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タクシードライバー

人の情けが身にしみるということがある。

例えば、こんなことがあった。

清水に住んでいた時分、後に妻となる今のカミさんと東京で会うこともしばしばあったが、それなりに時を過ごすと当然帰りはそれなりに遅くなり、東京駅を11:30頃に出る大垣行きの最終電車をよく利用することとなった。

この電車を利用し、愛着をもって回想する人は多いかもしれない。懐かしいと言えば懐かしいが、常に混んでいて座れたためしはなく、2、3時間を車両の連結部近くで揺られて帰った。

それはそれで仕方のないことだったが、問題なのはこの電車が僕が住む清水には停まってくれず、駅二つ先の静岡にしか停まってくれないことであった。静岡着が午前2時頃ではなかったかと思う。

列車が清水を通過する時、飛び降りたくなる衝動に駆られるのだが、それは下宿に帰りつくのが3時を確実に過ぎてしまうということもあったが、静岡から清水に戻るタクシー代が3500円程度かかるからだった。

金の無かった僕にそれは非常に厳しい現実であったわけで、電車に乗っていても静岡駅に着いても気が重く、どうやって帰ろうかと思案にくれたものだった。下宿に着いてから払えば良いと思われる方もおられようが、家にも金はなかった。

ある時、タクシーに乗り、「清水へ」と告げてから、小さくなりながら「あのー、すみませんが1500円しか持っていないので清水に向かって1500円分行って下さい。あとは歩きますから」と言うと、怪訝な顔をしながらも運転手さんは車を出し始めた。

料金のメーターがカチャカチャ上がってゆく音が胸にせつなく、メーターの数字が1000円を越えるころになると、暗い当たりを見回しながら「久能の海岸を潮風に吹かれて歩こう。何時間かかるかな」などと惨めな思いに浸りながら乗っていた。

ところが、メーターが1500円間近に迫った頃、運転手さんはメーターを下げ、
「この距離をこんな夜中に歩けるわけがない」
と静かに言い、1500円で僕を清水の下宿まで送り届けてくれた。

迷惑な話だろう。でも、ありがたかった。心から感謝の意を込めて車を降りる時「ありがとうございます」と言ったのである。


僕の文章力ではたいした話にも思われないかもしれない。でも、お金や効率に隅々まで彩られている僕らの暮らしの中では、そうではないことを思わせてくれる経験は貴重である。
唐突に思われるかもしれないが、タクシードライバーだったこの方の文章を紹介させていただきたい。仕事というものの深さ・・そんなことを感じさせていただいた文章である。


今日は土曜日だが、僕は出勤だった。
夜、帰って来てゴロンと転がっていると、カミさんがいつものように洗い物をするのに僕のカバンから弁当箱を取り出した。
弁当箱が重かったらしい。
「今日、お弁当、食べなかった?」と。
そう言われて初めて、今日の一日に思いを巡らし、
「ああそうかもしれない」・・確かに僕は今日は弁当を食べなかったということに思い当たった。なんということだろうか・・。
カミさんがひと言、
「忙しかったんだね」と言った。

・・何だか情けが身にしみた、ひと言であった。

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