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心むしばむ就職活動。①こんなのおかしいよ編
先日、就職活動を終えた。気持ちの悪い時間がようやく終わった。
こう書くと、この時期にしては早く終わってるじゃんと思われそうだが、みんなより+1年かかっているので、全然遅いほうだ。
夢や目標をむりやり作り出すあの感じ。これまでの人生のつじつま合わせをするようなあの作業。就活の何もかもが受け入れがたいことの連続だった。
嘘をつくことは悪ではない。でも、自分の過去や未来を偽ったとき、生命としての気高さとヒトとしての雅やかな心は失われるんじゃないか。
この活動を乗り越えられずに病んでしまう人も大勢いるだろうし、これを乗り越えて嫌な大人になっていく人も大勢いるんだろうなと思った。
というわけで、就職留年を経て25卒になった自分の、就活体験記的なものを書きます~。なんか重い感じでごめんよ
大学3年3月~【とまらない違和感】
就職活動を始めたのは大学3年の3月から。
大学入学当初は大学院に進学するつもりだった。けれど、大学院卒業後のキャリアや時勢、自分の興味を鑑みて、やはり学部卒で民間就職することに決めた。
踏み出した就活の世界は、あまりにも異質で不健康な仕組みに溢れていた。
就活の常套句
最初に不可解だったのは、就職活動でよく聞く言葉たち。
どうやら「周りを巻き込む」ことができて、「新しいことに進んで飛び込む」ことができて、「圧倒的成長」を求めている学生が重宝されるみたい。
わっしはこの全てに反した存在なので、多くの会社から求められる人材ではない。が、まあ納得はできる。
そりゃ、リーダー素養やコミュニケーション力があって、野心や向上意欲がある人間のほうが、色々な職種に適性があって、色々な仕事を任せられそうだもん。
それより、言葉が気になるんだ。
「巻き込む」とか「飛び込む」という言葉が、プラスのイメージで多用されている違和感。
誰かと協力することを「巻き込む」と表現するのは、とても強引な感じがするし、挑戦することを「飛び込む」と表現するのは、リスクを全く無視した感じがする。
「圧倒的」という言葉が「成長」を修飾している違和感。
なんで成長することに関して、何かを脅かすような言い回しをするんだ?
自分の語感とかけ離れた言葉遣いに触れ続けると、本当に苦しくなってしまう。
まるで、「大好き」という言葉が「まあ嫌いとは思っていない」という意味で使われているような気分。
こんな言葉たちを、あらゆる求人票で目にし、あらゆる会社説明会で耳にする。
そして、誰も気にしていないことでつまづいてしまう自分に気づいて、もっと苦しくなってしまう。
適性検査
これを選考フローに組み込むのは、どうなんだろうか。
適性検査の多くは、計算や文章読解などの問題を解くパートと、性格診断の質問に答えるパートの2つで構成されている。
特に疑問を感じるのは性格診断パートだ。
性格を数値化して職種適性を判断している、という建前なのだろうけど「美術館によく行くか」のような、人間性の部分に踏み込む質問で判断するのはおかしい。
それに、回答不能な問題が多すぎる。
例えば、「何事も振り向かず前進していく」のと、「時には過去を顧みることも必要」なのとではどちらが自分に近いか?のような問題。
こんなのは時と場合、そして懸念事項の内容によって全く異なる対応をとることになるだろう?。
他にも、「色々なことに興味がある」のと、「現状に満足している」のとではどちらが自分に近いか?のような問題。
パッと見ると二者択一のようだけど、2つの項目は共存できる。
こういった、両者が対の関係になっていない問題はそもそも成立していない。
悪門だらけのアンケートで自分の中身を分類されるのが、とても辛い。
そして、こんな性格診断の一つ一つの項目に疑問を抱いてしまうような人間を弾くための検査だと気づいて、もっと辛い。
問題回答パートも割と理不尽。
SPIや玉手箱という、有名な検査であれば、教本が出版されているので対策可能だ。
一方で、教本がなく事前に勉強することが不可能な検査もある。
そういう検査が課されるとき、会社の方は決まって「皆さんの地頭、生まれ持った頭の良さを見ます!」と言う。
なんだそれ。
もちろん、就職活動の適性検査を突破するためだけに、今まで勉強してきたわけではない。
ただ、これまでの人生で、一般に勉強面はある程度努力でカバーできる性質の分野だという認識があった。
だけど、この人生チュートリアル最終盤では、結局元から学力の素養を持つ人が勝利することになる。
就活にあるのは学歴フィルターではなく、性格フィルターと地頭フィルターだった。
勉強に注力することがこんなにも報われないフェーズは、初めてだ。
こんな感じで、就活特有の要素たちに面食らいながらも、夏ごろまではサマーインターンシップのエントリーに勤しんだ。
この時点で志望先は決まっていなかったが、焦ることもなかった。
孤独な大学生活を通じて醸成された対人コミュニケーションへの不安が、足かせになっていることにも気づかず……。
まだまだ続きます~!
今は終わったから、別に何も辛くないし、苦しくないよ。
どの要素も、終わってみれば理解できる部分はあるけれど、やっぱり納得はできませんね。
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