マガジンのカバー画像

掌編、短編小説広場

128
此処に集いし「物語」はジャンルの無い「掌編小説」と「短編小説」。広場の主は「いち」時々「黄色いくまと白いくま」。チケットは不要。全席自由席です。あなたに寄り添う物語をお届けしたい… もっと読む
運営しているクリエイター

#掌編小説

掌編「シロクマはひとりぼっち」

 シロクマが目を覚ました時には、既に海岸から遠く離れていた。泳いで戻ろうと思えばそれも出来たが、シロクマは流氷と共に行く事にした。周りにはまだ氷の塊がボコボコあって、見渡す限り氷海が続く。たった今シロクマが寝そべっているのと同じくらい大きいのもあるが、小さいのもたくさんある。大きいのは教室かリビングルーム程、小さいのはレジャーシート位だろうか。ただ、全部が全部真っ白だ。  シロクマは自分の毛並みよりも純粋な白を持つ氷の地面へ鼻先を寄せた。冷たくて気持ちがいい。彼は眠い目を覚

掌編「穴」

 人生に失敗はつきもので、だが然しそれが許される社会と、許されない社会があるのだ。私が属するのは、後者の方だった。  地元の人間も滅多に入らない様な森の奥深くまで分け入った私は、やがて尽きた細道の更に先へ、生い茂る枝葉を掻き分けて進んだ。どの枝がどちらから伸びて来るのか、足元に蔓延る根がなんの樹に由来するものだか、さっぱり見当が付かない。蜘蛛の巣もいくつも顔で千切ったし、棘にもあちこち引っ掻かれた。臭い実を立て続けに潰した時は辟易したが、甘美な木々の誘惑にも出くわした

掌編「冬、時々 2023」

「くそう、変人佐伯めええ」  感情任せに投げ出したスマートフォンがソファに埋もれた。画面上にはきらびやかなイルミネーションで彩られた街の写真が映し出されたままだ。横目で見て、はあーと長い溜息を零した。  二年前の冬、クリスマス直前。痛い思い出を引きずったままだった当時の私は、幸せに満ちたクリスマスなんか蹴散らしてやろうと手当たり次第に負のオーラをばら撒いていた。そこへ突然降って来た不思議な出会い――というか、再会。それがきっかけで、私は高校時代の同級生佐伯くんと付き合う事に

「ミスターA」

 あなた様のことをお話するのは、身勝手なような気が致しますから、遠慮しようと思っておりました。けれどもやはり、世の中で堂々とあなた様の事に触れ、堂々御礼を述べたいと、こう思い立ったのです。不本意でございましたら申し訳ありません。  あなた様はいつもエネルギッシュで清潔感の溢れた御方でした。私共は一同揃って、大変可愛がって頂きました。こういう日々が続いてゆくものと誰もが思っておりました。  いつの間にお聞き及びになられたのか、ある時からあなた様は、大相撲をほんの少しだけかじ

掌編「orange」

 抜群にセンスが無いって言われた。  小6の時だった。まだ小学6年生だったのに、そんなにはっきり言われたら、ああ、僕は服選びのセンスが無いんだって、すっかり思い込んじゃって、そのまま大きくなったらどうなるか、想像つくでしょ。  僕は黒色の服しか着ない。誰が何を言っても黒色のTシャツを着て、黒色の綿パンをはき、黒色のパーカーを重ねる。あ、言っとくけどボクサーパンツも黒一色だから。  それなのに――  高校3年生、梅雨。 「へえー、あったかい黒目してるんだね」  日曜に

掌編「きみのカエリヲ待つ」

「やはり何処にもいませんっ!」 「何故だ!?あんなに優等生で、ずっと親しく、これまで持ちつ持たれつやってきたじゃないかっ!本当に何処にもいないのか?!」 「本当です。しかも、国中から姿を消しつつあります」 「くっ・・なんてことだ・・よりにもよって、こんな大事な時に――」  世間にその噂が流れ始めたのは、時をずっと遡った、雪化粧の街にキャンドルが灯る頃だった。当初はまさかここまで事態が逼迫するとは誰も予想していなかった。しかし事態はみるみる悪化して、多くの国民は、家の冷蔵庫の

掌編「ビターリキュール」

 目の覚めるような鮮やかなルビー色から、色を持たない小さな気泡がいくつもいくつも上っては、グラスの外へ弾けていった。 「凄い色ですね」 「きれいだろ?」 「きれい。強い赤。情熱的」  玲子はグラスを手に取ると、カンパリソーダを繁々と見つめた。グラスの底へ沈められた真っ赤なリキュールが、彼女がグラスを傾けるたびゆっくりと底を揺蕩う。ソーダはこの間にも絶えずシュワシュワと弾けてゆく。信太は見かねて声をかけた。 「飲まないの?」 「飲みます」  あれ程物珍しそうに目をぎゅっ

