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気持ちよく眠れれば、それでいいのだ。

自然体な生き方を考えるメディア『ソラミド』の編集部がお送りするnote。編集部員が考えたこと、感じていることを自由に書き記します。今回は編集部員の佐藤が担当。肩の力を抜いて、ゆるりとお読みください。

社会人3年目のときに、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』を初めて読んだ。「このままこの会社で勤め続けていていいのだろうか」と思い悩んでいて、いくつもの自己啓発本に手を出していた。異業種間交流会なるものに参加をして、何やら会社を経営しているという40、50代の男の人から勧められて、読むことにした気がする。

7つのうちの1つに「終わりを思い描くことから始める」という習慣が書かれている。自分がもし死んでしまったとして、どんなお葬式になるといいのか。参列してくれる人たちは何人いて、どんな人たちなのか、何を話していて、どんな気持ちで、どんな話をしているのか。自分の生が終わる瞬間を考え、そこから逆算して、今何をすべきかを考えようと。そんな話が書かれていたと記憶している。

当時の自分にはそんな考えは全くなくて、衝撃を受けた気がする。実際は何も変わっていないのに、読んだだけで自分が変わったような錯覚に陥っていた。「この本を読んだ俺は、他のサラリーマンとは違うんだ」なんて馬鹿げた考えを抱いていた。自己啓発本にハマる典型的な人間だった。

もちろん「終わりを思い描くことから始める」ことは大切なのだと思う。いつ死ぬかわからないのだから、どんな最期を迎えたいのかは今すぐにでも考えておくべきだ。理想の最期に少しでも近づけるように日々を生き、いざその瞬間が訪れたときに、できるだけ後悔をしないようにする。死を意識することで、生がより充実する、ということなのだろう。

こんな最もらしいことを書いているけれど、正直に言えば、自分の最期の瞬間がそれほど明確にイメージできないでいる。できるだけ苦しまずにとか、残された人たちに迷惑をかけないようにとか、そんなふうにしか考えていない。習慣であるのだから、考え続けるべき。それなのに「また今度でいっか」なんて後回しにしてしまう。

これもたしかある経営者から教わったと思う。「一日一生」という言葉がある。一日を一生だと捉え、夜一度自分は死ぬ。次の日の朝には生まれ変わり、新しい自分になる。自分の解釈だとこんな感じの考え方だ。

この考えを元に「終わりを思い描くことを始める」とするならば、どう寝たいかということになると思う。それならなんとなくイメージがつく。仕事でもプライベートでも、何かをしたなという実感がある。身体や頭を使って、ほどよい疲労感がある。心配ごとや悩みごとがあっても、それにとらわれすぎず、スッキリとしている。今日が終わる寂しさに悶えることもなく、明日が来る期待感で胸がいっぱいになることもなく、ただただ穏やかな気持ちで満たされている。そんなふうに眠れたら、とても気持ちいいだろうなと思う。

「天国や地獄があるかはわからないけど、もしあるとしたら、死ぬときの気持ちでどちらに行くかが決まると思う。天国にいるときみたいな気持ちで死んだら天国に行くし、地獄にいるときみたいな気持ちで死んだら地獄に行く」

やっぱりこれもある人から教えてもらった言葉だ。天国にも地獄にも行ったことがないぼくは、天国にいるときみたいな気持ちも地獄にいるときみたいな気持ちもはっきりとはよくわからない。でもなんとなく天国は気持ちがいい、地獄は苦しいというのはわかる。

まずは一日が終わる瞬間、死ぬ瞬間に、気持ちよく眠れれば、それでいいのだと思う。そんな毎日を送っていけたらきっと、天国にいるような気持ちで最期を迎えられる気がする。

(執筆:佐藤純平

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