マガジンのカバー画像

箸休め

137
連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
運営しているクリエイター

#生き方

「怠惰にミモザに花まるけ」

 先日登った山の麓に咲いていた、これは桜で合ってるだろうか。暖冬の二字に振り回された冬が終わろうとしている。日々の暮らしに菜の花が映り込む季節になった。  執筆の速度と文量を大幅に減らすと、早起きの必要を感じなくなったのか、二度寝の常習犯になった。夜明けは日に日に早くなるのに、御用がないとビシッと朝起きようとしない。温もりに満ちた冬仕様のお布団が、まだいいよ、ゆっくりすればいいよと、誘惑してくる。実際何だか凄く眠いのだ。  何かが大きく変わろうとする前、物凄く、ただひたす

「ごあいさつ」

こんにちは、いちです。 長編小説「KIGEN」の連載が終了致しました。お付き合い下さった皆様に、心より御礼申し上げます。お読み下さっていると実感できるたび、その一つ一つがどれ程励みになったか知れません。連載を続ける上でも大きな支えでした。また、お時間の許すとき、現在進行形でお読み頂いている皆様の事も、私にとり大きな励みでございます。本当にありがたく存じます。 しばらく執筆と、そして自身の生き方に向き合う時間に主軸を移します。その間に、noteとの付き合い方も考えてみようと

「ひとつぶあるき」

こんばんは 焦っちゃだめ 一つずつ。 一度に沢山はできないから。手も二つしかないし、脳味噌なんて一個しかないの。 焦っちゃだめ。 沢山どころじゃないの、一度に一つずつしかできないの いいの、大丈夫。それでも一つは確実に出来てるってことだから 取り敢えずさくらんぼ食べるわ 凄く美味しいの はあ~ 今日も幸せだわ。 スーパーで売ってるさくらんぼにしては粒の大きな山形のさくらんぼに出会いました。いつか木箱に入ったさくらんぼを食べてみたいです。 いつもいちnote

「満開の桜を知らない、代わりに弱さを知る」

「切に自愛を祈る」  ・・・これは夏目先生が人に送った手紙の言葉だ。    頑張って下さいと言うよりも、活躍を願い励ますよりも、御自愛下さいと言うよりも、こんこんと祈るような優しさに満ちた言い回しだと思ったから、早速真似をした。自分が使うには背伸びだったかも知れないけれど、自分が知る以上に頑張っておられる方に、頑張れよりも似合う言葉を届けたいと思ったのだ。因みに自分は頑張ってと言われると頑張る人である。  未だ四月を迎える前だというのに、今年の桜は気が早い。否、桜の所為に

「春待つ時、万物は等しく寒さに身を竦める」

身の回りに於ける人とのかかわりの中で、色々と思う事があった。長らく長編小説の執筆に思考のほぼ全てを傾けていたから、頭の切り替えに、そして頭の体操になった。時々こうして人間らしい苦悩や煩悶を目の当たりすることで、自分も人間社会に生きる一部なんだなと思ったりする。 それは自分が決して悩まない人間という訳じゃないけども、元より与えられた命を生きているこの身であるから、心底悩んでいるようでいて、それを俯瞰する自分も自覚しているのである。 例えるならば、「人生」という船のオールを握

「日本の物作りの美しさよ 使って心地好さを実感する風呂敷」

これ、何だかわかりますか?ヒントはマウス。そうです、自分の大事な相棒、ノートパソコンなんです。 ずっと、購入した時にパソコンが入っていた袋状の不織布のまま、リュックに入れて持ち運んでいたのですが、表面が縒れてどんどん悲惨な状態になってきまして。これは野暮だと自分に駄目出ししました。 それで不図、市場にはノートパソコンやタブレット端末を鞄に入れて持ち運ぶ為の、内袋みたいなものを売っているのではないかしらと、漸く思い付いたのです。 自分が欲しいのは、日本製の商品でした。丁寧

「子育て中のあなたを全力応援」

 今晩は。今宵も荘厳な夕闇が広がっています。月は見えるかな。  突然ですが私は子育て中の全てのお父さんお母さんを全力で応援しています。手が届けられるわけではありませんが、それはもう全力で支えて参りたい所存です。  私は小学二年生の頃から子守りをしてきました。当時両親が共働きでしたので、小学生と保育園児の兄姉が寄って集って生まれたばかりの弟のお世話を仰せつかっていたのです。  当時わが家は布おむつでした。畳み方、替え方、全て母に教わって誰でも出来るようになりました。母が居

「執筆風景」ー脱線もする。

 大体この前へ座り込んで書いている。畳。ご推察の通り、正座。  WORDで執筆が多いけれど、noteで直接書くことも増えた。手紙は縦書きが基本。そして勿論直筆。もっと字が上手ければ良いのだけれど、中々どうして、難しい。母方の祖父は習字の先生もされていたそうで、他人行儀なのは私が写真でしか会ったことの無い祖父だからだけれど、「私に綺麗な文字を書く才能を分けて下さい」とお願いしたい。才能じゃない努力だ!なんてお叱りを受けるかもしれない。そんなありふれた事はとても仰られそうにない