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日記:息吹が吹き込まれた言葉「義を見てせざるは勇無きなり」:2022年参院選


この内容は、本当は参議院選とは別に書こうと思っていたのですが…まあ無関係ではないので番外編としてnote。参議院選について書こうと思った経緯はこちらをご覧ください。

破壊された言葉


ではでは、さて、まずは。

言葉は使われ方によって薄ペラくなることがありますよね。私は広告や政治でよく感じます。枚挙にいとまはないけど…広告なら、例えば「お客さまに寄り添う」なんてフレーズは、普通に使ってしまうと、もう何も言っていないも同じであることが多い。政治なら例えばコロナと東京オリンピック開催で「安心安全」の言葉は完全に空虚になりました。行動が伴わないまま言葉が酷使されると、意味はどんどん損なわれていく。

一方で、耕される言葉もありまして、私にとって、それが今回のタイトルです。れいわ新選組から比例当選した水道橋博士が街宣などで使ったもので、論語に出てくる言葉です。

義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり):人として当然行うべき正義と知りながら実行しないのは、勇気がないからである。

コトバンク

「正義と知りながら実行しないのは勇気がないからだ」。これだけ読むと、正直お題目や綺麗事に近いですよね。「そりゃあ、そうでしょ、でもさ」となる。その言葉が、水道橋博士を通して、実感を伴う言葉に変わりました。

水道橋博士の経緯


水道橋博士はツイッターで、大阪の松井市長(日本維新の会)への問題提起となる動画をツイートしたことから、松井市長に名誉毀損で訴えられました。一般的には「スラップ訴訟」と言われるものです。さらに松井市長は、博士のツイートをリツイートした一般の人々約4000 人も訴えるとツイートしました。

スラップ訴訟の定義は細かくは難しいところもあるのですが、ここでは簡単にコトバンクから引用します。

個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるために、企業・政府・自治体が起こす訴訟恫喝訴訟威圧的訴訟。いやがらせ訴訟。スラップ。

水道橋博士はスラップ訴訟というものが、社会の言論の自由を奪う行為であるということに危機感を持ちます。そしてまた、松井市長が自分1人でなく、一般の人々まで訴訟すると発言したことに対し義憤を覚えたと語っています。

その後れいわ新選組山本太郎代表の街宣に聴衆の1人として参加し、「反スラップ訴訟の法案を作ってほしい」と要望したところ、「自分が議員となり、法案を作ってはどうか」と提案されたことをきっかけとして出馬となりました。大きなリスクを伴う出馬を決心した心境が「義を見てせざるは勇無きなり」でした。

言葉が意味を帯びるとき

水道橋博士は芸人のため「タレント議員候補」ではありましたが、私は出馬の経緯や街宣や動画で語るその姿から、いわゆる「タレントのネームバリューを当て込んで政党が立てた客寄せパンダ」では全くないと感じています。言葉に、本人が考え感じたことから生まれる実(じつ)があったからです。もちろん今後は、まだわかりません。けれども少なくともこの初心は信じるにたるものだと思っています。

私の中には、知識として知っているだけで出番のない言葉がたくさん眠っています。今回水道橋博士を通して言葉と現実が出会い、「義を見てせざるは勇無きなり」に息吹が吹き込まれたことは、この参院選を通じて私がもらった大きなプレゼントの一つです。

これから私がこの言葉を使うたびに、もしくは使うにふさわしい場面に出会うたびに、今回の参院選の夏の、熱中症が心配される暑さの中の街角や駅前やピンクの街宣車や、どんどん暮れていくビルの谷間で揺れる提灯と水道橋博士や博士を応援する人たち、その他のれいわの候補者さんたちや街宣を見ていた人たちとその言葉や、参加したアーティストさんたち、他の政党の人たち、参院選を支えたボランティアの人たちやジャーナリストさん、味わい深い政見放送や博士の出馬をそれぞれの作法で報じたメディア、SNSに流れる応援の言葉やさらには冷笑や中傷も含め、そういったもの全てが耕した土壌の上に立って「義を見てせざるは勇無きなり」と口に出す、もしくは心で呟くのだと思います。そしてさらに豊かに耕せるといいなあ。

(雑記)今日も涼しいなあ。夜のベランダでキーボードを叩いていると肌寒いくらい…いやいや、そこまではいかない、やっぱり心地よい夏の夜です、うなぎを(高かったので)一つ買って家族で分けて、ちょっと丑の日気分を味わいました。

(日記:2022年7月24日)

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