掌編「桃、菖蒲。いざ勝負。」

 僕はお雛様が好きだった。子どもの頃、三つ上の姉の御蔭で、毎年家にはお雛様が飾られていた。勝手に触らない約束を守れば、好きなだけ見てて良かった。お雛様とお内裏様の、白くてきれいな顔立ち、それに立派な冠や衣装。年に一度灯りの下へ出されては、じっと並んで、僕らの生活の中に溶け込んでいる。だけどその佇まいには気品があって、雛壇の上だけは、やっぱり特別なんだと子ども心に思った。なにより、必ず二人寄り添って並んでいるところが好きだった。  それから、桃の節句にお雛様と分けっこして食べ

掌編「味噌おでん」

 十八歳。独り立ちして初めての冬、名古屋。  仕事帰りの深夜、急におでんが食べたくなってコンビニへ寄った。実家では毎年寒くなると母親が作るおでんが飽きる程食卓に出て来たから、まさかいきなり外で食べたくなるとは思わなかった。大根や玉子、がんもなんかを容器に詰めてレジへ持って行き、会計を済ませようとしたら、店員が蓋の上にからしと味噌を付けた。家に帰っておでんの容器をテーブルに載せて、俺は一人でツッコんだ。 「おでんに味噌って何?」  おでんと言えばだしと醤油味と決まっている。

掌編「白波さんのパパイヤ」

 白波さんの頭の上にパパイヤが見えるようになったのは、先週の金曜日のことだった。載せてるんじゃない。浮いてるんだ、頭のてっぺんで。パパイヤって熱帯地域にしかできないと思ってたけど、白波さんの頭の上にもできるんだ。  青くてまるまるとしたパパイヤ、熟れることはないんだろうかと僕は少し心配した。それから試しに課長の頭の上を見てみたけれど、何も浮いていなかった。それとももう何処かへ落っことしたのかもしれない。課長らしいやって思う。  ところで僕は、はだかの王様はピエロだったんだ

掌編「青空」

 イチロウは日傘を放り投げた。たちまち強い日差しを全身に浴びて目が眩みそうになる。どこまでも青くて、限りなく続く空を仰ぎ、焼き付けるように、挑むように見つめた。真っ白の雲が安寧の象徴の如くに揺蕩っている。両手を広げて深く呼吸すれば、新鮮な風が自らの肺に取り込まれ、心身を清めてくれる。指の先にまで伝わる生の巡り。熱い大地を踏みしめる足裏の感覚。背中の熱。蟀谷の汗。耳の奥に真夏の音。  俺は今生きている。あの日あの時散った命が、当たり前に迎えたかった明日の青空を見上げている。一

食の風景「あの日のコロッケ」―掌編―

 コロッケと聞いて思い浮かべる光景ってどんな時間だろう。今ではコンビニへ行けば大体レジ横のショーケースに並んでいるけれど、思い出すのは、なぜか懐かしい方。例えば――あの日のコロッケ。簡素な紙の袋へ入ったあつあつを頬張った、夕日の中で過ごした時間。  仕事帰りに近所のスーパーへ立ち寄って、立派なサイズの新じゃが芋を見つけた。男爵だ。ごろごろごつごつ、見るからに美味しそうな男爵を眺めていたら、口の中が旨い想像でいっぱいになった。頭の中ではもう美味しいのが出来上がっている。 「よ

掌編「五月五日の擦り傷に誓う」

 君が初めて笑った日の事を、僕は一生忘れないよ。 「パパの馬鹿ぁー」 「ごめんって」 「あっち行けー」 「だからごめんって、今度は放さないから」 「嫌だぁもう帰るー」 「今来たばかりだよ」 「嫌だぁー、ママー」  敷物の上で赤ん坊を抱いてこちらを見守るママに手を伸ばす君を見て、僕はすっかり弱り切ってしまった。  僕ら夫婦に初めての子どもが誕生したのは四年前だった。産まれたての小さな男の子は、噂に聞くよりも真っ赤だった。そして噂に聞くよりも何億倍も可愛かった。目を閉じたまま

掌編「月の落とし物語」

 上り框に腰を下ろして、長靴へ足を入れた。爪先、踵、とんと叩いて、よし。今日も家を出る。敷居跨げば瞳には夜が広がる。玄関灯が照らす自らの影を踏むと、愈々大地蹴り出す。今夜中にはそろそろ決着を見たい。使命燻らす瞳が、深い藍の世界で瞬いた。  その話を聞いたのは一と月も前の事だった。進は独身だが三つ上の兄には妻と子が居り、二つの家は同じ市内に或る物だから、進は頻繁に兄の家へ顔を出しては嫂や、三歳になる姪を調戯って遊んでいた。その上兄も休日となれば、四人で出掛ける事も頻繫であった