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糖質制限と真ん中にあるもの

今日書くことを思いついたのに今忘れてしまった。
糖質制限をしたら体重が増えてしまったのでやっぱり運動が基本だと思う。先に運動、筋肉つけてから食事制限。ウオーキングとランニング。運動の習慣をつけるために買ったスニーカーが足に合わない。宇多田さんがNIKE好きなのでたまにはいいなと思って買う時人に1サイズ大きめのを買ったのだけど、なんでサイズあげなきゃならないのかなと思ったら足幅が狭かったのだ。どうりで私の靴箱にないはずだ。やっぱりアシックスとか日本メーカーのスニーカーが合う日本人体型だなと思う。オニツカタイガーに戻す。ニューバランスも合うけどデザイン気にいるのがなかなかない。
そう、何を書きたかったのか思い出した。

私がなぜ演劇を続けられているのかっていうと、身体表現に出会ったからだ。それまで演劇ってダサいし、かっこ悪いと思っていた。でも私のみていた演劇はカッコよかった。セリフに特化した演劇とは違って、かっこよかった。衣装も、照明も。具体的なストーリーや人物が活躍する演劇より抽象的でよくわかんないことを喋っている舞台の方が好きだった。それに尽きるのかもしれないなって思っている。だけど、社会的に必要とされたり、人気があるのはなんやかや言っても具体的なストーリーや人物があるものだったりする。だけど、だからと言ってそれで立ち止まる必要はない。
演劇でもなんでもダサいよりかっこいいほうがいいし、若手の演劇はクールでスタイリッシュな舞台が増えている。いつまでもつきまとう問題は、私自身はクールでスタイリッシュなキャラじゃないっていうことだ。
それでも、いくら見た目がクールでカッコよくても演劇は泥臭い部分があるから演劇だ。隠されているだけで、中心にあるものは人としてお節介で、愛しい部分だと思う。そして、実験的で冒険心溢れるもの。時には人を人として扱うことも忘れてしまいそうなくらい作品づくりに没頭する愚かさと探究心。そういうもの全部ひっくるめて演劇だ。
私は演劇に音楽が切り離せないと思っているし、演劇は音楽で、音楽は演劇じゃないかとも思っている。きっと文化芸術においては境界線などなくって、そこにあるのはなんだか光のようなもの。深海の中に届く一筋の光。それを目指しているだけじゃないかしら。

もっと伝えられるように、筋トレをする。




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