【感想】親愛なる隣人に想いを馳せて、寒空の家路を歩く 〜”スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム”を見て〜
スパイダーマンが好きだ
スパイダーマンが、好きだ。
ビルの間を糸でグイングインと通り抜けて、
飄々とした軽口でさらりと現れて、
巨悪の陰謀からNYを救う。
小学生の時に金曜ロードショーで出会ってから、ずっと僕のヒーローだった。何回も糸を出す真似をした。自然と赤が好きになった。
社会人になっても、想いは変わらない。ネクタイピンはスパイダーマンだし、クロックスもスパイダーマンだし、ブランケットもスパイダーマンだ。
僕の人生には多くのヒーローがいるが、中でもダントツに憧れている。
追っているのは実写とスパイダーマン:スパイダーバースの映画のみだが、それでも愛は負けないと自負している。
本記事は、そんな僕が最新作「スパイダーマン ノーウェイホーム」の日本公開初日最速上映後の感想を記したものである。
・・・なんて御託はいいんだよ!!!!!!
見ろ!全人類見ろ見てくれ頼む!!
見ろ今すぐ見るんだ!!
これまでをこんなにも最高にしてくれて!
これからをこんなにもワクワクさせる映画なんて他にないぞ!!!!
見ろ!見てくれ!見るんだ!!
できれば今までのスパイダーマンは全部見てて欲しいし、なんならスパイダーマンバースも見てて欲しい!!!!!!!
もっというならヴェノムも見てて欲しいぐらいだ!!
けどもうそんな履修とかは後からでもいいんだ!!
見てくれ!!
頼む!見るんだ!
こんな記事読むぐらいなら映画館へ走るんだ!!!!!
いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!
以下、最速上映観賞後寒空の中徒歩で50分の家路の最中に書き記した、感想である。
拍手が沸き起こった
僕は映画館で拍手なんて聞いたことがない。
だが、この映画の最速上映では、3回も湧き上がった。
そう。
アメイジングスパイダーマンのピーター・パーカーの登場と、
サム・ライミ版スパイダーマンの登場、
そして、上映終了後だ。
ああもちろん、心のどこかで期待はしていた。
でも、でも本当に来てくれると思わなかった。
こんなん最高だ。最高すぎる。
こんな映画体験、仮面ライダーぐらいだ。しかし、難易度は天と地ほど違うはずだ。それでもやってくれた。もうそれだけで大満足である。
長身ですらりとした、コミック調に近いアメイジングスパイダーマン。
あの頃からの成熟した姿を見せる、サム・ライミ版のスパイダーマン。
この姿が見えたとき、会場は騒然となりみんな笑顔になった。最速上映にわざわざ来るファンである。全員、歓喜しないわけがない。
もちろんヴィランたちの再出演にも拍手をしたい気分だ。だが、主役の再度の登場は、この映画における最高の演出の一つだ。ネタバレを踏まなくて本当に良かったと心から感じている。
この3人のスパイダーマンが絡み、互いの違いでびっくりしたり、息を合わせて戦うところなんかもう拳を握りっぱなしだった。自由の女神を駆け巡るアクションはもうもうとても見モノだったし、こんな多方向でワクワクするエンタメなんてあるのかと驚嘆しっぱなしだった。
こんな往年のファンに向けたラブレターのような映画をダイレクト受け取れて、人生の中でも最高に生きてて良かった瞬間だった。
二人のスパイダーマンの後悔を救う
そして往年追っていたファンにとって見逃せないのが、二人のスパイダーマンの後悔を救う演出だろう。
アメイジングスパイダーマンに関しては、間違いなくMJを救えたことだ。予告でもMJが落ちる描写はあり、伸ばした手を取れるのかは注目ポイントだった。
だが、MCU版スパイダーマンの手は届かなかった。代わりに届いたのは、アメイジングスパイダーマンである。グウェンを救えなかったあの後悔を拭うためのワンシーンに胸を熱くせざるを得なかった。
サム・ライミ版スパイダーマンには、オズボーンとのやり取りを挙げたい。親友の父親を救うことなく、死なせることしかできなかった後悔。今回、自身が刃に刺されること、そして正気に戻してやることできちんと生かしたまま元の世界に連れ帰ることができた。きっと元の世界で罪を償わせるために奮闘するだろう。
他にも、ヴィランそれぞれにはドラマがあり、各々のスパイダーマンとの確執があった。多くが科学の暴走でヴィラン化してしまった人々である。彼らを救うことができたというのは、MCU版スパイダーマンが敵を殺さないようにしてきた”救うヒーロー”新時代の姿勢が魅せた、素晴らしいストーリーだった。いやもう涙が止まらない(だからこそ、ミステリオを死なせてしまったことに後悔しているわけであるが)。
さらに、先輩としてMCU版スパイダーマンに復讐をさせない。救うために戦うことを促し協力するのも、まさしく彼ら二人の後悔で、今のスパイダーマンの心を拭い寄り添って、その道に進ませないためだ。きらりと光る先輩風に感慨深い気持ちになった。
MCU版スパイダーマンは今作でスパイダーマンになった
だが、今作はそう言ったファンサービスだけの映画では決してない。間違いなくスパイダーマンの映画としての核が描かれていた。
僕が、スパイダーマンにおいて重要だと考える描写が二つある。
