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第168話:捨てられないもの

定時制に勤めていた時、生徒と話すのは新鮮だった。
僕の常識にはない新鮮な感覚を彼らが持っていたからである。荒くれから引きこもりまで彼らの生き方は千差万別、多種多様、波乱万丈に満ちていて、思わず「そんな生き方もあるのか」と思わされたことも少なくない。

例えばほんの一例、小さなことなのであるが、ある生徒がこんなことを言ったことがあった。彼は朝の5時から午後の4時まで、毎日コンビニのバイトをし、夕方から定時制に通ってくる生徒だったが、ゴミ箱に捨てられているゴミを片付ける時、ゴミを捨てる人の身勝手さに腹立ちを覚えるということだった。

分別もせず、家から持ち込んだもの、自分の処理に困る物、何でも捨てて行く。迷惑を考えない。「缶コーヒーの缶の中に煙草の吸殻を入れて行く奴がいて、僕らはそれをひとつひとつ全部、棒を突っ込んでほじくり出すんです。それを日が昇らない暗闇の中でやっていると、思わず馬鹿野郎って叫びたくなるんです」と言っていた。

僕はそれを聞いて思わず赤面した。
実はこの話を聞くまで僕は缶コーヒーの缶を灰皿代わりにし、時にコンビニのゴミ箱にそれを捨てていたからである。煙草と缶コーヒーの相性は何故か抜群で、愛煙家である僕は、当然のように缶コーヒーの愛飲家であった。
僕はことさらに悪い奴でもないし、リサイクルの意識もないではなかったが、ただ、それは何となく遠くにあることであって自分の問題として感じる意識は薄かった。

僕はこのことを深く恥じ入り、以後絶対に缶の中に吸殻を入れることをやめたのであるが、同時に、安易に物を捨てるようになっていた自分を感じたりもした。

コンビニのゴミ箱はあんぐりと口を開け、何でも受け入れてくれる万能ゴミ箱の様相を呈している。車の中にあるゴミも、捨てにくいものも、何でも自分の署名なしに捨てることができる。それはコンビニが現代文明にもたらしたいくつもの大きな影響のひとつと言えるかもしれない。
いやコンビニだけではない。高速道路のサービスエリアのゴミ箱も、我儘であふれかえっていると言う。また地方の山は、不法投棄に喘いでいたりもする。

さすれば現代は、「捨てる」という行為におけるモラルが甚だ希薄になった社会であるという言い方ができるかもしれない。


僕らがまだ幼かった頃、「捨てる」ことは難しかった
「捨てる」もの自体が乏しかったのかもしれないが、「勿体ない」と言って、祖母や母は何でも取っておいて、何かに利用した。「捨てる」ことが何故か罪悪のようだった気がする。

「捨てたい」ものはあった。
例えば、甚だ点数の良くなかったテストの答案、給食で食べられなかった肉をこっそり包んで持ち帰った包み紙・・。
燃やすとか、川に投げ入れるとか、今にして思えばそんなものは楽に「捨てる」ことができたはずなのに、当時はそれができなかった。いつまでもランドセルの底にあって、見るたびに気を重くさせるものだった。

「捨てる」ことは、「重い」行為であったのである。

勿論、今でも、誰でもが「捨てられないもの」を持っている・・はずである。

例えばカミさんは電化製品を買い替えるとき、必ずその写真を撮る。自動車を買い替えるときもそうする。子どもの作った工作とか絵も捨てにくい。やむを得ず処分しなければならないとき、カミさんはこれも写真に撮る。ゴミにしてしまうに忍びない思い出がそこにあるからである。

アルバム、日記、手紙、大切な人からの贈り物・・・。

あるいは、プライド、命、恋人・・・。


しかし、にもかかわらず、僕らは「捨てなければならないもの」を持っているとも言えるかもしれない。
時にはプライドも命も投げ出さなければならないこともあるかもしれない。

こんなことを思ってみるのだが、子どもの頃、乳歯が抜けると、下の歯は屋根の上に投げ、上の歯は縁の下に投げろと言われた。これは「捨てられないもの」を「捨てる」手段であったのではないか、と。

同じように、人は死ぬと死体となる。死体は、あるいは埋葬され、あるいは火葬され、あるいは水葬される。
これは「捨てられないもの」を「捨てる」手段なのではないか、と。宗教は詰まるところ、死を処理する手段であるのかもしれない、と。


すると、
「捨てられないもの」を「捨てなければならない」ところに、「捨てる」ことの本当の相克、本当の意味、がある。

だから「捨てる」ことを軽んじてはならないのである。現代が「捨てる」ことを軽んじているとすれば、それはその意味において警鐘を鳴らす必要性があるのだと思ってみる。

唐突に問うが、
恋をしたことがありますか?
失恋をしたことがありますか?
こんなふうに思ったことはないだろうか?
・・「ふる」より「ふられる」方がいい・・。
これは不変の真実であり、間違いはないと思うのだがどうだろう。

捨てられず持ち歩いていたものがあった 猫とか 0点の答案とか 「恋」とか

恋人でも、ネコでも、0点の答案でも、「捨てる」ことはなかなかに難しいのである。


■土竜のひとりごと:第168話

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