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ケイパビリティを解放する


6月のジョブコーチに続いて、今私は両立支援コーディネーターの基礎研修を受講中です。
両立支援コーディネーターは(従業員=患者)を中心として、病院、会社、家庭等その人を取り巻く環境が円滑につながるように支援する人のことです。

両立支援は医療寄りなところもありますが、特性や障害を抱えて働くとなると病院との連携は必須だと思ったので、脳みそフル回転で頑張っています。

昔は、農村的コミュニティが主軸にあって男性が礼儀や文字の読み書き、学問を説いたり子供と密に関わりを持っていました。女性も同様、生活と労働を共に行い、村全体がコミュニティとなりその中で人は育っていきました。

しかし、それが崩れてきて、核家族で男は外に出てお金を稼ぎ女は家を守る。土地や財産を持たず仕事に応じて報酬をもらって生活する世の中に変わりました。

教育ももちろん、それに伴って大正中期からの中学受験競争=学力主義に変わり・・・この流れは今でも続いていますね。
教員の苦悩も同様に、警鐘を鳴らすように武者小路実篤などが「白樺」という雑誌を創刊したりして白樺派という改革派が現れ始めた。と本に書いてありました。
北原白秋が「学校は大人が造った一種の牢獄である」と批判した記述もあって、大正・昭和・平成・令和と時代がうつって高度経済成長の終りが見えた今だからこそ、世の中も教育も変わろうという動きになっているんだな、と腑に落ちました。

本来教育は、子ども一人ひとりの違いや特性、持ち味を尊重することで必然的に「差」「別」をはっきりさせるもの。生まれながらの才能や開発された能力の違いがあることは当たり前で、教育をすればするほどそれは明確になります。

だからこそひとりひとりの持ち味を生かせるのに、今は差があることを「レッテル」「優劣」というネガティブな捉え方が横行していて「自分だけにしかできないことをしたい」と思う反面「みんなと同じ(平均)から出たくない」という葛藤が生きづらさを生んでいるような気がしてなりません。

労働者という面から見ると、病気や障害を抱える人、女子供は即戦力にならず、弾かれる。そうすると、世の中の歯車から外れて「保護される」ことでしか生きられなくなってしまいます。
保護されているうちは、鳥かごの中から出られず、与えられる餌を待つだけで自分が何をしたいのか、どんな夢を叶えたいのかという主体的な思考は失われていきます。

-私は一体、誰の人生を生きているんだろう-

子供を抱えて、私も鳥かごの中から出る意志すらなかったこともありました。
でも、震災があって生きることに真剣に向き合ったら「このままではだめだ」と自分の使命が見つかりました。

-肩書なく繋がる世界を作りたい-

男性女性、特性や障害あるなし関係なく、自分がやりたいことに挑戦できてなりたい自分に一歩踏み出せる場所づくり。それを支えるコーディネーターの育成。

やることは盛り沢山ですが、少しずつ自分にできることから進めていきたいと思います。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親