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8/20 おじいちゃんとの思い出

先日祖父が亡くなりました。
飛行機で1時間程度のところに住んでいて、コロナ禍になってからは何年も帰省していませんでした。

私が帰省できていない間に、比較的近くに住んでいる叔母から祖父がボケ始めたと聞き、認知症と診断されたと聞き、施設に入ったと聞きました。
それぞれがいつの時期だったかは覚えていません。

まだ祖父が家にいた頃は電話で「おじいちゃん?そらだよ、覚えてる?笑」と話していました。本当に覚えているかどうかはわからないけれど、「うんうんそらちゃんね、覚えてるよー」と返してくれていたのが、何を言っているのか、きちんと発音できなくなっていきました。

基本的に母と叔母で祖父母のことはやりとりをしていたので、私はあくまで母や叔母から報告を聞くだけの立場でした。
施設に面会に行った叔母から祖父の写真が送られてきて、もう私のことを含め色々なことを忘れているのだろうけど、元気なんだなとあまり深刻には考えていませんでした。
言い方は悪いですが、特別気にすることもなく、「おじいちゃんは施設で生活している」それだけでした。

先月あたりに叔母からいつものように写真が送られてきた時に、「もうすぐ死ぬような人には見えないね」とコメントがあり、もうすぐ死ぬってどういうことだろうと不思議に思いました。母は私にその時の祖父の状態を教えてくれていなかったから、まさか口から物を食べられなくなって胃瘻だなんて思っていませんでした。

今月に入ってすぐ、もうもたないかもしれないと言われ、もし亡くなったらすぐに帰省するからそのつもりにしておいてと。
また写真をもらいましたが、やっぱりそんな風には見えなくて、大丈夫だろうと心のどこかでは思っていました。
実際それから割とすぐ亡くなり、お葬式の会場に着いて、おじいちゃんに会いました。私の知っているおじいちゃんとは別人のようでした。髪は施設の方がお風呂に入れやすいようにほぼ坊主くらいの短さ、胃瘻の状態からさらに栄養をとれなくなった体は痩せすぎていて、全体的に小さく、足は本当に棒みたいに細かったです。本を読んでいるとよくある表現ですが、本当にその通りでした。こんなに細い足首あるんだ、と思いました。

私が小さい頃は帰省すると祖父母は張り切って色々な所に連れて行ってくれたようですが、元々あまり遊ぶスポットがない上に、段々と体が辛くなってきて、遠出をすることは減ったように思います。正直私も遊べるものも場所もなく、従姉妹がいないとつまらないなと思っていました。
私が覚えている中での思い出話ですが、私が帰省した時、祖父は朝に山に散歩に連れて行ってくれました。
真夏なので、暑くならない時間に行きます。朝の3時頃に起きて祖母や母を起こさないようにこっそり準備をするのも楽しかったです。朝ごはんは当然できていないので、「エネルギー」と称して飴を3つずつ持っていきました。山と言ってもそこまで高くはないですが、山のふもとまで車で行き、足元が滑りそうになる祖父を支えたり虫を見つけて騒いだりしながら登って朝日を浴び、降りて帰りました。
帰省中の毎朝山登りに行っていたわけではありませんが、妹ではなく私だけ、私とおじいちゃんのお楽しみのようで、すごく好きで特別でした。

そんなおじいちゃんがもういない、
お葬式で「私のこと忘れないでね」とお見送りしたけど、認知症で私のことを忘れたまま逝ってしまったのかなと思うと、寂しい気持ちでいっぱいです。

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