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働くということ

働くとは「傍」を「楽」にすることだ。


このフレーズをもって「働く」ということがよく説明されます。
これは語源的には全く意味のない単なる語呂合わせなのですが、にもかかわらず、「働く」ということがこんなふうに説明されることは、逆説的に、実際の「労働」が、そこから遠いところにあることの、ひとつの証明なのかもしれません。

僕は間もなく定年を迎えようとしている教員です。
初任から16年間はいわゆる進学校に勤務していました。ただ当時、自分でもよくわからないのですが、年を追うごとに「これが本当に僕のやりたいことだったんだろうか」という疑問が強くなり、そこから10年間、教師という身分を使って「放浪」してみました。
生活のためお金を稼がねばなりなせんでしたので、純粋な「放浪」というにはおこがましいわけですが、それでも違う世界を見てみたいという思いに駆られて、特別支援学校に3年、定時制高校に3年、図書館に4年・・10年間を、言ってみれば、「プチ放浪」をしてみたことになります。

働くとは、「傍」を「楽」にすることだ。

話を元に戻しますが、これは素晴らしい考え方だと思います。
僕がこれを単なる理念ではなく実感としてそう思うのは、特別支援学校勤務時代に大変お世話になった校長が、よく一緒にタバコを吸いながら、こんな話をしてくれたからです。

特別支援学校では「働く」はキレイゴトではありません。お金を稼ぐことでもありません。でも生活を成り立たせるための切実な問題です。仕事に就ける生徒は本当に障がいの軽い一握りの生徒で、ほとんど生徒は一生親が面倒を見なくてはいけません。
障がいのある子供を持つ親の事も考えてみましょう。大変な苦労をしています。自分の子が障がい者であることを受け入れなければならなかったこと。日々の生活の疲れから家庭が崩壊していくケースもあります。世間からの偏見の目にもさらされています。
苦難を乗り越えてきたお母さんたちはさすがに強く、生き生きとしていますが、「この子を残して死ねない」とよく語ってくれます。ちょっとだけ白分の子供が障がいをもって生まれたと想像してみてください。100人に3人が障害を持って生まれてくるそうです。
そういうご両親にとって、多動で目を離せない子が例えば絵を描く時だけは静かにしてくれれば楽になりますし、ことばを理解できない子が簡単なサインを覚えて意志や思いを表現してくれるようになれば大きな喜びになります。排泄が定時にできるようになること、着替えのボタンが自分でかけられるようになること、ひとりで5メートル歩けること、寝たきりの子がベットの上で「にこっ」とすること・・。
そうした、小さな、小さなひとつひとつのことが周囲の人に喜びを与え、気持ちを楽にしてくれます。

働くとは、「傍」を「楽」にすることだ。

「働く」ことに意味を見いだせない僕らが、「働く」ことに意味を見出そうとして、自分の労働を強引にそう解釈するのとは違う視点が、このフレーズの確かさを僕の中で支えているような気がしています。


しかし、キレイゴトに過ぎない?

働くとは、「傍」を「楽」にすることだ。

それは実感としても、とても正しいのだと思います。ただ、やはりそれがキレイゴトに過ぎないという現実も、今の社会に生きている限り認めなくてはいけないのだろうと思います。
例えば、苦難のさ中にいるときに、「神は苦難を乗り越えられる人にしか苦難を与えない」と言われても、むしろ空虚さしか感じないように。

例えば、定時制にいるときに出会った生徒の幾人か。
家計を助けるために普通高校への進学を諦め、毎朝3時から新聞配達をし、冬になるとひどい赤切れで手に血を滲ませていた女子生徒。結構な悪さをして高校を中退し、ひとりで生計を立てるために21:00に学校が終わると夜勤に行き、夜が明けると別な仕事に行き、一日中働ていた生徒。同じく結構な悪さをしてきたために、仕事に就いても、どこからか噂が入って来て辞めさせられてしまうという生徒。大学に合格しても結局お金の工面の見通しが立たずに辞退した生徒。
外国籍の生徒も。言葉の壁があって仕事に就けなかったり、ある女子生徒は母国では有数の高校に通っていたのに、日本に働きに来ていた母親が日本人と結婚したため日本に呼ばれ、昼間は働いて家計を助けるために定時制に来ていました。でもアルバイトで稼いだお金は親がパチンコに使ってしまうのだと嘆いていました。
7年間の引きこもりを経て、20歳になって定時制にきた生徒もいました。学費も思うように払えない、中学時代に受けたいじめの深い心の傷、両親の愛情を受けられなかった、病気でいつまで生きられるかわからない、・・背負っている現実は、みんなそれぞれに深くて重く、そうした現実をセットで考えたとき、

働くとは、「傍」を「楽」にすることだ・・・という言葉をかけてあげられない。

稼がなきゃあ、食っていけねえだろう」と怒鳴られそうな気がします。

今も生きるのに大変な人たちがたくさんいるでしょう。
格差、貧困、シングルマザー、子ども食堂、路上生活、年末年越し村、非正規雇用者、ワーキングプア・コロナ禍での廃業・・そんな「ことば」が乱舞する中で、

働くとは、「傍」を「楽」にすることだ。

とは言えない。


孟子は「恒産なくして恒心なし」と言いました。そう、確かに安定した経済に支えられて初めて、『「働く」とは、「傍」を「楽」にすることだ』という理念が有効になるのかもしれません。


