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最近、楽しく飛んでいますか

ニュージーランドで飛行士をしているAshです。

姉妹アカウントから来た方は、ようこそ。

noteが始まった2014年から、上のアカウントでなんとなく航空関係の話題を「書き散らして」いました。

私自身の飛行日記として、航空業界での話題、フライト中に気づいたことなど、都度、意識にのぼったことをポンポンとマガジンに放り込んでいました。その時々で問題意識はバラバラで、良い意味でも悪い意味でも「書き散らして」いました。その書き散らし具合が、まるで散らし寿司のように雑多な味を出したのか、マニアックな有料マガジンにも関わらずご好評いただいております。

このAsh飛行士【飛ぶことは楽しい】では、航空関係、それもパイロットのトレーニングや就職にネタを絞り「飛ぶとは楽しむこととみつけたり」をテーマで書いていこうと思います。なぜそんなことを思ったのかは、後述しますが、姉妹アカウントが雑多な味を出す「(書き)散らし寿司」なら、さしずめこれは本気の「握り寿司」。ネタにもこだわり、最近、飛ぶことに少し悩んでいる人に届けるための記事をたくさん作っていく予定です。

姉妹アカウントでどれだけ書き散らしているかはこちら

あらためて自己紹介します

私はニュージーランドでエアラインの飛行士をしています。

2010年にニュージーランドに渡航し、2013年に飛行インストラクターとして飛び始め、2018年にエアラインに就職、現在はFOとしてDHC-8-300という飛行機に乗務しています。スーファミのマリカーが得意です。

高校生の時に自衛隊の航空学生に応募しましたが、視力が原因で落とされました。その後、工学系の大学に入りましたが戦闘機パイロットになれなかったことを引きずって勉強に身が入らず、2年で中退してプラプラしていました。

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戦闘機パイロット以外にやりたいことを見つけられず、とりあえず英語くらい喋れるようになろうと専門学校で英語を学びました。就活では片言の英語を武器に、自動車部品のサスペンションを作る会社に営業職で内定していました。ところが、たまたま開発部に英語を喋るやつが今すぐ必要ということになり、偉い人から電話がかかってきた翌日にまるでクレーンゲームの景品のように部署を移され、会社史上初、理工学部卒でない、それどころか大学すら卒業していない半端野郎が社の中枢である開発部の一員として着任したのです。

「エンジニア」としてモトクロスバイクのサスペンションを設計・開発をしていましたが、26歳の時にキャリアチェンジを決意しました。戦闘機パイロットにあらずんば人にあらずと考えていた若き自分も、半端野郎としてキャリアを重ねるうちに、今更ながら、空を飛ぶのは戦闘機だけではない、と気づいたためです。2008年のことだったと記憶しています。(おせえよ)

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その後紆余曲折あり、前述の通り2010年にニュージーランドの飛行学校で飛行技術を学びました。その後、帰国して日本でパイロットを目指す予定でしたが、ニュージーランドに魅せられてしまい、大きなリスクを取ってこちらに戻る決意をしました。

しかし、このときの私にとって、外国でエアラインのパイロットになるなどということは、夢のまた夢。ビザもないし、フライトタイムもない。最初の仕事もない。当時の自分と、目指すものの間には、大きな断絶がありました。

それでも、一つ一つの課題を全力でクリアしながら訓練生、インストラクターとキャリアを重ね、飛行士になると決心してから10年間、誇張ではなく「命を削る」思いで掴んだのが現在の私の、海外のエアラインパイロットというポジションです。苦しいことはたくさんありましたが、同時に様々な幸運と良縁に恵まれ、なんとかエアラインの端くれに引っかかっています。

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私にとって、自費で海外の飛行学校で訓練をし、パイロットキャリアへ踏み出すことは、恐怖と希望が混在した、不思議な感覚を伴うチャレンジでした。自分が本当にやりたいと思っていることに、自分の意思で踏み出す喜びがある一方、努力が実を結ばなかった時の絶望を想像しては、二の足を踏むことを繰り返していたのです。

2008年から実際の渡航まで2年かかったのは、そういうことです。自社養成と呼ばれる日本の航空会社の「パイロット就活」をしていたこともありますが、要するに、自費でやることにビビっていたからとも言えます。しかし、結果論ですが、私は空を飛ぶことを選択してよかったと思いました。

飛ぶことは楽しい

本当に、心底空を飛ぶことが楽しい。私は今、DHC-8-300(通称ダッシュ8)というターボプロップ機(ジェットエンジンにプロペラをつけた飛行機)で国内線を担当していますが、一度も仕事に行くのが憂鬱だと感じたことはありません。

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国際線を飛ぶような、大きなジェット機と比べて、私が飛ばす飛行機は小さいです。50席しかありません。それでも、インストラクターとしてぺにゃぺにゃのセスナばっかり飛ばしていた私にとっては、タービンエンジンを2つつけて、メカメカしい丸目の計器がたくさん並んだコクピットを持ち、海軍機のようなガニ股の脚を持つダッシュは、最高にセクシーな愛機なのです。そして、興味深いことに、隣で飛ぶキャプテンも、ほぼ誰もが同じことを言うのです。

「ダッシュっていいよね。」

私の知るニュージーランドのパイロットは、皆、同じことを言います。それは、ダッシュに限らず、エアバスであれ、ボーイングであれ、ATRであれ、とにかく自分の乗る飛行機が最高の飛行機だ!と、勤続20年以上の白髪を生やしたキャプテンがガハハと笑いながら我が愛機の一番前に座れることを誇らしく語るのです。

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パイロットの給料は、基本的に飛行機の大きさに比例します。「運ぶケツの数が多いほど、多く稼いでる」という理由のようです。普通に考えれば、給料の高い大型機にみんな乗りたいと思うかもしれません。

もちろん、ステップアップを望む人もいます。たくさんいます。しかし住環境や人間関係、機種や給料など、様々な要因から総合的に判断してこの小さい飛行機に残る人もたくさんいます。そして、そうやって自分にとって何が大事かを総合的に、主体的に判断した人は、私が知る限り飛ぶことを楽しみ、仕事を楽しむことができています。

まとめ

さて、長くなってしまいました。コロナの影響で飛ぶ仕事がめっきり減ったので、ここらで自分が辿ってきたキャリアの棚卸しをして、誰かの役に立つことはできないかな、と考えました。それがこの「握り寿司」アカウントを作った理由です。

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私は訓練生時代、自分の技量が思うように上がらず、スランプに陥った時期がありました。また、インストラクター時代、キャリアアップのチャンスをもらえずに悔しい思いをしたこともありました。そんな私でも、今、エアラインで愛機のコクピットに座り、飛ぶことを楽しむことができるようになりました。

世相は、目まぐるしく変化しています。現在、不安を抱えているパイロットや訓練生の方は多いのではないでしょうか。私もそのうちの一人ですが、このような不遇の時にこそ、自分がやるべきことにフォーカスし、今をサバイバルすることが、トンネルの反対側に出た時の景色を変えると信じます。

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この「握り寿司」アカウントでは、主に、私の訓練生時代のブログをネタにして、私がどのような訓練をしてきたのか、その時何を考えていたのか、そして、今それを俯瞰してみてどう思うのか、そういったことを解説していきたいと思います。

今、飛ぶことに迷っていたり、飛ぶことの楽しみを忘れてしまったパイロットの方が私のnoteをみて、それを思い出す人が一人でも増えてくれれば、望外の喜びです。

2020年4月末日

筆者

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