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箸休め

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連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
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#エッセイ

「たしかに春だった」

 靴には防水スプレーをその都度吹き付ける。元々撥水性を備えたトレッキングシューズだけど、服装はじめ、装備の防水性は重要だと思う。  どこまでも山を追いかけた。いつまでも天気を気に掛けた。そうやって日一日が、今年の一日、一日が、過ぎて行く。    キラキラ光る眼は新入生のものだった。初めて歩いた川沿いの桜並木からは香しい春が流れていた。鯉もサギも鴨も、のんびりと日向を満喫していた。桜に引き寄せられて人、思い思いに並木を見上げていた。コアラのマーチいちご味をつまみ食いしながら

「怠惰にミモザに花まるけ」

 先日登った山の麓に咲いていた、これは桜で合ってるだろうか。暖冬の二字に振り回された冬が終わろうとしている。日々の暮らしに菜の花が映り込む季節になった。  執筆の速度と文量を大幅に減らすと、早起きの必要を感じなくなったのか、二度寝の常習犯になった。夜明けは日に日に早くなるのに、御用がないとビシッと朝起きようとしない。温もりに満ちた冬仕様のお布団が、まだいいよ、ゆっくりすればいいよと、誘惑してくる。実際何だか凄く眠いのだ。  何かが大きく変わろうとする前、物凄く、ただひたす

「これが地球のエメラルドグリーン」

昨年9月下旬、長野県木曽郡大桑村の阿寺渓谷を歩いてきました。全ての道は次なる物語へと続く――はずだけれども、いざ足を踏み入れると、もう、なんだっていい。今、ここに居る自分。それだけが全て。 さあ、呑み込まれに行こうか 最寄り駅に着いたのが午前8時半くらい。昨日の雨模様が嘘のような晴天。朝から暑い、夏の名残りどころか太陽が眩しい。嫌いじゃない。 駅から渓谷の入口まで歩いて20分ほど。道は民家の合間を縫って歩くようでやや分かりにくい。地図を印刷して来て良かったと思う。山歩き

「やさしさの欠片と師走の晴天」

      年の終わり、大掃除を大方終えて、文箱を少し検めていたら、去年の誕生日に貰ったメッセージ絵本が出て来た。 「これからも大きな優しさで輝き続けて」と、そう書いてあった。  文字が目に飛び込んで来た瞬間、この一年の自分が鏡の様に目の前へ広げられた気がした。今年の私は、自分の生き方を模索するあまり、人生迷子みたいな日々を暮らしたような気がしている。人にやさしくありたいとも思うのに、自分の人生というものを考えたくて、どうバランスを取ればいいのか、何をすることが周囲にとっ

「深さ、ありますね 中田島砂丘」

夏は終わらない、海が見たいと浜松を訪れました。9月の初旬です。 ここのところ冒険へ出掛けようとするとお天気の神様に嫌われてきた私ですが、今日は朝から気持ち良く快晴です。どちらからいうと暑い。要するに猛暑日です。陽気な太陽が朝っぱらから「行こうぜ海!」と張り切ってくれています。私も張り切って外へ飛び出しました。 「行くぜ海!砂丘!いざ浜松へ!!」 浜松を調べてみると、遠州灘に「中田島砂丘」とありました。浜松駅からはバスが程よく出ています。これなら日帰りできます。 「よう

「乾杯!夏の石段と山形の葡萄ー後編ー」

届けたい山形が多すぎて、三本立てになってしまった今回の旅の話。甚だ恐縮ではございますが、あなたに届け山形!ですから、御覧頂けますと幸いです。 最終日。出発の一週間くらい前に「これだ!!」と思いついた所へ行く。 山形は、果物王国で、ブドウ作りはずう~~っと前から盛んだ。つまり、美味しいワインの産地なのだ。 それからりんごが好物な私。東北制覇を目指して順番に回る中で、いつか国産のシードルと出会えないかと思っていた。行く先々で探しはするものの、元来お酒を飲まない人だから早々見

「乾杯!夏の石段と山形の葡萄ー前編ー」

それじゃあ語ろう、山形の続きを。 2023年7月、山形は高瀬地区の紅花まつりを訪ねるため、私は2泊3日の山形旅へ出掛けた。愛しの紅花については既に存分に語ったので、今日は2日目の山寺の話をしよう。 芭蕉の句でも有名な「山寺」。正式名称は「宝珠山立石寺」という。私が初めて訪れたのは、昨年11月で、今回は2回目となる。一応下に前回の訪問を紹介します。 さて、山寺駅のホームへ立つと、すっかり夏色に衣替えした山寺を抱くお山が目の前へ聳え立っている。あれへ今から登るのかと思うと、

