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第26話:トイレの神様

第23話の続きと思われても結構かと思います。


トイレの神様
という歌に出会った。ぜひ、お聴きいただきたい。


この歌に出会ったからというわけでもないが、自分のトイレの歴史を振り返ってみたくなった。恐らくどなたにも興味のない瑣末な話になるに違いないので、この歌を聴いて閉じていただくのが賢明かもしれない。


子供の頃の僕の実家のトイレは、同年輩の方に共感していただける方がいらっしゃるかもしれないが、およそトイレなどという高級な呼び名を冠することが出来ない、言うなればまさしく「便所」であった。

薄いベニヤ板の引き戸を開けると板敷きの床、段違いになった所にキンカクシが据え付けられ、上方と下方に小さな窓がついていたが、全体は薄暗く、夜は小さな裸電球一つが暗い光を出して小さな部屋を照らしていた。

正面の上方には便所の神様うすさま明王」のお札が貼ってあった。ご存知であろうか。しかし、子供の僕には、それは別に有難いものではなく、黒い神様の姿と朱印が物憂げな明かりに照らされて異様な感じがしたし、時には掌ほどもあるクモが壁に張り付いており、そのクモを刺激しないように息をのみながら用を足さなければならなかった。勿論、組み取り式であるから、それなりに強烈な臭いもした。

つい思い出してしまったので書くことにするが、トイレットペーパーもまだ一般化していない時代のことで、チリ紙が菓子の空き箱に入れられて置いてあった。チリ紙も決して白いものばかりではなく、子供達の間でベンジョガミなどと呼ばれていた灰色がかったものもあった。
そう言えば最近、トンと姿を見ないが今でも存在しているだろうか。

家にはもう一つ外にもトイレがあり、そこは大きな壷の上に板を渡しただけの粗末なものだった。僕は床が抜けて落ちるのではないかという危惧にさいなまれて余り使わなかったが、勿論キンカクシなどというシャレたものは付いていなかったし、紙も新聞紙や雑誌が置いてあり、それを屈んでいる間に揉んで柔らかくして使っていた。

いったいいつの時代の話かと思われる方もいるかもしれないが、僕の生まれは昭和36年、田舎の農家の話である。

更に悪いことにこの便所はよく威しの種に使われたのであって、そこに閉じ込められた記憶こそ明確にはないのだが、「いい加減にしないと便所に入れるぞ」という親の叱責や、その折々に思い浮かべた便器の奥の吸い込まれて行きそうな闇の深さは妙に生々しいものとして記憶に残っている。
狭く暗く臭いものがトイレなのであり、その基本的なイメージは確実に「負」のものとして僕の記憶の中に深く刻み込まれたのである。


昭和45年頃、小学校高学年くらいに家が建て直され、そこで初めて水洗トイレと出会うことになった。無論、和式である。便所の神様もお袋の手によって貼られトイレに鎮座していた。
大学時代の下宿も和式水洗トイレだったが、どうしたことか、就職し、教員になって住んだ教員住宅では和式の組み取り式に戻ってしまった。
そう言えば、引越しの手伝いにやってきたお袋が便所の神様のお札を貼って行って、僕は5年ぶりに神様と再会した。これが昭和58年のことである。

4年後、昭和62年に転勤、結婚し、小さな一軒家の借家に住んだが、そこも和式の汲み取り式だった。カミさんはそれなりの都会に住んでいたので、口にはしなかったが、ちょっと衝撃だったかもしれない。

1年後に教職員住宅が新築され、そこに引っ越すことになった。さすが新築だけあって、そこにあったのは水洗の洋式トイレ。文明の歩みを一足飛びに10年ほど飛び越えたような異常な感動すら覚えたが、和式トイレに馴れ親しんできた僕は、この文明機器は微妙にフィーリングに合わず、便の用は職場で足す事が多かった。

僕より文明に近いカミさんはこのトイレにいたく喜び、平然と使いこなし始めたわけだが、それもその筈、カミさんの実家のトイレは近年流行のシャワートイレなのであって洋式トイレの更に一歩先を進んでいたのであった。

僕もカミさんの実家に顔を出すたびにこのトイレにお世話になったが、用を足し終わると水が出て来てオシリを洗ってくれるうえに、乾燥までを請け負ってくれる。何とも有り難いトイレである。

しかしこれも、最初は僕のフィーリングにうまく合致しなかった。何と言ってもあのジュルジュルと肛門を洗われている感触が何ともたまらない。カラオケのように慣れて来れば病み付きになりそうな快感も確かにあるのだが、初めて納豆を食べたときのような妙な違和感があった。
おまけに水がちゃんと便の始末をしてくれたかどうか不安になって、乾燥まで終了しているのにわざわざトイレットペーパーを取り出して拭いてみたりもしてしまう。何か心もとない違和感があったのである。田舎者が都会に出てオイテキボリをくっているような、当惑と一抹の寂しさを感じながらトイレに座り込んでいたのだった。

話を元に戻せば、数年後、僕らは近くの一軒家の借家に居を移し、そこで再び和式の水洗トイレに逆戻りし、現在に至る。

以上が僕とトイレの歴史である。

どうでもいい話だとお怒りの方もいらっしゃるだろうが、ふと、昭和62年に御殿場に引っ越して以来40年近く、トイレの神様と出会っていないなあと思ってみたりした。
就職した時、お袋がうすまさ大明神のお札を持ってきて貼ったと書いたが、隣に住む人が僕の部屋のトイレを借りた時、この神様を見つけて感動し「すごいぞ」と奥さんを呼びに行って二人で懐かしそうに眺めていたから、もうこの頃には相当珍しかったのだろう。

お袋は何を願ってこんなところまで神様を張りに来たのだろうか、と思ってみる。

お尻を洗ってくれるシャワートイレや、自動で蓋が開閉されるトイレが普及し、便所の神様は忘れられていく。冒頭に紹介した「トイレの神様」の「女神」と「うすさま明王」が一致するのかどうかは知らない。
でも、トイレの神様の歌の「おばあちゃん」と僕の「お袋」が大事にしてきたものは何となくわかるような気がして、こんな臭い話を書いてみたのだった。

(土竜のひとりごと:第26話)



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