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第123話:駿河療養所研修お礼状

*)この記事は表題の通り、2002年頃、国立駿河療養所で研修させていただいたお礼状に加筆したものです。画像は同所HPから転載させていただきました。


残暑厳しい折、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

先日は貴所にて研修させていただきありがとうございました。お忙しい中、私のためにお時問を割いていただき心から感謝申し上げます。

この2日間は私にとって、私の知らなかったたくさんのことを教えていただいた実りの多いものでした。
療養所の概要やハンセン病の歴史的な歩み、医学的な見地からの説明、患者様ご本人の体験から差別の実態や国の責任など示唆に富むお話をいただくことができました。また、介護体験での看護婦や介助員の方々の優しくきびきびとした応対もとても印象に残るものでした。

私は、考えてみれぱこの地区に14年も住んでいながら、こんなに立派な施設があることも知りませんでしたし、ここに足を踏み入れようと考えたこともありませんでした。
ハンセン病の患者さんの苦しみも小説や短歌、いくつかの講演会などで知ってはいましたが、実際に目の当たりにしてみると、そういうものがいかにも概念的な理解だったかにも気付かされました。
あるいは、患者さんと一緒に過ごす場面では、どう接してよいか分からずにまごまごとしている自分を発見したりもしました。
いろんな点で、自分が「知らない」ままに過ごして来たことを考えさせられた2日間だったと振り返っています。

最近、差別や人権といったものに強く関心を持つようになって来たのですが、それは、この3月までの3年間、知的障害の養護学校に勤めていたからだと思います。ノーマライゼーションということが盛んに言われ、確かに肢体不自由や盲、聾などの障害に対する理解は少し進んだように思われますが、知的障害に対する理解は遅れています。
学校の中では楽しく生活しているのですが、一歩外に出れば、差別の眼差しを受けなければなりません。養護学校を出るとき、先輩の教員から、「ここで見聞きしたこと、生徒のことを、高校へ帰っても言わないで欲しい」とも言われました。誤解されて受け取られる危険性が強いということなのでしよう。

差別や偏見においてとても残念に思うのは、それが本人の責任ではないところで、本人の人格や生き方と全く関係なく起こるということです。
身近に接してみたとき、養護学校の子供たちは純朴に一生懸命生きていました。むしろ我々より生きるという基本な作業を純粋に生きていたように思えます。そういう言い方がキレイゴトのように感じられるとしたら、「ふつう」という言い方をしても良いかと思います。確かに障害があって普通の人とは違う部分はありますし、自分が生きているということすら認知できない生徒もたくさんいるのですが、別にそれ以外、何も「特別」ではありませんし、「ふつう」でした。
こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、赴任する前、養護学校は特別な何かであると構えていた私は、実際に彼ら彼女らに接したとき、「なんだふつうじゃん」と思ったわけです。でも、それが分かったことが、養護学校での経験の一番の大きな収穫だったと思っています。

もしノーマライゼーションということが、そのことばの意味するように「ふつう」であることを目指すことだとしたら、そうした障害を障害と思わない自然な感覚がとても大事なことなのだろうと思います。
そう言えぱ、私の父も血管が腐る病気で、私が物心ついた頃には右足がありませんでした。でも、私にとってそれは「ふつう」のことでしたし、父親に対して障害者だからという意識も持ったことはありませんでした。足の切断した部分の肉が柔らかくフニャフニャしていたので、子供の頃はよくほっぺたを擦り付けて遊んでいましたし、だから気を使おうとか、あえて優しくしようなどと考えたこともなく、オヤジは全くオヤジでした。

ですから、子供の頃から障害者が当たり前のように友達としていたり、障害者が普通に街にあふれていたり、障害に関する情報がもっとオープンに伝わってくる状況が大切だと思うのですが、現実的にはなかなかそれが難しいと言わなければなりません。
私たちの中には根づよい偏見がほとんど無意識的に出来上がっており、障害を持つ人は、その偏見によって狭い場所へ狭い場所へ追いやられているからです。
「努力しなければ自然な状態が作れない」状況であって、その努力というのは、恐らく差別の根っこにある「知らない」、あるいは「知ろうとしない」で平気でいる意識を壊していくことから始まる何かなのだと思います。

さも分かったようなことを書ていますが、この研修で私が強く感じたのは、先に書いたように、私がハンセン病について「知らない」ままで平気でいたことであり、実際に貴所に伺って私自身の中に壁や偏見があることに気付いたことです。
どこまで「ふつう」になるために努力ができるか、正直に言えば自信はありませんが、私は私なりに考え続けて行きたいと思っています。

最後になりますが、そういう意味で西村様のお話には感銘を受けました。

自分たちが偏見の目で見られていながら、HIVに対して偏見を持ち、身構えたりしてしまう。

私たちはこの地域で差別を受ける被害者であると同時に、私たちがいることで、この地域の人たちが他の地域に人たちから差別される加害者でもある。

自分の中にまだ差別がある。それは自分がハンセン病であることの被害者意識である。

人に語ることは、自分の中の被害者意識をぬぐっていく作業。

などの厳しい言葉です。

長い病気と差別、偏見の苦しみの中で、人を恨んでも当然であると思われるのに、このような自己批判の姿勢を持ち得ることは並大抵のことではないと思います。
人の生き方として、目が覚める思いがしました。

一日も早く、皆様の努力が実り、偏見がなくなる日が来ることを祈っております。まだまだ暑い日が続きますが、お体に気をつけられてご活躍してください。
         
この度は本当にありがとうございました。             


*)これを書いた2年後、2004.10、文章末尾に書いた言葉をいただいた西村時夫氏が逝去されたことを新聞で知りました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

*)この記事は次の記事と内容的に重複しています。


■土竜のひとりごと:第123話

               

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