の脇に高速警察の事務所が併設されていた。

中に入って事情を話す。いろいろ聞かれた後で、やや荒っぽい主任さんが「規則では貸かせられないんだが俺が個人的に2万円貸すから、あんたはそれで帰れ」と言う。ありがたかった。が、せめて帰路であれば諦めもついたであろうが、まだツーリング初日、福島までしか来ていない。諦めきれない思いで、しかしどうすることもできずに高速警察を後にする。

財布の中にはすべてが入っていた。現金、カード類、免許証まで。分散しておくべきだったと後悔しても既に後の祭である。

もう夕暮れが迫っていて、とりあえず一泊して明日帰ろうとインターを出てホテルを探していると、高速警察から電話があった。「那須で財布が見つかった。詳細はわからないが期待しない方がいいそうだ。今夜那須ICの事務所に一時預かりになるが、明日になると那須警察署に送らなければならないので、今夜のうちに行ってはどうか」という内容だった。

行かない手はないと、夜の高速を那須に向かって引き返す。期待できないとは言われていたが、せめてキャッシュカード1枚残っていれば、また青森に向けて折り返すこともできるとわずかな期待を胸にひた走った。

そして那須で財布と対面した。しかしそれは見るも無惨な姿をしていた。

高速道路上に捨てられていたのをパトロールの車が見つけてくれたということであったが、何度も車にひかれたのだろう。外形はボロボロに崩れ、中身はほとんど抜かれていた。身分証明書と5円玉が一枚と1円玉が2枚が残っていたが、身分証明書はぐちゃぐちゃになっており、1円玉と5円玉は可哀想なくらいねじ曲がっていた。

悲しいとはこういうことを言うときに用意された形容詞である。

だから、今回、四国でバックを置き忘れたと気づいたとき、この記憶が鮮明によみがえったのである。「またやってしまった」なんて俺はバカなんだ、と思うと同時に、今度もまた四国を回ることを断念して帰らねばならないのかという痛恨の思いが胸を締め付けたのであった。
(次回に続きます)

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