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第94話:さっちゃん

生徒に驚かされることがある。

例えばこんなことがあった。
初任の学校でテニス部の顧問になった。中学からの経験者が多くて技術レベルも高く、インハイ予選では地区大会の10位以内に4人が食い込んでいた。人間的にもきちんとしていて自主的に部を運営していた。

その前年、団体戦は県ベスト8で敗退したのだが、その年のインハイの団体戦で次学年の部員たちが再び同じ学校とベスト8をかけて当たることになった。

団体戦はダブルス1本とシングルス2本で争われる。シングルス1がその学校の1番手、シングルス2が2番手、3・4番手がダブルスを組むというのが普通の組み方だったので、シングルス1はその学校のエース同士の戦いとなるわけである。

部長がそのシングルス1で出たのだが、「先輩たちが負けた学校だから僕は絶対負けません。必ず6-0で勝って来ます」と言ってコートに入って行った。
そんなに力まない方がと思ったが、「自分の思いどおりにやっておいで」と言って送り出した。

長い試合だった。当時のテニスはラケットもまだウッドで、今のように激しく打ち合うテニスというよりは、つなげるテニス、負けないテニスが主流だった。

彼はストローク力もあったし、ボレーやスマッシュをするネットプレーも得意でバランスの取れた良い選手だった。順調にゲームを押さえていき3-0でリードしたが、次のゲームでリードされ、ゲームを取られかかると突然攻めることをやめ、後ろに下がってつなぎに徹し始めた。
6-0で何としても勝つという思いがそういう作戦を取らせたのだろうが、ベースラインでの打ち合いが延々と始まった。

ショートボールで前に誘われても、つなぎのスマッシュを打って後ろへ戻り、ストローク勝負の態勢に入る。お互い膠着状態のまま10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分が経過して行く。
「ここを落としても次で取ればいい。リードしているんだからみすみす相手に合わせることはない。疲れ切ってしまう」と思ったが、そんなアドバイスも受け入れそうにない。

ミスのないテニスとは相手がミスをするまでじっと我慢するテニスである。お互いの我慢くらべが延々と続く。ただつなぎ合っているだけのように見えるがミスをしないためには集中力が要求されるし、暑い中、体力も消耗する。
とうとう相手が根負けしたのか、打ったボールがバサッとネットにかかった。見ていた誰もがフッーと息をついた瞬間だった。

結局彼らはたった1ポイントを取るために1時間10分も打ち合った。
それが試合のヤマだったのだろう。あとはすんなりとポイントを重ね、宣言したとおり彼は6-0で勝って来た。

次にベスト4決の試合に入ったが、彼は疲れ切っていて実力的には恐らく勝てたであろう試合をあっさりと落とした。ダブルスが勝っていたので普段の力を出せば県ベスト4に入り、更に上位大会へと夢をつなぐことも出来たかもしれないが。

勝負を知っている人から見れば幼いと言われるかもしれないが、1時間10分をかけてもぎとった1ポイントは彼にとっても大事なものだったろうし、僕にとっても忘れることの出来ない驚きであった。


また例えばこんなこともあった。

転勤した学校で再びテニスの顧問となった。が、コートに顔を出して驚いた。コートは荒れ、ロープも使わずラインカーでラインを引き、練習も三々五々集まって適当に打っている状態。

前任校で見ていた生徒たちのような気迫はまったく感じられない。新設間もない学校でノウハウも指導者もいなかったから仕方なかったかもしれない。部としてもバラバラ。どうやってもうまくいかない。試合もあっさり負けて悔しがるでもなく厳しく当たっても反発するでもない。

やる気があるの?そんな思いを先輩の教員に言うと、「海の子、山の子、街の子って言うけれど、ここの子は典型的な山の子で感情がストレートに前に出ない。でも素朴で純粋な子が多い。そのうち分かる」と言う。
そんなものだろうかと思ったが煮え切らない思いは拭えなかった。

夏になり新人戦を迎えた。その頃、高校の大会は何百人という選手を一会場に集めるだけの施設がなく、各学校が会場として割り当てられ、選手はそこに分散して試合をしていた。各会場では割り当てのブロックの中にいる自分の学校の選手がコート整備や試合の進行を行っていた。

その日はたまたま割り当てられたブロックに部員が一人しかいなかった。前日にコート整備はするものの当日朝の整備は必要だった。その部員に7時半に来て一緒にやろうと伝えて帰ったのだが、翌朝来てみるとコートはきれいに整えられ汗だくになってその部員がコートに水を撒いていた。

