第3話:空を飛ぶ机
隣の家に
亮君という二歳の男の子がいて
時々遊びにやってきた
網戸のむこうでおでこをつけ
こんなことを言う
センセエー 雲がきれい
子供らしい饒舌
センセエー いいな 雲
雲みたいに 空 飛びたいな
亮君 じゃあ 大きくなったらパイロットになる?
うん
そしたら うんと勉強しなきゃ
センセエー
勉強すると 空 飛べるようになるの
センセエはうんと勉強して
もう 空 飛んだの?
噛み合うことのない会話である
テストの監督に行くと
たいがい黒板には
「机は空に」
という注意事項が書かれている
むろん「机の中をカラにせよ」ということだが
ある日
退屈極まりないテスト監督の最中
ふと外に目をやると
フワーッと
「机が空を」飛んでいくのが見えたのだった
この子らも
たくさん勉強して
空を飛べるようになるだろうか?
と考えた
ばかばかしい雑感ではある。
教員になって間もないころ、職員住宅の隣の部屋に亮君という男の子がいた。父親は同じ学校に勤めていた柔道の先生だったが、飯もろくに食っていないという定評のあった僕のために、毎晩のように家に呼んでくれ、奥さんの手料理を食べさせてくれた。余り迷惑になってもと途中でお断りしたのだが、それまでは毎日のように伺い、毎日のようにこの亮君と遊んだ。
色々なことをしたのだが、トランプが好きで、夕食が済むとさっそくトランプを持ち出して来ては僕に迫ったのである。
ただ当時二歳であったから何が出来るというわけではない。イモ掘り(一般的には神経衰弱と言うらしい)ばかりやっていた。
しかし困ったことに二歳であるからジャンケンがよく分からない。僕がパーを出し、亮君がグーを出しても亮君は「僕の勝ち」と言ってカードをめくってしまう。その上、引いた二枚のカードが全然一致しなくても「やった」と言って自分のものにしてしまうのである。
これには閉口した。僕はグーとかパーとか出すだけで、あとは亮君が勝手にやっているのであり少しもカードに触れないのである。不合理極まりないわけで、僕は亮君に「パーは紙で、チョキははさみだから、チョキはパーよりも強いんだ」とか「そのカードは3で、これは10だから二つは違うんだ」などと説明するのだが分かってもらえない。
たまに気が向くと、「センセイやっていいよ」とお許しがもらえるわけで、一体どっちが遊んでやっているんだか分からなくなる。部屋に帰って一人になると、俺は何をしていたんだろうと途方もない疲れを感じたりしたのであった。
子供は不思議のかたまりである。規則や秩序を知らない。規則や秩序を知らなければ社会では生きていけないのであって、だから甚だ面倒なのであるが(痴呆の老人は疎まれるのに)子供はそこにかえって単純素朴ではかり知れない何か魅力を感じたりもしてしまう。
秩序の枠組みを身につけることは、言うに及ばず大切なことである。
だが僕は、考えてみれば、グーが何故チョキに勝ち、チョキが何故パーに勝つのか知らないし、また、ある日突然、権力によって、チョキがグーに、パーがチョキに勝つみたいに全てが逆転させられるとも限らない。
そう考えると、机に乗って空を飛んでみるという荒唐無稽な夢想も、案外、大切なのかもしれないと思ったりしてみる。
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