見出し画像

本を好きになった理由など

本は子供の頃から好きだった。
国語の教科書はもらった初日に全部読んでいた。
図書館でマガーク探偵団とか、赤毛のアンシリーズとか全部は覚えていないけど楽しそうなものを見つけては読んでいた気がする。はだしのゲンも読んだけど、これは唯一中学校図書館ににあった漫画だったからな気がする。とにかく、あるもので、楽しそうなものに手を伸ばしていた。
課題図書は苦手だった。読書感想文を書かなきゃなんないし、これ読んだら安全だよ、なにか教訓があるよってお墨付きをもらっているようで、なんだか楽しめなかった。なにがあったかおぼえてないけど内容的にも小難しく感じたし子供ながらにひねくれていたのかもしれない。

一番最初に意識して本を手にしたのは山田詠美さんの本だった。
本を手にした理由は単純で、当時好きだったバンドのボーカリストが彼女の本が好きだという記事を見かけたからだった。
「放課後の音符」というタイトルにまずときめいた。本屋で手に取った時、装丁に薄いパラフィン紙がつかわれていて、なんだかすこし大人になった気分になってますますときめいた。周囲が少女漫画を読んでいる中、素敵な本を手にして頁をめくるという行為にも背伸びをしたい年頃の私には小粋に感じられて、ココアにバターを落とすと美味しいのよ、と大人びて言いたくなるような本だった。この本との出会いが小説を読むきっかけとなった。

今、コロナになって外に出る機会が奪われて、舞台を見る機会も少なくなって、改めて本のありがたさを感じている。
求めている言葉が見つかる瞬間がある。私が言語化できなかったことを言語化できている人に会える時がたまにある。それはたぶん、これまでの経験で培った嗅覚めいたものが引き寄せているのだと思う。必要だと思う本を嗅ぎ分ける。

本と出会うということは、私と同じように感じている人がここにもいると信じられることでもある。コロナ禍になって会う人数が限られてくる。変化のない価値観、固定化されていく感覚で心が萎れていく。新鮮だったことが色あせてしまう。それはおそらく自分自身が変わってきた証でもある。今までフィットしていた感覚と合わなくなってきた、ということ。
そういう時に本屋や図書館に行って出会いを求めていたのだと思う。

この欲求は切実なもので、周囲に友人がいないという孤独感として現れる。誰とも話が通じなくなったり、ぽつんと取り残されていると感じる。特別なことではない。誰もが感じることだと。年齢や経験を重ねるにつれて、ひとりひとりが歩む道の違いはどんどん広がっていく。今まで手を伸ばせば掴めたり、近くの道を歩いていたひとが、道が違ってきたことを感じる。

そんな時に私は本を求めていることにハッとした。その行為は友人たちと別れるためではなく、自分が今歩いている道の先を歩いている誰かに出会いたいからなのだろう。間違ってないと思いたいのかもしれない。心の拠り所をもとめているのかもしれない。

子供のころは地元を離れることを夢見ていた。いまも遠くに憧れることは多々ある。今ここよりも、自分を受け入れてくれるような場所や呼吸がしやすい場所は他にもあると知っている。
それでも今私はここにとどまることを選んでいるのはなぜなのかいまはわからない。

この記事が参加している募集

読書感想文

サポートあれば嬉しいです!皆様の心の励みになりますように。