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小説 呪いの王国と渾沌と暗闇の主【第四話 ラッハルツ塔の番人(1)】

前回の話

 あるいは誰かが寛容な理解を示せば、それはたんなる気まぐれな発作であって、本当は違うともいえる。
 大公は、本当に、誠意を持ってつくしている家来には、それ相応の褒美を惜しげもなく与えたし、気が向いた時は城の召使いに労いの声をかけることもある。外に出れば市民からの花束などを丁寧な思いやり深い言葉で受け取ったりもした。
 お城の家来は、はじめは無表情で、冷たい印象を受けるが、逆に慣れると初対面で感じた悪い印象が丁寧な言動で、ともすればよりよい方向で働いた。そんな彼にも、確かな心の拠り所というものがあった。一つだけだが、あるにはあった。
 それはなんと地下の奴隷部屋にあった。
 大公は、この事に関しては、用心深くなりすぎて弟にさえ秘密にしていたことを後悔したものの、誰にも邪魔されない憩いの場を、城内に確保していた。
 
 本殿(国王宮)と回廊の間にある黄金の間の観音開きの片側を押して入ると、普段は固定されて開かないが花柄の縁をずらせば開く仕掛けになっていた。
 この仕掛けを発見した時は、まだ宮殿にきたばかりの頃のころで、少年はわくわくした。狭い螺旋の石階段を降りていき、洞窟のような廊下を延々下っていく。持ってきた一本の蝋燭の灯りを頼りに秘密の部屋をみつけた。
 その日から毎日のように、こっそり通った。奴隷部屋には話し相手がいた。だが相手はけして奴隷などではない。使わなくなった部屋を利用していただけで得体の知れない人物でもなかった。
 塔の番人だ。塔は大小あわせ全部で十二あり、背の高い十は厳重な管理がされていた。内壁に、青白く発光する石が満遍なくはめ込まれている。発光する石は、夜に灯りを当てると、蛍のように柔らかく光る不思議な石で、純度の高いものは青白く発光する。
 あまり取れない貴重な石であったため誰かが厳重に管理する必要があった。番人は、毎日、日がすっかり暮れると、かく塔の階段の内壁に、いくつもの蝋燭を灯す。塔の内壁はすると星空のようになる。灯りが小窓から漏れれば時の印となり、市民の時計代わりになっていた。この仕事を代々ひき継いできたものは、誰にも名を明かさない、誰にも顔を知られてはならないという奇妙な掟を頑なに守り続けてきた。不思議なことに時の流れとともに人々の意識からすっかり忘れ去られている存在だった。しかし塔の番人は、都があるかぎり永久に存在しつづけるだろう。

 大公殿下でさえ塔守の存在を知ったのは単なる偶然からだった。宮殿に戻されてからしばらくは、まだ楽しんでおつきの家来をまいては喜んで、一人で城内を探索して歩きまわるような、わんぱくな時期でもあった。少年は、地下に続く階段をみつけて行き止まり妖げな扉をあけたら風変わりな男がそこに立っていた。
 足に先の尖った木靴。長い深緑色のロープの下から出ている。腰には、腰帯の紐にじゃらじゃらと沢山の鍵束をゆらしている。番人は丁度勤めに向かう間際であった。少年は、あっと言って驚いたが、番人は平然としていた。それよりもまっさきに気がついた。

(どうやらこの子は、自分の居場所をもとめて彷徨って、ようやくここまで辿り着いたに違いないぞ?)

 だから少年のことを、旅の人、小さなお客さんと、砕けたときには、あんたと呼ぶことにした。少年のほうは、男のことを、君とか塔守、とかよんだりした。つまりお互い素性を知られたくないわけだから都合がよかったわけだ。

 番人は、お茶を飲みながら、少年の話に耳をかす。自分の意見は滅多に言わない。愛嬌のある顔だった。小さくて丸い目が優しそう。高い鼻はまるで梟のよう。彼は絶対物知り顔をしないんだ。お説教もしない。本当に知恵がある者は、偉ぶったりしないものなんだ。ぶ厚い唇で、優しい言葉をかけてくれる。太ってはいないけれど動作がのんびりで、年寄りなのかと思って注意深く観察しても、肌が露出している部分、顔や腕、首、耳、どこにも皺らしい皺がみつからない。地下に住んでいるからなのかシミひとつない滑らかな肌。

 塔守の年齢が想像できなかった。灯りのあたりかたで違うのだ。横顔がたまに若い青年に見える時がある。正面からは年寄りに見えなくもない。彼はあえて尋ねることもしなかった。「謎は謎のままが一番面白い」と、いつもそう思っていたから。
 塔守は、打ち明け話の最後にはいつも「あんたなら大丈夫!大丈夫!」と、力強く念を押してくれる。その一言でほっとした。いつのまにか弟にも打ち明けられないような悩みを相談するように、本当の家族以上に家族のような存在になり、嬉しくなって、子供なりに気を利かせて召使いたちの目を盗み、台所や酒蔵から果物や干し肉や飲み物を持って行ったりしたら、普段は物静かな男が、朗らかに喜ぶことに気がついて、それからというものの夜更けの晩餐が一番の楽しみになった。番人はいつも、彼にとって、塔の番人は必ずいてくれる古い大木のような存在なのだ。(きっと番人はこの都を心から愛しているのだ。だからこんなに孤独な仕事を続けていくことができるのだ。)と、のちの大公殿下はそう思う。たまにこっそり仕事について行き、塔の上から二人で夜の都を見降ろした。優しい男の眼差しにつられて、自分もこの都が好きになっていった。いつか、この国の民を私が守ってやるんだと真剣に考えられた。常夜灯は町並みを美しく照らしだす。まだ、偽善や貪欲といった穢れた存在が、影の中に潜んでいることなど露とも知らず。

 時は過ぎ、少年は青年となり、婚約者を迎えて大公殿下とよばれるように、そして徐々に政治にも具体的に関与しはじめてから、純粋な心境は変わっていった。猜疑にかられるようになった発端がある。はじめはお叔父上と慕っていた西の辺境伯の手いたい裏切りを経験してからだ。そして家族を次々失って、ついに弟が亡くなってからというものの、宮殿内の警備がいっそう厳しくなった。おかげで行動の制限も増えて奴隷部屋には、おいそれと行けなくなってしまった。そのうちに、行かなくてもよくなっていた。不幸せなことに希望が勝るほど楽天な性格ではなかった。現実を知れば知るほど世の中は醜く穢いと悲観して人並みの感情や感覚が戻ってくると人並み以上に激しい欲となり自己嫌悪してまた後悔する。そして涼しげな目元には陰りや諦めが瞬きとともに見え隠れして、育ちのよい唇には思慮深さが宿った。


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