私たちの名前

日本を紹介するようなイベントに出かけた。例年、見物するだけだったけれど、今回は書道の筆を持ち、墨を使って、来たお客さんたちの名前をカタカナで書いてあげるというサービスのお手伝いだ。事前の練習も指導もない。
三十年間、筆を触っていない私の手は、思うようには動かず、少しは感じよく書けるはずだと思ったのは、私の思い込みに過ぎなかった。
「ハロー。私の名前はジャックです」
「ジャックね」
目の前に現れるお客さんたちは、子供も大人も、みんな結構ワクワクしている。自分の名前が、自分の読めない日本語の文字で書かれ、しかもそれが大きな筆で書かれるということが、そんなにうれしいんだろうかと、書いてあげるこちらが不思議に思うほどだ。
テーブル越しに、何人もの日本人が座って、筆に墨を付けて待ち受けている姿にかしこまるのか、みんな、とても低姿勢で丁寧にお願いしてくる。こちらは下手な字に申し訳なく思いつつ、それでも、「この人たちは日本語の字は読めないのだから大丈夫」と自分に言い聞かせ、次々とこなすしかない。
お客さんは、アイルランド人だけとは限らない。ダブリンには世界の様々な所からの人々が移り住んでいるのだ。筆を持つ私に告げられる彼らの名前は、一般的でよく聞くものもあれば、私が初めて聞く名前もある。それらを日本語のカタカナに当てはめて書いていくのだ。
多くの外国語の音は日本語には存在しないから、日本人の耳にとって一番それに近いと思われる日本語の音に、適当に当てはめていく。こちらがその音を日本語っぽく発音してみると、「そうじゃなくて、、、」と、こちらの発した音を直そうとする人も多い。
「ごめんなさいね。でも、日本語ではそういう音は、書き表せないの」
簡単におしゃべりしてから、筆に墨を付け、筆先に神経を集中させて静止する。そして、まるで特別な技のように、筆を運ぶスピードを変えてみたり、字の太さを変えてみたりしつつ、彼らの名前を紙に書く。ちょっと、もったいぶった筆の動きも、せっかく行列してまで書いてもらおうとするお客さんへのサービスだ。
筆を置いて、まだ墨で濡れているその紙をながめてみる。
「ひどい字だ。全然、ステキじゃない。上手く書かなくちゃいけないとは思わないけれど、せめて、味のある字は書きたい。でもこれは、味もない。いやー、ひどいな」と、無言ながらも私の心は、情けない声を発する。三十年も筆を握っていないと、本当にどう筆を運んでいいものやら、全く見当がつかないのだ。ところが、書かれたものを手にしたお客さんは、目を丸くして「素晴らしい!」と絶賛し、思い切り顔をほころばせる。
初めの3-4件は、下手な字とは言っても、彼らの名前を書いてあげている私へのいたわりというか、ねぎらいで、お客さんはそう言っているのだと思った。せっかく行列までして書いてもらおうとした自分自身のためであるかもしれない。でも、次から次へとお客さんたちは同じように、大変喜び、絶賛していくのだ。だんだん、彼らが皆、本気で、私の書く何の変哲もない字に感嘆し、本気で喜んでいるらしいことがわかってきた。
「これ、私の寝室に飾るわ」「親戚へのプレゼントにするから、他の名前も書いてください」「額に入れて、リビングの壁に飾るのにちょうどいい」「私とボーイフレンドの名前を並べて書いてほしいんだけど」「なんて素晴らしんだ!」
みんな次から次へと、絶賛と感謝の言葉を投げてくる。ゆうに一年分の謝辞を聞いたかと思うくらいだ。
初めに自分の名前を私に告げる時の、少し恥ずかしそうな、でも、わくわくと楽しみにしている表情に、私は軽い驚きを感じたけれど、この、筆で書かれた自分の名前を見て、読むこともできないのに、まるで子供のように喜ぶ大人の人たちの表情には、うれしくなると同時に、それぞれの人が自分の名前というものに持つ、特別な愛着を感じずにはいられなかった。

