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【エッセイ】結ばれた縁は繋いでいたい


幸福の青い鳥、ご存知でしょうか?

私は、Twitterのアイコンの鳥が青いのはこれが由来だと思っていたのですが、あんまり関係なさそうです(笑)自由、希望、限りのない可能性を表しているらしいです。

Twitter社のコメントですと、

飛んでいる鳥は、地面から高く飛翔して広い視点を持つものとして、あるいは他の鳥と群れとなって目的を達成するものとして、自由、希望、限りのない可能性を表しています。(出典『ツイッターの新しいロゴ、デザインのポイントは? : ギズモード・ジャパン』)

……らしいです。


「幸福の青い鳥」は、メーテルリンクの童話劇『青い鳥』が由来らしいです。

2人兄妹のチルチルとミチルが幸福の象徴である青い鳥を求め、夢の中で旅に出るという話。最後に目が覚めると、実は目の前の鳥かごに青い鳥がいたのだ、というのが結末。この作品の登場以降、青い鳥が幸福の象徴であるとされるようになった。

「本当の幸せは身近なところにある」と解釈されることが多い。しかし、最後にはその青い鳥はどこかに飛び立ってしまうため、別の意味で解釈されることもある。(ニコニコ大百科より)


幸せは身近なところにあるということであれば、幸せは見えないだけですぐ傍にあるよという意味かなと思いますが、そこまで現実は簡単ではないかと思います(笑)最後はどこかに飛び立ってしまう青い鳥は、また他の人に幸せを届けに行ったのでしょうか?


「青い鳥症候群」という皮肉めいた言葉も生まれていて、チルチルとミチルが青い鳥を探し続ける姿から、現実を直視せずに理想ばかりを追い求める人のことをいうらしいです。耳が痛いですね。

仕事をコロコロ変える若者を指して言う言葉でもあるようです(笑)私がそうなったら、青い鳥症候群といわれてしまうかもしれませんね。


ただ私は、それが悪いことだとは思っていませんし、定職に就かないことが悪いこととされる風潮は好きにはなれません。幸せになるためには、定職に就くのが近道なのかもしれませんが……それは人によって変わると思います。


ほとんどの人が定職に就いてまっとうに仕事を続けて、結婚して家庭をもって、色々な自分のやりたいことを飲み込んで我慢し続けることが、幸せへの近道だと思っているのだと思います。


私は、誰に何を言われても、世間に後ろ指を指されても、仕事に忙殺されたり家庭に縛られたりする未来を想像することができません(笑)


Twitterを見ていると、普通に生きれないことに引け目を感じる方が多いと思います。周りの人は何気なく言った言葉がどれだけ相手を傷つけているかなんて一々考えていないでしょうし、普通でないことに負い目を感じる必要なんて、何もないのにと思います。その人のことを否定する、『普通の人間』を名乗る他人がいるから、そんな他人の身勝手な発言に苦しめられるのだと思います。そんな必要はないのに。味方はたくさんいるのに。


私は普通の人間なんてこの世にいなくて、みんな個性豊かな他人だと思っています。



私は結婚とか育児とか、キャリアウーマンとか、そういうのに憧れがないかといわれると、全くないわけでもないですが、経験できるならお試しでやってみても良いかなというぐらいです。

とりあえず生きていければそれで良いですし、できれば同じように考えるお仲間と一緒に気ままな暮らしができたら良いなと思います(笑)


私はTwitterで多くの人と繋がることができました。特に他者に恋愛感情も性的欲求も抱かない人たちが、私以外にもたくさんいるということを知れたことが、私にとってはとても嬉しいのです。


Twitterに出会う前の私は、誰に対しても一線を引いていました。ただ、私の周りにはTwitterでわざわざ嘘をつく人はいないし、その人の本音が透けて見えるから、私は安心して繋がることができます。


一度繋がれた縁は、できればずっと繋いでいたいと思います。ただ私は、Twitterには悪意ある発言や、性犯罪にかんするツイートが度々流れてくるので、私自身の性嫌悪を助長されているような気分になることも多々あります。

女性専用アパートは男性に目を付けられるから危険だとか、雨戸と窓の隙間(?)からスマホを入れて風呂場を盗撮とか、隣人が干した下着を盗むとか、そういう恐ろしいことが当たり前のように起きていることが、私には信じられません。安心できるはずの家でさえ安心できず、すべての可能性に女性は怯えないといけないのかと思うと、憤りを隠しきれないのです。


そしてすべての男性がそうではないと、自分を擁護するような発言をする男性も、ハッキリ言って嫌いです。酷い目にあった女性に寄り添い、許せないと一緒に怒ってほしいですし、被害を受けた女性たちを、きちんと擁護してほしいのです。


私は、性欲があるというだけで、自分がそういう対象にみられるだけで、不快な気分になります。好意があるということを否定することは相手を傷つけるとはよくいいますが、好意を向けられることに恐怖を感じる人間もいることを、知ってほしい。ただ、別に知らなくてもいいから、関わらないでほしいし、必要以上に好意を向けないでほしい。


好意は悪意より厄介です。良かれと思っているからこそ、向けられる側にとっては恐ろしいものです。


私にとっては、Twitterで繋がれた人たちや居場所は大事なものです。そしてこのnoteを読んでくださっているかはわかりませんが、Twitterに今いない方とも、メッセージを送り縁を繋ぎ続けることができたので、大変嬉しかったです。


世の中にはたくさんの人がいるので、当たり前にあるものを否定しないといけない人間は、たとえ少数派でも集まればたくさんいます。それが悪いことだとは思いません。私は学生時代、普通にできない自分に随分苦しめられましたが、今は普通という言葉自体が、誰かを苦しめる悪なのではないかと思っています。


たとえ誰に否定されても、私は結ばれた縁を大事にしたい。社会におかしいと後ろ指を指されても、私は私であり続けるから、どうか皆さんも、誰に否定されても、貴方は貴方のままでいてほしいと、心より願っています。


p.s.「ノラガミ」という漫画があるのですが、主人公の「夜ト」は、祀る社を持たない無名の神で、神様は人から忘れられると消えてしまうという設定があって、人との縁に生かされている感じが切なくて好きです。ただ人もすべての縁が切れたら、きっと生きていけないですよね。夜トの出生や死霊たち(神器)の死因自体が悲劇的なので、必然的に切ないですが……大好きな漫画です。



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