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踊る阿呆になろう

ハッピーハロウィーン!

皆さんはハロウィーンでどんな仮装をしますか?全く予定はないですが、私はできるならくいだおれ太郎の仮装がしたいです。そして太郎と一緒に写真を撮れたら最高です。

さてもう何年も前のことです。私は行きつけのバーが開催する「ハローウィーンパーティー」に参加することになりました。とはいえ普通の格好で良いと言う敷居の低いものでした。当時の私はそう言うパーティーとかに参加するタイプではありませんでした。どちらかと言うとずっと冒険はしない真面目な感じが強かった時期でもあります。

そもそもバーに行き始めたのは、なんだか静かに自分と向き合う時間と空間に身を置きたいと思ったのと、何かやってみたいと思ってもそれをやめてしまう自分がいやだなあと思っていたからです。人間いろんな時期があります。自分らしく生きている時もあれば、違う自分を作り上げて生きている時期だってあります。違う自分であることがいやになってきていたのだろうなと今なら思います。一度連れて行ってもらったバーに一人で勇気を出して行ってみて好きな時間を過ごすと言うのはとても面白いものでした。

ハローウィーンパーティーはいつものお店ではなくて、イベントスペースで行われました。様々な曲がかかって常連さんたちでいっぱいです。私は友達と参加しました。ほぼ初めてこうこういった所に身を置いているので、ちょっと挙動不審気味ではありますがおしゃべりをしたり、音楽を聴いたりと不慣れなりにも楽しく過ごしていました。

DJが言いました。「さあみんなで集まって踊ろうよ!」と。それは前の人の肩に手を置いて長い列になってぐるぐる回ると言う初心者には優しい踊り?でした。DJが声をかけてくれたけれど一瞬戸惑いました。参加したいような、参加したくないような、どうしたらいいのかわからなかったのです。友達に気を使ったと言うのもあったかもしれません。とにかく当時は自分らしくなくて、何が自分の本当の気持ちなのかさっぱりわからないし真面目に生きることはいいことだけれど、本当にしたいことなのかなとグルングルンしていたんですね。

参加者は皆さんとてもいい笑顔で、ニコニコしながらぐるぐるとぐろを巻いていきます。それをみていて私と友人は「なんか一瞬さ、迷ってしまって参加そびれてしまったんだよね」と言い合いました。「みていて思うんだけどさ、これに参加してはいけないって思う自分たちってさ、すごい締め付けを課しているよね。これに参加したら捕まるとかさそう言うわけじゃないんだよ。おかしいね。どうせならさ踊る阿呆に見る阿呆って言うしさ、踊る阿呆になりたいよね」

皆さんの楽しそうな笑顔を見て心底そう思いました。人生でチャレンジしたいと思うことで、チャレンジしたらうっすらとダメなんじゃないかとか抵抗感があることって大なり小なりあると思うんです。だけど、それをして失うものって実はほとんどないんですよね。人の目を気にしたり、変なプライドや真面目さがチャレンジを阻むけれど、真に無意味なことは何もチャレンジしないことです。

あの時のあの光景、自分たちの気持ちは今も思い出せます。でも対照的な踊っている常連さんたちと私たちは、コントラストがはっきりしていたからこそ私はもう「踊る阿呆」になるんだと強く思えたし今に生きているわけです。実際私は当時会社員でしたが、今はこうしてフリーで仕事をしているわけです。日々の中でどっちが「踊る阿呆」かなと少しずつ選択してきたらだと思います。

生物としての私たちは変化をとても嫌がります。安心で安全ないつもの生活を送れば命が守られるからです。だけど日々は選択の連続です。いつもと同じことを選んでいたら明日も明後日も5年後も10年後も同じ人生です。今心地よい人生ならそれはいいことです。だけどなんだかちょっと違う。とかなんだかモヤモヤするならば、いつもと違ったことそれはとても些細なことでもいいのでチャレンジしてみてほしいと思います。とてもドキドキすることもあるでしょう。だけどチャレンジできた自分のことはちょっと誇らしく感じるはずです。言い訳は無限にできます。年齢とか性別、立場・・・。確かに大それた変化は難しいこともあります。培ってきたものが大きければ大きいほど手放したくないからです。だけどほんの少しの変化は起こせます。まずはそこからチャレンジしていけばいいのです。今日作ったたった1ミリの段差が未来には大きなスロープになるのですから。

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