かく言う私も類にもれず、自分の名前を気に入っている。名字にあたる部分ではなくて、生まれた時に付けてもらった雅子という名だ。
よくある名で、人に間違われる事もなく、日本人にとっては覚えるのに苦労することもない。雅やかという漢字も、その意味が持つクラシックな美しさとか、品格あるイメージが気に入っている。私の性質のいかんにかかわらず、名前そのものが与えてくれるイメージだ。役得とも言える。漢字を書くのに、画数はやたらと多いけれど、それがなんとなく私には、着物の生地がいくつも重なったようにイメージされることもある。幾重もの心のひだがある奥深さを示すようでもあり、そういう女性でありたい私の名前として、ぴったりだと思うのだ。
日本の外に長く住む私の生活の中では、漢字を使うことは少なく、私の名前は英語のアルファベットで書かれる。その音すら、日本でマサコと発音されるものとは少し違う。正しい発音やアクセントを気にすると私自身が混乱するので、私を呼ぶ人が呼びやすければそれでいいとしている。
発音やアクセントがバラバラでも、多くの人から名前を呼ばれるたびに、私を受け入れようと開かれた心やら親愛の情やらを感じてきたからか、私は自分の名前を、月日と共に、どんどん好きになっていったようにも思う。

日本に住んでいた時、まだ二十代だった私は、親と離れて生活する子供たちの施設に、しばらく通った事がある。中学生の女の子たちの勉強をみてあげるボランティアだ。家庭教師のように教えるというよりは、ちょっとでも勉強に興味と意欲をもって取り組んでもらう為の、エンターテイメント的なものだった。単純に、施設で生活する子供たちの楽しみの一つとなってくれればと思って出向く、私にとっても楽しみの時間だった。
勉強に対するやる気というのがあまり無いのか、私の接した数人の女の子たちは、非常に初歩的なレベルでの勉強につまずいているようだった。家庭ではなくて、施設で生活をしなくてはいけなくなった境遇は様々だろうけれど、とにかく、始めから、安心して勉強できるとか、励まされて興味のある事に取り組めるという環境はなかったのかもしれない。
彼女たちの成績を上げるといった任務が私に課されたわけではなく、ましてや私の、中学高校の頃の学力は、語学に関してなら割と得意な方だったと自負するレベルであって、決してそれ以上とも以下とも言えない。とにかく少しでも言葉への興味がわけば、国語や英語を勉強するのは楽しくなる。私は彼女たちに、なんとなく楽しいとか、なんとなく興味がわくという感覚を、国語や英語の勉強の中に見出させてあげたかった。それ以上の、成績を上げるために教えるという事は、私に課されておらず、特に私がしたい事でもなかった。
まず、どうしたら漢字を勉強する気持ちになるだろうかと考えて、手始めに彼女たちの名前を紙に書き、みんなで眺めて、その漢字の意味を話し合うことにした。これは私が想像した以上に彼女たちの興味を引き、漢字を覚えるという枠を通り超え、それぞれの人に付けられた名前というものが持つ力の大きさを、私に実感させるものだった。
彼女たちはそれまで、名前に付けられた漢字の持つ意味について、考えたことはないようだった。話し合っていくうちに、名前に込められた親なりの思いを感じ取るのか、どの子も思わずおしゃべりになっていくことは、私にもうれしい驚きだった。
彼女たちの名前に付けられた漢字は、生まれた季節ならではの自然の美しさになじんだものや、大切にして生きていって欲しい美徳を含んでいた。親と離れて施設で暮らす彼女たちには特に、そんな親の願いや思いを含んだ名前を意識することは、意味があるように思った。あどけなさたっぷりに、はにかんだ表情で自分の名前について話す彼女たちは、赤ん坊である自分を大事に抱きかかえる親の姿を、思い描いているかのようだった。
彼女たちはあれから何年、その施設で生活をしただろうか。今ではきっと、大切にする家族を持ち、子供の名前の一つや二つ、付けたかもしれない。心を込めて、願いを込めて付けた名前を、愛情込めて呼びかけているかもしれない。

行列をして、読むこともできない日本語の文字で名前を書いてもらう人たちの、はにかんだ笑顔が続く。
私たちの名前は、この世に生まれた無力な初めに、私たちを大切に思う誰かが、心を込めて与えてくれたアイデンティティだ。自分の名前を口にする時、もしかしたら人は、そこに込められた思いに、今一度、包まれるのかもしれない。
施設で出会った女の子たちが、その名前の表す美しい人生を、幸せに歩んでいますように。

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