第205話:マスクにマスクを重ねる
最近こんな話ばかりしているような気がするが、人の顔が覚えられない。
いや、顔は分かるが名前と顔が一致しない現象が歳とともにひどくなっている。俳優とか歌手は勿論、卒業生がやって来てもわからない。その子の顔ははっきりわかるし、どんな性格だったかも、高校時代の様子や進学先、そうした付帯状況は分かるのに、何故か名前だけがまったく思い出せない。
これはせっかくやって来た卒業生にとっては幻滅に値することのようで、「えーっ、ひどい忘れちゃったの」とか言われると、こちらも辛くなる。
生徒は覚えているのが当然と思い込んでいるので、街で会ったりするといきなり「センセエ、★■÷Σ・・」としゃべりかけて来るが、わからない。
名前を思い出せぬまま話を続けてそれで済む場合はいいが、「先生、私、覚えてる?」と聞いてくる子が結構いる。
いつだったか三人の女子の卒業生がやってきて「私たち、わかりますか?」と聞くので、「これは危険だ」と思いながらそれでも「君は○○、お前は△△」と記憶を必死で手繰りながら思い出したが、あと一人が思い出せない。「えーっ、ひどい私だけ、どうして」と言われて閉口した。
1年に300人弱の生徒が目の前を通過していく。部活の生徒や1年から3年まで授業やクラスを担当すれば、かなり明確に記憶に刻まれるだろうが、ここ9年は連続してずっと3年生だけの担当をしているから、付き合いは一年きり。
単純計算すれば9年間でざっと2500人くらいが目の前に現れては去っていったわけである。覚えられずとも仕方あるまいと、可愛そうな自分に言い訳を許してあげることにしている。
だから最近は彼ら彼女らが卒業する時に「どんなに親しい間柄であった人も、僕の脳の劣化からすると次に会う時は僕の脳から名前が消去されていると思って、まず、○年前、○○学校でお世話になった○○ですと名前を名乗りなさい」と強要する。「それが君たちが身につけるべき教養だ」と。
わけてもこの2年は、コロナの影響でみんなマスクをしているので、忘れるどころの話ではなく、名前のインプットすらできない。授業だけしか行っていないクラスの生徒は3分の1くらいしかわからない。
マスクは顔の半分くらいを隠すわけで、姿も見え、髪形もわかるし、目の表情も見える、が、なんだかみんな同じように見えて仕方がない。
マスクを取った顔を見ると、ああこの子はこんな顔をしているんだと、全く違う顔の出現に驚いてみたりもする。
不思議なものだが、人間はやはりトータルでその人なんだと痛感したりしている。
名前を覚えられないことも大きな問題だが、学校という現場で最も困るのは、その子の本当の表情が見えないということだ。目の表情は見えるが、それで本当の表情が見えるわけではない。「目は口ほどに物を言う」と昔から言うが、そうでもないと最近思う。
ニコニコしている目の下のマスクの下で口はへの字に曲がったり、チェッと舌打ちしているかもしれない。あごの輪郭や口もとの作り出す表情は、マスクで隠れてみると、「本当の顔」を理解するのにすごく大事なものだと痛感する。
ただ、話は少し飛躍するが、マスクを取り除くとその人の本当の表情や顔が見えるのかと言うと、そうでもない。腹の底で何を考えているかはわかるものではない。
顔は英語で基本的には face だが、「彼のルックス最高!」とか「甘いマスク」とか言ったりもする。
looks は見た目ということだろうが、mask は辞書には、覆面・仮面の意味があり、wear(put on)a mask は「マスクをつける」と同時に「正体・本心を隠す」という意味で用いられるとある。
under the mask of friendship であれば「友情を装う」ということになる。
「顔」には本来そうした「偽りの」という意味がもともと埋め込まれているのかもしれない。
人は自分の素顔を隠すために、化粧をしたりサングラスをかけたりもし、あるいは裏アカウントで別人になりしたりもするが、そうすると、それは「偽りの顔」の上に「偽りの顔」を重ねようとする行為なのかもしれない。
「素顔」とは言ってみれば「裸」だから、服を着て裸を隠すように「素顔」は隠したい。もっと言えば、素顔の奥にある「自分」を隠したいのかもしれない。
確かに自分でもマスクをしている方が楽に人と向き合える。変身できれば楽だ。自分でない自分でいられる。
そんなことを考えてみたのは、僕らはコロナ禍でマスクにマスクを重ねていることになるのかもしれないとふと思ったからである。
勿論、この物としてのマスクの着用に「隠そうとする作為」が働いているわけではなく、半ば義務として身につけているわけだが、人と人の距離を作るのに一役買っていることは間違いない。
ネット社会と言い、コロナ禍と言い、人の気持ちを「読むこと」が難しい時代を迎えている。
■土竜のひとりごと:第205話
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