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第59話:夢のない夢の話

古典の世界では、夢は「イメ」なのであって、これを「寝目」と書く。精神世界の豊かだった昔は眠りに落ちるとたま肉体むくろから黙って抜け出し、勝手にあちこちを散歩なさっていた。そんなふうにムクロを抜け出した魂が外出先で目にしたものが夢だと考えたのだという。その意味でまさに夢は「寝目」なのである。

愚問ではあるが、皆さんは夢をご覧になるだろうか。実のところ、この何年か、僕はほとんど夢を見ていない。カミさんは「どうせ覚えていないだけでしょ」と例によって僕の記憶力のなさを責めるのだが、とにかく夢なるものを見た記憶がない。

布団に入ると同時に意識がなくなって、3秒も経ったと思うと、もう目覚ましの音に起こされてしまう。「あと5分、あと1分」「今日は仕事に行かない」「このぬくもりよ永遠に」などと布団の中で格闘し、遅刻すれすれに職場にたどり着くのが常なのである。

ひょっとしたら僕は夢に恵まれない生まれなのかもしれないと思ったりするが、たくさん夢を見たはずの子供時分でさえ、今、思い出せるの夢は二つ。

一つは洞窟のような狭い空間にいるのだが、大きな岩の塊のようなものが後ろから迫って来て、圧し潰されようとするのを必死で逃げていく夢。
もう一つは訳も分からず銃を持った数人の男に追われ、海岸の岩場に身を潜めながらじっと息を殺している夢。
夜明け方に目が覚めて、もう一度同じ夢を見るのではないかと眠るのが怖かったことが幾度もあった。それはそれは悲しい夢なのである。

どうやら、僕の「魂ちゃん」は寂しくて仕方ないらしい。

一方、そんな僕をよそに、カミさんの「魂」は元気一杯であるようで、よく夢を見るそうである。別にそれ自体は一向に構わないのだが、困ったことに朝起きると、「ねーねー、私、夢見たの」と僕をつかまえて、夢の話を始める。

カミさんの夢に別段興味があるわけでもないが、聞かないと大変なことになるので一応聞くだけは聞くことにしている。しかし、その夢は随分くだらない夢が多いのであって「ふーん、はーん」と適当に聞くことにしているのだが、そういう僕の不実が積もり積もったせいか、カミさんの報告する夢が段々あてつけがましくなってきた。

ついこのあいだも、「ふと気が付いたら、私、大学の本館の階段を上っていたんだけど(カミさんとは大学の同期生)、大きな荷物を一つ背負っていて『重い重い』って言いながら必死で上ってるの。そのそばをあなたが通ったんだけど助けてもくれないでさっさと通り過ぎて行ったのよね。あなたってなんて薄情なの」などと言って怒っている。

自分で勝手に見た夢の中の僕の行為など責めないで欲しいと思うのだが、更に続けて「その後で中学校の同級生が通って行ったんだけど、その子は私の荷物より大きな荷物を二つ背負って、ずんずん追い抜いて行くのよね。それで追い抜く時に『いいわよね、あなたはまだ一人だから』って言ったの。これ分かる?」などと言う。

フロイト先生の分析を待つまでもない極めて単純な夢であり、カミさんのひきずっていた荷物は、息子。黙って通り過ぎて行った僕は、子育てを手伝わないグータラ亭主ということになる。全くの嫌味でしかない。

僕の「魂ちゃん」は、ますます寂しくて仕方なくなってしまう。


夢を見ない僕も、ふと昨日、久しぶりに夢を見た。
子供のころ小学校に行くのに必ず通った国道に架かる歩道橋があったが、夢の中の僕はその上に立ち、手すりに寄り掛かりながら、下を走る車の流れを見ていたのである。

その時、数人の小学生が通り掛かったのだが、その中の一人の男の子が通り過ぎて行きながらふと振り返り、スタスタと近寄って傍に来たと思ったら僕を見上げ、
「オジサン、はやまっちゃだめだよ」
とやさしくアドバイスしてくれたのであった。

僕の「魂ちゃん」は、いよいよもって寂しくなってしまったのだった。

皆さんは「楽しい夢」というやつをご覧になったことがあるだろうか。切にお窺いしてみたいところである。(次話に続く)

(土竜のひとりごと:第59話)



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