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引きこもる

コロナもすっかり下火になったと感じられる昨今だが、実は1月末にコロナに罹った。受験期にはかからないように、この2年、忘新年会も教え子の誘いも断って、相当に注意して過ごしていたのだが、見事に大事な時期に一週間休むことになってしまった。

振り返れば、秋口から、老化?ストレス?うまく唾が出ないのをガムを噛んで誤魔化していたら、歯茎がひどく腫れて痛み出した。歯医者に暫く通ったが原因はよく分からぬまま。その間、物をうまく噛めず、すると今度は段々に胃が痛くなり、年末25から28日の4日間の試合で体調を崩し、年明けからは空腹時に胸痛を感じるようになり、これは食道?と思い、胃カメラの検査を受けた。
(なんかボロボロですね。)
幸い癌も潰瘍もなく、でもかなり荒れているということだったが、今度はその3日後から喉の痛みが出てきた。真偽不明だが、多分その時に待合室でコロナウィルスを拾ったような気がする。

喉の痛みに加えて頭痛、寒気もあったので「これは」と思い、薬局でキッドを買い抗原検査をしてみると陽性のラインが出た。翌日病院で再び検査をして陽性が確定。一週間分の薬をもらい、一週間の療養期間に入ることになった。

以上、長々とコロナ罹患までの、つまらない経過報告である。


症状は、一般に言われていることとほぼ同じだった。喉の強い痛みは三日間続き、唾を飲み込むだけで痛く、特に夜中がきつかった。基礎疾患は持っていなかったが、相応の喫煙者であったので重症化を心配しないではなかったが、それ以上重くなることもなく、快調とは思えないものの4日目くらいからはほとんど病気を感じない平常に近い日々となった。

家族にうつすわけにはいかないので、自ら隔離状態に閉じこもった。

自分の部屋に布団を持ち込み、その狭いスペースに強引に敷いて就寝する。足の踏み場もない。食事や飲み物は部屋の外に台を置き、そこで受け渡しをすることにし、何かカミさんとはLINEで連絡を取り合った。
休養期間とは言いながら、業者から電話がかかってきたり、解いていない入試問題を解いたり、数人の生徒とはネット上のやりとしで個別指導もした。

ただ時間は膨大にあって、ちょうどWindows8.1のサポートが切れたので買い直したパソコンの調整をしたり、youtubeを観たり。今まであまり聴く機会もなかったが、聴いてみると神田伯山は無類に面白かった。何年も放り込むだけになっていた机の引き出しを開けて片付けてみたりもする。いろんなペンが片隅で使われないまま使えなくなっているのを可哀想に思い、エジプトの紙幣だとか、使い切ったテレカとか、こんなものも入っていたかと、片付けようとして、また仕舞い込み、結局片付かないまま引き出しを閉める。部屋の中も少し片付けてみるが、狭い6畳で本棚ばかりの部屋は片付けるにも限度がある。

時々猫がやって来る。しばらく布団の上で丸くなったり、散歩しようとねだったりする。そうして猫に誘われて時々外へ出る以外は、机の椅子にポツネンと座って一日を過ごす。
長い長い時間である。
夕方になると「早くご飯にならないかなあ」と思いながら、でもご飯が来ると一瞬で食べ終わってしまう・・。

この取り留めのない時間は何だろうと思ってみたりした。こうして狭い部屋の中に閉じこもったまま、一日のほとんどを過ごす。

この狭い部屋だけが僕の「世界」
そこにある長い長い「時間」

でも不思議なことに、それが段々に苦痛ではなくなっていき、この狭い世界に一日中、一人でぽつねんとしていることが、ふと何だかすごく穏やかな心地よいものに思えたりもしている自分を発見したりもした。

それは何なのだろう。

引きこもる・・。ふと、引きこもる子どものことを考えた。何年もそうしている。気持ちの優しい子である。彼はどうやって、何を思って、この長い長い一人の時間を過ごしているのだろう。
それは多分苦しい日々なのであろう。でも、その中に「隠れ家」に籠っているような安寧を感じたりもしているのだろうか?そこから出なければいけないと思いながら出られないのだろうか?出たいけれど出たくないのだろうか?

長い長い時間・・。
その「彼の時間の長さ」を僕はこんなふうになって初めて考えてみた。


人の心を扱い難い。・・最近とみに思う、どんよりとした「つぶやき」である。


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