それは、近しい人の死と「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉への自覚である。
僕はこの近しい人の死を、MCU版ではアイアンマンに設定したのだと考えていた。最初からおじさんはいないのは、アイアンマンとの師弟関係を描くと共に、今後のスパイダーマンにおける近しい人の死を経てヒーローへと覚醒させるためのものだと考えていた。
僕は、これは半分正解だったと思っている。MCU版スパイダーマンの二作目ファー・フロム・ホームでは、2代目アイアンマンは嫌がるものの、アイアンマンの死を乗り越えてヒーローとしてミステリオに立ち向かうのだ。ヒーローへの自覚、高校生の自警団ごっこからの脱却は間違いなく描かれていた。
だが、これではヒーローの覚醒だけだったのだ。スパイダーマンへの覚醒ではない。
本作は、スパイダーマンへの覚醒を促す作品だった。それはつまり、メイ おばさんの死である。
彼女は死に、その間際に「大いなる力には大いなる責任が伴う」と残す。この言葉を近しい人の死をもって自覚する。そして、スパイダーマンとして生きていくことを決意するのだ。
ベンおじさんなどの死を通して、その言葉を自覚するスパイダーマンシリーズの必ずある描写は、MCU版では本作で描かれている。
つまりMCU版スパイダーマンは、まさしくこの本作でやっとスパイダーマンとしての道を歩み出したと言っても過言ではない。つまりこれは、彼の始まりなのだ。
また、本作での「大いなる力にいは大いなる責任が伴う」は全体のテーマにもなっているだろう。なぜなら、この映画の始まりはMCU版スパイダーマンはその大きな力のもたらした影響から逃げるために、ドクターストレンジに処置を頼むのだから。そして、ドクターストレンジすらも己の力を過信していた節があるだろう。彼はその力への責任のために、次作で奮闘すると僕は睨んでいる。
エンドゲーム後、アイアンマンの位置にスパイダーマンが来るんだと興奮してファー・フロム・ホームを待ち。
ファー・フロム・ホームで親愛なる隣人だからアイアンマンなんか出来ないと肩を竦めるスパイダーマンに謝り。
けれど本作でエンドゲーム後のMCUのテーマは、スパイダーマンの不変の「大いなる力には大いなる責任が伴う」が主軸に据えられており、やっぱり次の中心じゃん!と感嘆する。
僕は、MARVELに踊らされてばっかりだ。
スパイダーマンは喪失を抱える
本作が間違いなくスパイダーマンになった映画だと言える点はもう一つあると考えている。
それは。
親友のハリーの死を抱え、それでもスパイダーマンとしてNYをスイングするサム・ライミ版スパイダーマン。
グウェンの死を受け止め、立ち上がった少年スパイダーマンに変わってもう一度NYに戻ってくるアメイジングスパイダーマン。
この二人に共通する「喪失」を今回、抱えているからだ。もっと言えば、スパイダーマン:スパイダーバースでも仲間との別れを通じて描かれている。
「喪失」はスパイダーマンの大切なテーマであり、まさしくこのMCU版スパイダーマンもそれを抱えた。
言わずもがなそれはメイおばさんであり、そしてMJやネッド、全世界に忘れられてしまうということに他ならない。
ラストシーン。失ったものの中にある守れたものに価値を見出しながら、雪の中を窓から飛び出していく。この瞬間に、ああスパイダーマンだなと思った。けれど今までで一番ハードで、救いがないとも感じる。
アイアンマンは、自らをアイアンマンとなったとき多くの人々に祝福された。しかしスパイダーマンは、身分を明かされても批判の的で祝福されず、あろうことか最後には存在まで忘れられてしまう。
でも、誰に忘れられてもその力と責任自覚して、ニューヨークの街を守り続ける。そのマスクを下がどうなっているのかは誰にも分からない。大人ぶっている子供のような顔をしているかもしれないし、もう大人になっているかもしれない。青春ヒーロー映画としての、大人にならざるを得ない悲しい結末だ。
1ファンとして、僕はここで終わって欲しくないと切に思う。MJやネッドと幸せになって欲しい。素敵な大学生活を送って欲しいのだ。ぜひ続編でのハッピーエンドに期待する。このまま彼が、ノー・ウェイ・ホームだなんて耐えられない。
これからのMCUは
そして、今後のMCUの展開だが、おそらくドクターストレンジが大きなキーになる事は間違いないだろう。もしかしたら、MCUエンドゲーム以後のラスボスがドクターストレンジの可能性もあるんじゃないかと踏んでいる。エターナルズを見た時はあのデカイやつかなと思ったが。
あともう一つはヴェノムがどう絡むかに注目したい。本当は、めちゃくちゃトム・ハーディのヴェノムとの絡みを見たかったのだが、帰ってしまったので、今後の実現は難しいだろう。
だがヴェノムの因子は残った。MCU版スパイダーマンに取り憑いて、黒いスパイダーマンが生まれるのかどうか。それとも別のヒーローに絡むのか。ぜひ続報を待ちたい。
そして、前述だがやはりスパイダーマンの続編を強く望む。
ホーム・カミングは、ヒーローごっこからの脱却。
ファー・フロム・ホームは、ヒーローとしての覚醒。
ノー・ウェイ・ホームは、スパイダーマンとしての自覚。
なら次は、スパイダーマンとしての進化にぜひとも期待したい。そしてハッピーエンドを!!
長文お付き合い、ありがとうございました。今後も一緒に楽しんでいきましょう!!
そらさき