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えーと、ニューヨーク

油断一秒怪我一生ということばがある。このことばに関してこんな話が新聞に載っていた。中国の視察団か何かが日本を訪問し、ある工場を訪れたところ、この標語が壁に貼ってあった。これを見た視察団の一行はエラク驚いたのだそうである。「日本人は恐ろしいほどの働き者である。これだから日本はすさまじい急成長を遂げたのだ」と。

我々にとっては、常に危険と隣り合わせの工場で、怪我をしないために一秒の油断を戒めたこのことばを掲げてあるのは特に何でもないことなのだが、中国人一行はこのことばを「もし一秒でも油を絶やすことがあれば、私をとがめることが一生であれ」という意に取ったらしい。簡単に言えば、一秒でも怠けたら私を一生責めなさいということであって、いくら高度成長期のモーレツ企業人間でも、そこまではと思うのだが、一行は日本に驚嘆し、日本人を畏怖して帰ったという。

もうかなり以前に読んだ話であるし、それが新聞だったかどうかの記憶すら実は疑わしいのだが、同じ漢字を並べた文句がこんな誤解を生じさせるとしたら、何だか楽しい気がする。


こういう誤解は国をまたがると結構あるもので、ちょっと金田一春彦氏の文章にあったものをしばらく引用したい。

例えば同じ中国のことばに桃李もの言はざれども下自ら蹊を成すという格言がある。
これは「桃やすももは物を言わないけれども、その元には多くの人が通うため自然と道ができる」と意味を取り、人格の高い人のもとに自然と人は集まることの比喩となっている。
それはそれで問題はないのだが、人が桃や李のもとに通う理由を「花の美しさに惹かれて」と解釈するのは甚だ日本的で、本来は桃や李の実を採って食べるために人はそこに通い、道ができると取らなければならない。中国は現実主義の国なのであると言われる。本当かどうかはよく知らない。


漢文はチンプンカンブンという読者のために英語に切り替えるが、
私は桜が好き」というのを英訳するのに
I like a cherry. ではなくて、
 I like cherry blossoms. と言う必要があるのと同じである。
ちなみに「私は花見が好きだ」というのは、
I like cherry to go to see flowers. ではなく、
I like cherry blossoms. と桜を愛する日本人としては言わなければならない。もっと日本人の国民性をとらえると、
I like to go to drink. と言った方がより適切と言えようか。花見は飲むためにあると考えているオジサンは多かろう。だから、よくその背景にあるものを考えないで直訳すると、とんでもない誤解が生まれることになる。

食堂に入って物を注文する。「ご注文は?」と尋ねられて「僕はうなぎだ」と答える。日本では別に不自然のない、ごく日常的なやり取りだが、この調子で外国に行って I am an eel. などと言ってしまったら「僕=うなぎ」と言っているわけであり、それこそ変人と思われるに違いない。
I’d like to have “unadon”. とでも言うべきところであろうか。


変人扱いされるくらいならまだいいが、アメリカの床屋に行って日本にいる調子で「頭を切ってくれ」すなわち Please cut my head off. なんて言ったら大変なことになる。殺されちまう。「頭を切ってくれ」なんて言わないと思う方もいらっしゃるかも知れない。
いつだったかテニスの講習会で雨が降り、濡れてしまったため、解散前に集まっていた女子高生たちに「よく頭を拭いて風邪をひかないように」と言ったら怪訝な顔をされたが、日本語の「を」という助詞には場所を表す働きと対象を示す働きがあり「部屋を掃除する(場所)」とも言うが、「ゴミを掃除する(対象)」とも言え、「頭を切る」は日本語として誤りではない。同時に「髪を切る」とも言えるわけで、この場合、Please cut my hair off. と言うのが正解らしい。


信じやすく、また英語が苦手な僕は、隣にいたノンベーの英語教師に、そういうことがありえるのかと聞いてみた。

「あるはずはない」と彼は即座に断言して、ことばを継いだ。床屋は髪をカットするところなんだから、黙っていたって切ってくれる。だいたいそんな英語はない。Please cut. でいいんだと言い、ことばを続け、よく笑い話で日本人がレストランでライスを注文したらシラミが出てきたなんていうのがあるが、いくらなんだって客にシラミを出すレストランはない。馬鹿馬鹿しいと言う。

若干、注釈が必要だろうか。英語でライスは rice、シラミ(の複数形)は lice。共に片仮名ではライスだが、rice の「ラ」はやや舌を巻いて発音するので、日本人が特に意識しないで発音すると lice の「ラ」になってしまう。riceを注文しているはずが、liceを注文していることになる。「頭を切る」が文法なら、こちらは発音による誤解となる。


面白い話を聞かせてやろうか、と彼は聞きもしないのに続けたのであったが、それによると彼の友達がニューヨークに行くために駅で切符を買ったのだそうである。その時、One New York. とただ言えばよいところを、何といってよいか分からず、「~へ」だからtoを使うんだ、と思い当たり、to New York. と駅員に言ったところ、駅員は切符を2枚よこした。

さて、そこでまたその友達は考えた。toを使うんじゃないんだ。だったらどう言えばいいんだろう。そう言えば中央線の東京行きには FORと書いてある。これに違いないと思い当たり、今度は窓口で for New York. と言ってみたのだそうである。かなり鈍感な読者の方でも結果はお分かりいただけるだろうと思うが、そう、駅員は今度は切符を4枚くれたということだった。「どうだ。おもしろいだろう」と彼は言って豪快に笑ったのだが、切符は1枚あれば十分なはずで、2枚をgetした時点で、首をひねりながらも再チャレンジしないのが普通であろう。

ところが、さらに彼は言葉を継いで、「それでな。そいつはわけが分からなくなって、「エーと、New York.」と言ったら、切符が8枚出てきたんだと」と言ってガハハハハと笑った。ここまで来ると馬鹿馬鹿しさを通り越して飽きれてしまう。とんだノンベーの食わせ者と言わなければならない。


ことばは魔物のごときものである。くれぐれも用心して使われたい。

蛇足的にメモするが、翻訳は難しい。現代文講習で翻訳についての文章を扱ったとき、名訳ということで紹介したのだが、アメリカのある会社のクッキーの袋に「熊(bear)」の絵があしらわれ、そこに un bearably good. と書かれている。「信じられないおいしさ」を「熊(くま)」の bear にかけて、un BEARably good. と洒落たわけである。これを、この雰囲気を壊さないまま日本語にしたい。さあ、あなたならどうする?

大ヒント→ 「もう、おいしくて○○ちゃう!」。

               

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