コトバに魂がのるとは
おすすめの観光スポット【チャンドラギリ】
ネパールでは公休が土曜日のみで、気づいたら働きすぎてしまう(特に日本人)傾向があります。
なので、休むことも仕事のうちということで、現在は2泊3日で家族で旅行中。
チャンドラギリというところで、カトマンズから車で50分ほど。
(遠出嫌いな夫には、もってこいの場所)
そこから山頂までケーブルカーで山頂へ向かいます。
ネパールにもこんな立派なゴンドラがあるとは。
カトマンズ盆地を見渡しながら、壮大なエベレストの山々もキレイに見えます!
緑の山々(こちらもそれなりの標高)の上にそびえ立つ姿は、まるで幻を見ているかのよう。
是非、ネパールに来た際は立ち寄ってほしい場所。
そんな近況はさておき、タイトルの本題へ。
言語そのものよりも、そこに魂があるか
とある、英語が堪能な方が話をしていた時のこと。
なんて説明したらいいのかわからないけど、そのコトバには全くといっていいほど、魂がこもっていないというのか感情が入っていなかったのです。
そんな経験は初めてだったので、今まで何気なく使っていた日本語はもちろん、言語ってその人の感情や魂が少なからずのっかっているんだなぁと。
(そもそもその人はコミュニケーションが苦手というのもあるんだろうけども。)
多分、知らず知らずのうちに自分自身も「魂がのっていないコトバ」を少なからず使っているんじゃないかなぁと改めて考えさせられました。
話を聞いていない時の「へぇ〜」なんかも
よく仲の良い友だちには
「あ、今聞いてなかったね?笑」って見抜かれてる笑
これこそ、まったく感情も魂ものっかってない「へぇ〜」
この間、フィールドワークで初めてネパールを訪れた19歳の子。
英語は堪能ではないものの、現地の人たちとコミュニケーションを取りたいという想いから、日本語と英語混じりの会話を一生懸命していました。
「これはvery すっぱいよ、でもめっちゃdelicious! eat eat!」
みたいな感じ。このパッションにみんな脱帽。
そして不思議とそれで会話が通じ合っている。
その姿も、まさに魂がのっかったコトバ(コミュニケーション)だったんです。
言語って、出来たら色々と幅が広がるのは確か。
でも、そこに魂がのることの方がコミュニケーションにおいては大事なんじゃないかなーと思った出来事でした。
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