教員というブラック企業・・

では、・・僕にとって、「働く」って何なのだろう? ほぼ愚痴に近いので、愚痴など聞きたくないと思われる方は、読まずにおいてください。

ちなみに高校の教員である僕の「一日」はこんな感じです。

車で50分かけて通勤・8:15―16:45勤務(勤務中は3~4時間の授業・空き時間は教材研究・会議・雑務・昼休みはあるようでありません)・16:00-18:30部活動指導・18:30-20:00残務整理・21:00帰宅・夕食・風呂・22:00-0:30教材作成とか採点とか・・

例えば先週の金曜日(僕の誕生日でした)は、9:00~18:00まで30分区切りで16人の生徒の個別指導にあたりました。それ自体は苦痛ではないのですが、個別指導をするためには、問題を読み、解答の主旨をつかみ、生徒が提出した記述解答の添削をして臨まなければなりません。それが深夜に及びます。

こういう日々がろくな休みも取れないまま続きます。「いつ休んだったかなあ」と考えて見ると、2か月前だったりします。特に大学入試、新年度への切り替え、インターハイ予選と続く2月から5月末まではほぼ無休。
授業に穴をあけるわけにはいかないので、有給休暇も時間単位で取れる時に取るが、それでも年間2,3日しか消化できない。県は8時間勤務を7時間45分に短縮したけれど、それって何だろうと思ってしまいます。

とりわけ部活動指導は時間が取られます。土日はほとんど練習か練習試合か公式戦で埋め尽くされ、休みになるのはテスト一週間前の部活活動停止期間くらい(でもテスト作成、採点があります)。夏休みであっても夏休みはありません。ここ3年間、夏休みは土日含めて、休みは一日もありませんでした。夏は炎天下で、冬は寒風に吹かれて・・老体には結構厳しい現実です。

お金にも恵まれません。教員は一般事務職より給料が高いのですが、その代わり残業しても手当は支給されません。部活動指導は、だいぶ改訂されてきましたが、今、3時間で(たぶん)2300円。でもそれ以上9時間働いても(たぶん)2300円。僕が教員になったころは4時間で500円でした。必要な用具、例えば僕なら、ラケットも靴も防寒着を買っても、そうそう、試合で遠出すると(ガソリン代は出ますが)高速代も自分の持ち出しです。

いつだったか教育学部に進学した卒業生が、「母校の教員を訪問してレポートを書くという課題があるから話を聞かせてくれ」と言ってやってきましたが、そんな現状を話したら驚いていました。「先生はへらへら楽しそうにやっているかと思ったら大変なんですね」って。


それが僕の仕事だ

それでも、「それが僕の仕事だ」と思ってやってきたということになるのだろうと思います。

特別支援学校や定時制での経験は、「個」と向き合うことの大切さや、自分の知らない所で貧困や差別や困惑を抱えながら懸命に生きている人たちと出会えました。前任校では、赴任直後にいろんな事態が起こって僕がつぶれそうになったとき、生徒が優しくさりげなく支えてくれました。「この子たちのためにできることをできるだけしよう」。何か、優等生の模範解答のようになってしまいますが、「感謝」ということなのだろうと思います。
卒業生の何人かは今でも酒を一緒に飲める「親友」であるし、孫娘たちのような部活の卒業生は毎年の忘年会に、あるいは暇があれば「飲みましょう」と誘ってくれます。そういう「つながり」の感覚に支えられて今があり、そういう「つながり」を作るためには、時間や労力を惜しめないということになるのだろうと思います。

以前ちょっと体調を崩して病院に行ったとき、医者は「ストレスでしょう」と簡潔に言ってのけ、そのあとに、「先生も私も人間を相手に仕事をしているのですから、ストレスはあって当然です。いい仕事をしようと思えばストレスはつきものであって、逆に、ストレスを感じないような仕事にたいした意味はありません。」とさらっと断言してみせたのでした。受け取り方によって不遜な言葉に聞こえるかも知れませんが、なんだかその時、僕にはそのひと言が妙に胸に響いたりしました。「ああ、そうだ」と。

よくはわからないのですが、それが「僕の仕事」だから・・と言う以外に僕の仕事を説明できないかなあ、というのが定年を前にして自分の38年間を振り返った時の思いです。


結局は金か・・

ただ、退職にあたっては複雑な思いがあります。

年金が65歳からの支給になり(僕は64歳から一部支給なのですが、誕生日が2月であるため、ほぼ)5五年間収入がありません。昨年末にカミさんにさほど貯金がないことを聞かされ、定年を迎えれば少しは時間的なゆとりができるかと思っていたのですが、少なくともあと5年間は働かなくてはなりません。
再任用という形で来年からも平常の勤務が続くことになります。ただ、今と同じ勤務形態で給料は半額です。借家に住んでいるため、家賃を差し引くと残るのは毎月15万円前後。退職金を食いかじりながら、なんとかそれ以降の老後の費用をキープしつつ生きていくしかありません。それでも働き口があって、収入があるならまだ「まし」と思われるかもしれませんが・・。
38年間結構必死で働いてきたが、なるほど、家も持てないか・・、バイクも売らなきゃいけないか・・、年金も2人合わせてもさほどの額にはならず、70歳まで働いて、死んで保険金を残すのがこれからの僕の人生か・・、そんな暗澹たる思いの中にいるのも事実です。

若干、視点はずれると思いますが、昨日テレビで長谷部誠が「自分はお金と無縁なものとしてサッカーと向き合いたいと思ってプレーしてきたが、コロナ禍の中でいかにサッカーが『経済』と結びついていたことに気づかされ、釈然としない思いだ」という主旨のことを言っていました。

不可能なことなのかもしれませんが、純粋に「仕事」に向き合う気持ちを、「やっぱり結局は金か」と思わせてしまう制度・システム・考え方は、改変されなければならないのではないかと、今、切に思っています。

(長い愚痴にお付き合い下さり、ありがとうございました。)

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