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ヘルプマン!からみる介護


ヘルプマン!というマンガがある。第一巻が刊行されたのが2004年。
2000年に介護保険制度が始まり、社会的にも介護に注目が集まったころ、介護の現場を赤裸々に描写し、世間へ問いかける作品である。
「介護職は勉強をしない」という傾向がみられるが、この漫画はせめて読んでほしいと思う。

この作品を読んで、感動しない(なんとも思わない)人は、介護の仕事は合わないかもしれない。そう思える作品である。

この漫画のはじまりは、主人公「百太郎」の近所で「介護殺人」が起こることから始まる。
介護殺人。介護のストレスから、追い詰められ、介護者が被介護者を殺してしまうというもの。そんな現実を知り、主人公は介護の世界に飛び込み、じじばばの立場で奮闘する。

発刊から17年経過し、介護保険制度が始まってからは21年。現状はどうなっているか。私も2000年から介護の仕事を始め、制度の中で事業所運営をして感じてきたことを、ヘルプマン!をあらためて読み返しながら考えていきたい。

高齢者の生活を取り巻く環境は、良くなっているのか?介護問題は改善されているのか?私の肌感覚としては、一時期は改善されてきたが、今また、時代は逆行しているように思える。

介護保険制度が始まり、介護の新時代が始まった。今までの大規模施設、一括収容対応から、個別ケアという、一人一人に合わせたケアをしましょうと言われるようになった。

認知症ケアに注目が集まって来たのもこのころだ。

当初は「痴呆」と呼ばれていた。この言葉には、痴れ者、笑われる言動をする者といった意味があり、差別的だとして改められた。

認知症になっても、何もできないのではなく、出来る事を続けていくことで日常生活を続けることが出来るとして、一人の人格者として関わろうという時代になった。

施設も家庭的な雰囲気で、職員も制服ではなく、同じ生活者として私服にする流れもあった。ユニットケアといって、大規模施設もフロア内を複数の生活空間に分け、少人数で「顔なじみ」の関係ができるようケアの考え方も変化した。

 こうして、介護保険が措置の時代からサービスの時代に移り、サービス事業所も増え、サービスを受ける被保険者も増えっていく中、介護職の人材不足と、介護離職が起きた。


現場は人手不足が深刻になり、ぎりぎりの基準を満たすのに精一杯で職員は疲弊している。自分がやるしかないという、個人の善意と犠牲によってなんとか耐え忍んでいる。その対価となる給与はご存知の通り、十分なものではない。
しかし、現場が頑張れば頑張るほど管理側は、何とかなっていると勘違いし、現場の改善に力を入れることはない。そんな事業所がなんと多い事か。

もう一つが、介護離職問題。介護離職問題は、実は経済至上主義問題でもある。
親の介護をしたい。放っておけない。仕事よりも親が大切だ。そんな人を助けるために介護事業所をうまく活用する必要があるのだが、「親の世話を他人に」お願いするのは、間違いじゃないか。世話になったんだから、自分がその恩を返すべきだ。と、仕事を辞めて介護をする。しかし、現実、生活と介護にはお金がかかる。介護期間もいつまでかかるかはわからない。一人で抱え込むには、大きすぎる。


今の政府の考えは、介護施設を増やし、そこに預けられるようにして、仕事を辞めずに経済活動を続けましょうというものだ。

必要なのは、介護保険の使い方と生産性を優先しない社会づくりではないか。


情や命よりも、経済が成長することを第一に優先するという考え。


大規模施設から小規模施設への転換を図ったが、今また大規模収容施設を増やす施策へ舵を切っている。以前は郊外に建てられた施設も今では交通の便の良い場所に作られるようになったが、建物が出来ても、働く職員が足りず、収容人数の半分も稼働できていない所もある。また、職員は紹介業者を通して派遣として働く傾向があり、人件費の高騰を招き、特に入居系の事業者では、働いている職員の半数以上が派遣社員で運営されているという話も聞く。

そうなると当初の目的の高齢になっても安心して暮らせる、そのために大切な介護の質の向上ということは脇に置かれて、運営していくこと(人員配置基準を満たす)が目的となってしまう。

結果、介護殺人、人材不足、若者は介護の仕事に就くのを敬遠し、現場には職を失った中高年者が増える。みな、介護「なら」出来ると思ってやってくる。そして、その多くが体力的な問題を理由に辞めていく。実のところは、ただ「思っていたのと違う」という理由だが。

読み始め当初は、出てくる施設の施設長が言わば悪者にみえたが、今読み返してみると「理念を忘れた実践者」なのだと感じた。
目の前にある現実の日々をいかに効率的に進めていくか。施設の退去者が出るから過剰に高齢者を受け入れておく。理想ばかりで業務をこなせない職員はいらない。利用者も職員もいかに管理をするか。介護ではなく運営が目的となっている人そのものを描いている。

実際、こういう考えの管理者や施設を見てきた。それが役割であり仕事なのだ。しかし当然そういった事業所の職員や雰囲気は良いとは言えないことがほとんどだ。

昔、「校長が変われば学校が変わる」という著書があったが、介護も同じだと思う。その事業所を直接管理、運営できる人が介護に興味がないといけない。


現場と管理側に溝が広がっていく原因の一つが、「偉い人(役職者)たちは、現場の大変さをわかっていない」という不満だ。

現場の人が、やりやすいように業務や人員の配置を決めることが出来ればよいだろう。しかし、それは難しい。なぜなら、現場のスタッフは「運営」をしたことがないからだ。

実際に事業所の損益管理表をみて、改善し運営していける介護職は少ないだろう。一方、多くの介護事業所の管理者は、現場の介護職上りが多い。つまり、管理者には、少なからず、介護職の気持ちがわかるはずだ。ある程度の権限を持ち、現場の介護職の気持ちのわかる管理者には、事業所をよくしていく力があるはずで、そこにこそ力を注いでほしいと、心から願う。

以前の私の組織もそうだったが、「介護」を語れない管理職がなんと多いことか。それでは直接接遇を行う介護職が自分たちの専門性を理解し実践することは無理だろう。


また、現場の介護職員も、自ら学ぶことを忘れないでほしい。

仕事は忙しい。人手不足で一層時間が無いだろう。そして、忙しいということは、余計なことを考える時間もなくなる。
ただ、時計を見て、それに合わせて動き、時間を経過していくだけで一日が終わる。そうしているうちに、悩むことも忘れ、問いただすこともなくなり、自分の仕事に無関心になってはいないか?


思考停止させてしまうと、介護はただの作業になってしまう。


「介護の仕事に夢を見るな、それはあきらめるしかない。」と先輩介護士に言われた主人公。

それでも、仕方がないと思えない主人公は試行錯誤して、暴れ、拒否する利用者が何事もなかったようにお風呂を済ませ、心からの「ありがとう」と言われた一言に介護の面白さにはまっていく。

あれこれ考え、関わっていくことに楽しみを感じられるか。この成功体験をチームで共有していける現場は、これから高齢者に選ばれ生き残れる事業所になるだろう。

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