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【感想・エッセイ】 正欲 私は特殊な性的指向を持つ恋人の傍で生きようとして、諦めた人間だ。

この映画を観る人が、原作小説を読む人が増えたら、私はこの世界で息がしやすくなるなると思う。

 私にはすごく悩んで苦しんだ人間関係があった。私は、この物語の真ん中を貫くテーマである特殊な性的指向を持つ恋人の傍で生きようとして諦めた人間だ。

 私はシスジェンダー、ヘテロセクシャルの女性で、5年前の当時は、自分の想像できない性的指向や自分とは違ったセクシャルを持つ人たちのことを想像し得ないとどこか切り捨てて生きていたのだと思う。大学時代のバイト先で、2つ歳上の素敵な男性を見つけて恋に落ちた。彼の所作や言葉、心をすり減らさずに人を思いやれる性格が好きだった。一緒にバイト先から帰ったり、私が作った料理をおすそ分けしたりして交友関係を深めて、私から告白をした。彼は何かに苦むかのように1ヶ月間返事を考え抜いて、私と恋人になる選択をしてくれた。お付き合いを始めてしばらく経った時に、彼が私に手を出してこないことが不安になって、彼になぜ?と尋ねてはじめて、彼の性的指向が女性ではないことを知った。ショックを受けたけれど、それを知ったときには私たちはお互いにかけがえのない存在になっていて、家族のようにお互いを思いやることにセックスは不可欠なものではなかった。高校時代の部活の合宿で無理矢理食事を大量に取らされたことをきっかけに他人と食事を取ることができなくなり、それ以降苦しんで生きていた彼は、半年以上かけて私と一緒に食事を取ることができるようになったことをすごく喜んで、食事を重ねる度に私たちの絆は深まっていった。私は性行為の経験がなかったから、好奇心さえを振り払えば、セックスがしたくてたまらなくなることはなかったけれど、彼とのスキンシップにはずっと悩みを抱えていた。抱きしめてほしくて彼の胸にしばらく耳を当てていると「もういい?」と聞かれて慌てて離れるとき、少し傷ついて、自分の性欲の汚らしさに嫌悪した。何度か裸になってベッドで抱き合ってセックスをしようとしたこともあった。でも、彼の体は一度も熱ることはなく、私がネットで調べた男の人がされて喜ぶスキンシップを実行しようとすることを彼はすごく嫌がった。諦めて眠るとき謝るのはいつも私で、彼が眠っているのを確認すると私はベッドから抜け出して、なぜだか溢れてくる涙が尽きるまで夜の街を自転車で徘徊した。恥ずかしくて、惨めだった。

 私は信頼している友人に、付き合ってから1度も性行為がないことについて相談することがあった。ある人は、「かわいそう、私なら耐えられない」と同情して、ある人は「彼病気なんじゃない?」と訝しい目を向けた。「精力剤を飲ませてみたらいいんじゃない?」「新しい下着を買ってみたら?」「ケーキを買ってきておっぱいにクリームを塗って誘惑してみれば?」とか色々な悪意のないアドバイスに心が痛くなって、相談をすることをやめた。そうじゃなくて性的指向が、と話すことは彼のセクシャリティのアウティングになる気がして踏み込めなかった。相談した友人は皆、私の恋人の性的指向が女性でないかもしれないとは思い当たらなかったのだ。

 付き合って2年が経った頃に私は悩むことを諦めて、彼とセックスの真似をすることもやめた。すると関係性は毎日良好で、私たちなりの形のパートナーシップを形成すればいいじゃないかと前向きになれた。子どもはいなくてもいいし、養子を迎え入れることもできるかもしれない、このまま彼と家族になって、お互いの両親をお互いに大切にしながら歳を取っていきたいねと話をすることも増えた。

 気がつけば、4年間もお付き合いは続いていた。大学生だった私たちは社会人になった。出会った当時彼を苦しめていた会食障害の症状は徐々に軽くなり、彼の仕事仲間を同棲していた部屋に招いて鍋を一緒に食べられたとき、私は涙が出るくらい嬉しくて、私の役目が1つ終わったような気持ちになった。ある日本屋に立ち寄ったとき、マガジンとサンデーの表紙のグラビアの女の子が2人とも私と同じ歳だということにギョッとして、私は今を逃すと年老いた体だけを抱えて後悔するのではないかと感じてしまった。私は彼に2年ぶりに「セックスがしてみたい」と打ち明けてみた。彼は、「女性用風俗を使ってみたらどう?」と答えた。その日から、何度か女性用風俗に予約とキャンセルを繰り返して、私はセックスがしたかったわけではなく、好きな人から求められたかったのだと気がついて、彼とお別れをしようと決めた。

 私が欲を正しく片付けられなかったせいで、そんなしょーもない理由で、4年間愛してきた彼を手放すのかと、何度も二の足を踏んだ。新しい歯磨き粉を出したけど、なかなか古い方がなくならなくて「手強いな」って言いながら1ヶ月くらい古い方を使い続けるところ、泡が残らないようにシャワーで浴室をきれい流してからお風呂を出るところ、500円玉貯金をコツコツ続けているところ、仕事の愚痴を家で言わないところ、デニムや革製品をニコニコしながら手入れして経年変化を楽しむところ、結婚してもどちらか1人の人生を犠牲にするんじゃなくて、2人の人生を合わせて生きていくんだから減らないよって言ってくれたこと、本当に大好きな人だった。
 私が彼に別れを切り出したとき、彼は前からこの日が来る事がわかっていたみたいに自然にそれに応じてくれた。それが逆に切なかった。最後まで彼は、女性でも男性でもなく、何に性的指向があるのかを私に教えてくれなかった。今でも、無理に話さなくてもいいことだったと思う。

 正欲の感想で、多様性に対する考え方が変わったとか、性的マイノリティについて理解が深まったという感想をよく見かける、しかし自分の身近な人やパートナーが、自分と同じ種類の欲を持っていなかったら?ポリアモリーだと言われたら?アセクシャルだけど、あなたのことが家族のように大切だと言われたら?、あなたは気持ちに応えることができますか?といじわるなことを思ってしまう。当然に受け入れる側だと思っていた自分が、大切な人から受け入れられなかったときの絶望はどんなセクシャリティの人にも起こりうる。理解することはできても、共感するということは難しすぎる。社会的にはマジョリティでも、2人のパートナーシップの中では、多数も少数もなくなるのだ。自分の欲が汚らしいことなのか、パートナーのできないことを求める自分の意地が悪いのか、自分が性的マイノリティになったような心のざわめきを持ち続けた日々は、私にとって貴重なものだったと今は思える。

 お別れした恋人にも、夏月さんのような、私が共有できなかったものを分かち合える人がいてくれたら嬉しい。1人でも、幸せでいてくれていたらいいな。誰かと笑いながらごはんを食べていたらいいな。

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