「あるのは」

 散歩に出かけた 考える時間とか、集中する時間とか、必要なんだと言い聞かせて、自分はこうだと普段から肯定しているものだから始末が悪い。生き急いでると思うって自覚しながら、それが自分なんだって周囲にも語って来た。 だけど「今を生きる」ってもっと寛大で、気楽でいいのかなって思うようになった。 肩の力を抜く 世の多種多様な考え方を許容したい、面白いと思うように、色んな自分を受け止められれば、その方が世界は広くて楽しいのかも知れない。その方がもっと、ありのままの自分で、なるよ

「あずきを炊いた、そんなGW」

 懐かしさからベビースターラーメンの4連パックを買った。今日は一番好きな、というよりこの味の為だけに買ったんだけど「鶏ガラしょうゆ味」を食べた。  夜。  Tシャツの胸ポケットにベビースターの欠片が三本入ってる・・  それに今気づいた。  子どもか    そんな他愛もない連休を過ごす私。  お休み二日目の昼、かねてより機会を伺っていた「あんこ」作りを実行した。小豆を炊くのはかんたん。あんこはすぐにできる。できるのだけど、中々作れずにいた。  春分を逃した。季節と共に楽

「すいー、すとんっ」

大人になって登ったら、滑り方忘れてました。すべり台。 春うらら~ なんて木々を見上げる間に四月が終わりました。日差しは随分穏やかに、花咲き誇る街道はみるみる内に新緑に染まりつつあります。風が嬉しい。そんなお昼。月が恋しい。そんな夜―― どなた様もこんにちは 月に一度の振り返りエッセイのお時間でございます。お付き合い頂ければ幸いです。 #ほろ酔い文学 と #私の作品紹介 で頂きました。 勤め先でカクテルを提案する機会がありまして。ふと思い浮かんだ空想を掌編に落とし込んでみま

「竹の子とキャラメル」

 スーパーで竹の子を見つけた。でんと大きな竹の子が、今年はよく並ぶ。竹の子は好物だけれど、灰汁抜きをして調理する手間を割けない。作ればさぞ美味しいだろうと、生の竹の子を横目に立ち去る日々を暫し繰り返している。竹の子は大変美味しい、春を戴くに持って来いの山の恵みなのである。    むかしむかし、私が今よりもっと小さな小学生だった頃の話だ。  当時は両親が小さなレストランを経営していた。店の常連客に、きのこの先生と呼ばれる先生が居た。そのきのこの先生と私の家族とで、ある年の春

「満開の桜を知らない、代わりに弱さを知る」

「切に自愛を祈る」  ・・・これは夏目先生が人に送った手紙の言葉だ。    頑張って下さいと言うよりも、活躍を願い励ますよりも、御自愛下さいと言うよりも、こんこんと祈るような優しさに満ちた言い回しだと思ったから、早速真似をした。自分が使うには背伸びだったかも知れないけれど、自分が知る以上に頑張っておられる方に、頑張れよりも似合う言葉を届けたいと思ったのだ。因みに自分は頑張ってと言われると頑張る人である。  未だ四月を迎える前だというのに、今年の桜は気が早い。否、桜の所為に

「ぐるりの春」

ラッパ水仙が見上げる空には、刷毛で伸ばしたようなすじ雲が広がっています。 三月の半ば、穏やかな晴れの日の一枚です。 毎年お世話をしていないのに、季節が来ればぽんと蕾をつけて、寒さの残る風に耐え、こうして陽気に花を咲かせては、我が家に春のはじまりを告げてくれます。今年はどうしたことでしょう、6つ子です。あんな土壌で、よくぞ沢山咲いたものだなあと思いましたけれど、そういえば去年、里芋を育てた土を入れ替えの為に敷地内のあちこちへほいほいかけて回った事を思い出しました。その効果な

「春待つ時、万物は等しく寒さに身を竦める」

身の回りに於ける人とのかかわりの中で、色々と思う事があった。長らく長編小説の執筆に思考のほぼ全てを傾けていたから、頭の切り替えに、そして頭の体操になった。時々こうして人間らしい苦悩や煩悶を目の当たりすることで、自分も人間社会に生きる一部なんだなと思ったりする。 それは自分が決して悩まない人間という訳じゃないけども、元より与えられた命を生きているこの身であるから、心底悩んでいるようでいて、それを俯瞰する自分も自覚しているのである。 例えるならば、「人生」という船のオールを握