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放浪記

放浪記
林芙美子 1928〜

放浪記以前 
私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。

更けゆく秋の夜 旅の空の
侘しき思いに 一人なやむ
恋いしや古里 なつかし父母

私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。
四国の伊予の人間で、太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処であった。私が生れたのはその下関の町である。──故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。

「宿命的に旅人である」私は、下関、若松、長崎、直方で両親と生活するが、やがて尾道高女を卒業して単身上京する。生活のため、近松秋江家の女中、セルロイド玩具工場の女工、カフェの女給・・・・と、めまぐるしい職業遍歴と併行して岡本じゅんなどのアナーキーな詩人と交わり、また新劇俳優の田辺若男、詩人野村吉哉と傷つきながら愛の破局を繰り返す。上京後の貧困、食欲と性欲に苦悩する流転生活をクヌート・ハムスンの『飢え』の影響下に、大正十二年頃からノートに書きためられていた「歌日記」が原型。

・・・・・
酒でも呑まなければあんまり世間は馬鹿らしくて、まともな顔をしては通れない。あの人が外に女が出来たと云って、それがいったい何でしょう。真実は悲しいのだけれど、酒は広い世間を知らんと云う。
・・・・・

関東大震災前後の世界的不況時代を背景に、因島の恋人との結婚を反対された傷心の芙美子が、株屋の事務員、女性新聞記者、横浜、新宿でのカフェ勤め、平林たい子との同居生活等々を通じて、飢えや屈辱にさらされながら、体ごとぶつかることで反発し、しかも人間への本質的明るい信頼感を脈うたせる自然発生的な心の遍歴を記したこの日記は、三上於菟吉の激賞を受け、三上が考案した「放浪記」という副題を付し、「秋が来たんだ」と題して昭和三年十月、「女人芸術」第四号から連載された。

花のいのちは
みじかくて
苦しきことのみ
多かりき

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