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記憶に残っている人~故宮の思い出~

1995年3月。はじめて中国に行きました。
母校の大学が主催する北京→西安→杭州→上海周遊10日間の旅に参加したのです。

90年代前半の中国。当時の私は中国に対して経済的にも物質的にも遅れている国と思っていたし、実際に行った感想も「えんがちょ」でした。

観光で外国人が買い物すると言えば、友諠商店に連れていかれる。
薄暗い店内、微妙に高価で買うものがない、店員にフレンドシップのかけらもない。
「どこが"友諠"なんだ、誤訳だね。」と悪態をつかずにはいられない接客対応。
※友諠は友情、友愛、フレンドシップの意味

観光すると言えば、やたら広い公園に連れていかれる。
だたっ広い公園ばかりで歩き疲れる。

食べ物まずい、そこらじゅう汚い、ぼったくり多い、人は冷たい、子供が花を売ろうと引っ付いてくる、トイレの扉があるかないかは毎回ばくち、サービスの概念がない。どこに行っても気を遣うことが多くとにかく疲れる。

まだ一部では兌換券が残っていた頃の時代です。考えれば、そのころはまだ天安門事件からも数年しか経っていないんですよね。その当時の中国に行けたことは、今となってはとても貴重な経験だったと思います。

前置きが長くなりましたが、そんな旅の中で印象に残った人のことをふと思い出し言葉にしたくなったのです。

あれは北京で故宮を観光していた時のことです。
その日の故宮は観光客が多く、とてもゴミゴミしていました。紫禁城を黄昏ている場合ではない状況でした。

私も人の流れに合わせながら歩いていたのですが、ある瞬間に中国人の男性と腕がぶつかってしまったのです。

当時の私が知っている中国語は「にーはお(こんにちは)」と「しえしえ(ありがとう)」くらい。
"你好"、“谢谢"ではなくひらがな中国語。完璧なる日本人中国語です。

海外に行って気が大きくなっていたこともあり、わからなくてもとにかく
何か言葉を発したい私は、ぶつかってしまった人に向かって(多分でっかい声で)「しえしえ!」と言い放ったのです。

怪訝な顔で私を振り返る中国人。
旅の捨てはかき捨てでまったく気にしない私。

一瞬時の流れが止まったとき、私の左側からそよ風のような男性の日本語が流れてきました。

「ごめんなさいは"不起(duìbuqǐ)"ですよ」

白いTシャツにリュックを背負いバックパッカー風の颯爽としたいで立ち。
その日本人男性は、ガイドらしき中国人と一緒に故宮観光をしているようでした。

外国で思いがけず日本語に出くわし、とっさに私は面を食らいました。そのうえ、当時の私には"对不起(duìbuqǐ)"ですら難易度の高い中国語。

数秒のやりとりでその単語を覚えられるわけもなく、さわやかな笑顔を引き連れ去っていくその日本人男性の後ろ姿に「ありがとうございます」とお礼を言うのが精一杯でした。

「中国語ができる!しかも海外を一人で旅行!すごすぎる!」
大学生のころ、「海外一人旅行=偉業」と思っていた私にとって、その日本人男性は強烈に記憶に残りました。

あれからもう30年近く経ちますが、いまでも時々、故宮の情景とともにその時のことを思い出します。もし、何かの偶然でその人に会えたなら。お礼が伝えられたらいいな。

はじめての中国旅行の後、私はすっかり中国にはまり中国語の勉強をはじめました。


……………………なんてことにはまったくなりませんでした。

それどころか、その10日間の中国滞在で「もうこんな国二度と来るか!!!」という思いを強く抱き帰国の途につきました。

でも、その2年後。私は再び中国に降り立つことになります。
人生とはわからないものですね。

降って湧いたように私は突然中国留学を決心し、一人で広州に旅立つことになるのですが、それはまた別のお話にて。

さいごまでお読みいただきありがとうございます。
心よりの感謝を~☆

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