「終わったの」と問うと「終わりました」と答え、「何時に来た」と問うと「6時です」と言う。
彼は6時に来てコート3面にブラシをかけ、普段は2、3人で引くローラーを一人で引っ張って全面かけ、ラインをはき、ネットを張って水を撒いていたのである。それ以上何も言わない。黙々淡々として水を撒いている。水を撒き終わると本部席を作り、選手の出席を取り始める。

試合が始まったが、幸か不幸か彼の試合は一試合目で、技術的に劣ることもあろうが、疲れもあろう、あっさりと0-6で負けてしまう。9時開始で9時半には試合が終わっているのである。

それから敗者審判をし戻って来て本部で進行を行う。その間も合間をみて水を撒きラインをはく。全試合が終わるのが5時頃。そこからネットを片付けブラシをかけ、夏のことでコートが乾燥してしまうため、それから1時間ほどコートに水を撒いて帰って行ったのである。

コート整備、マナーは勝つことより大事と言い続けては来たし、テニスをする以上、そうしたことは当然求められることだったが、その日は彼を見ていて何だか切なくなってしまった。

その日、彼は12時間コートにいて、自分のために使った時間は30分だけ。その試合のために練習もして来たのである。それでも「悔しい」とも言わないし「大変だ」とも言わない。ひたむきな真面目さと言おうか、一途な純朴さと言おうか、それまで表面に現れて来るものだけを見がちだった自分を反省させられ、部活動とは何かということを改めて考えさせられもした。


長くなって恐縮だが、もう一人紹介したい。
次に書かれているのは、「さっちゃん」という女生徒の話で、静岡新聞の「教師の歳時記」というコーナーに依頼があって書いた記事である。
そのまま載せたい。

二月、三年生が家庭学習に入ると学校は急に寂しくなる。進路相談や勉強の質問で賑わっていた職員室も半ば灯が消えたようになり、いよいよ卒業が間近に迫ったことが実感されるようにもなる。
ただ三年生にとってはまだすべてが終わったわけではない。大学受験は今が山場であり、登校して日暮れまで勉強していく生徒も少なくない。そういう生徒たちが窓際で薄い日に暖を求めながら一心に机に向かっているのもこの時期の光景である。
職員室ものんびりとしているわけではない。生徒たちから日毎に合否の電話がかかってくる。その電話に職員室全体が一喜一憂するのも二月の典型的な光景と言える。岐路に立つ生徒と担任の対応には我が身のような切実さがあるが、そうした言葉を耳にしながら、私は去年卒業したある生徒のことを幾度となく思い出していた。
「さっちゃん」とその生徒は呼ばれていたが、彼女は特に目立つ方ではなく、むしろ、いつも遠慮がちにしていた。誰にでも好感を持たれていたが、それは彼女の素朴さが素直なかたちで表れていたからだと思う。
彼女が一年生の時、放課後のクラスを覗いてみると、教室の机がいつでも綺麗に整頓されていた。毎日それが続くので、一体誰がやっているのだろうと職員室で話題になったが、それが彼女だった。彼女は毎日部活動が終わると教室に戻り、黒板やカーテンなど隅々まできれいにして帰っていたのである。朝は一番に登校し、冬はストーブをつけてくれたりしていた。不器用で勉強は必ずしもできる方ではなかったが、気持ちの優しい生徒だった。
そんな「さっちゃん」が短大に合格した。連絡を受けた時、職員室は沸き返った。「よかった」と誰もが口にし、心から彼女の合格を喜んだ。合格というのは誰彼の区別なくうれしいものだが、この喜びには特別なものがあった。彼女の人柄が報われたことが私たちには単純に嬉しかったのである。
高校生活をどう過ごすかは、その生徒によりさまざまである。いろいろな生徒がそれぞれ貴重な思い出を残して母校を去っていくわけだが、その一つとして、この「さっちゃん」のことを、この時の職員室の雰囲気とともに、私は大切に胸に留めておきたいと思う。

静岡新聞

ノスタルジーなのかもしれないが、人より抜きん出て輝くことだと受け取られがちな個性という言葉は、実は実直に地道に自分が自分らしくあることであることを教えてもらった。
「自分になる」という作業は、外にきらびやかなイメージを求める作業ではなく、忠実に自分を掘り下げて行く作業ではないかと僕は思ってみる。

「昭和の世界だ」と言われてしまうかもしれないが。


■土竜のひとりごと:第94話

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