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「当たり前」に流され続けると、いつか苦しくなっちゃうなぁ

自然体な生き方を考えるメディア『ソラミド』の編集部がお送りするnote。編集部員が考えたこと、感じていることを自由に書き記します。今回は編集部員の笹沼が担当。肩の力を抜いて、ゆるりとお読みください。

ソラミドで取材をさせてもらったり、ほかの編集部メンバーが書いた記事を読んだりしていると、首をぶんぶんと縦に振りながら「わかる〜」と頷きたくなることがよくあります。インタビュイーのみなさんのエピソードには、共感できるポイントやお手本にしたくなる視点がたくさん散りばめられている。

なかでも、わたしが特に「わかる〜」となってきたのが、
「子どものころは、勉強を頑張って良い学校への進学を目指すのが当たり前だと思っていた」
「マジョリティから外れることが怖かった」
というようなお話。

インタビュイーのみなさんに過去を振り返ってもらうと、↑のような言葉が出ることが結構あるんですよね。

わたし自身、子どものころはまあまあ勉強を頑張っていました。高校は公立の進学校に入学。その後は部活を頑張りすぎて勉強をサボった時期もありましたが、周囲は4年制の大学に進学するのが当たり前の環境。特に何も考えず流されるように大学受験をして、文系の学部で頭空っぽの日々を過ごしました。

もちろん、勉強が大切なのは事実だと思います。知識や頭の使い方だったり、子どものころから学校で習ってきたことは、間違いなく大人になってからも役立っている。

でもいま振り返ると、「それが当たり前だから」「周りがみんなやっているから」という感覚に流されて、受動的になることが大半だったんじゃないかなぁ。

だから、「本当に自分がやりたいこと」「得意なこと」と向き合って、将来どうやって生きていくのか考える機会なんて、10代のころはほとんどありませんでした。

漠然とした将来の夢、みたいなものを描いたことはあっても、「どうすればその道で生きていけるのか」というところまで想像したことはなかった。とりあえずそれなりの大学を卒業しておけばつぶしが効くだろう、なんて価値観に流されて、本気で自分の道を考えたことがなかったんです。

その結果、就活を目前にして「わたし、何をして生きていけばいいんだろう?」と、わからなくなる。いままで通り流されておけば「頑張って大きな企業に就職しておこう」となるかもしれない。でも、その頑張りを身体が拒絶する。

それまでの学生生活では、そんなに頑張らなくてもなんとかなることが多かった。進学先も「このくらいのレベルならこの学校」のような感じである程度選択肢は絞られていたし。けど、就職先の選択肢は膨大。大きな企業に入ろうとすると、競争率もものすごく高い。生き残るためには、黒いスーツに身をつつんで、黒髪をひとつに束ねて、良い子を演じなければならない。学校は嫌になったら行かなくてもいい、サボっても困るのは自分、という逃げ道があったけれど、就職したらそうはいかない。逃げたら多くの人に迷惑がかかる。わたし、何をして生きていけばいいんだろう? これまで通り「なんとなく」では、就職なんてできないじゃん。

それまで何も考えずに流されてきたことの、ツケがまわってきたかのようでした。

幸いにもわたしの場合は、就活を目前に控えたタイミングで、知人の紹介で制作アシスタントとしてインターンさせてもらえることになり、その後なんやかんやでライターになる…という感じでのらりくらりと生きてこられました。

だけど、子どものころからいろんな選択肢を知って、自分の好き・得意と向き合って、将来どうやって生きていくのかまで想像することができていたら、自分はどんな道に進んでいたんだろう、と考えることがあります。

これからの学校教育や、進学・就職に関する価値観がどう変わっていくのかはわからないけど、少なくともわたしのころよりは多様化していきそう。周囲に流されて受け身になるだけじゃなく、自分で考えて、自分の足で踏ん張る力を、子どものころからつけられたら、将来生きづらさに悩む人も減るのかもな…なんて思うのでした。

(執筆:笹沼杏佳


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