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相手に真摯に応えるということ

昨日の続きです

友人からの依頼は私にとってとても成長を感じるものでした。
だけどすぐに飛び込まないのは、日和っているからでもないし
思考のブロックでもない。

昨年の会社設立の時は「協力してほしい」と言われたけれど
その範囲は曖昧であり、曖昧だからこそお互いにそれを逃げ道にしていたとも言える。

本気で相手の力を引き出すとするならば、曖昧ではいけないと思う。
逃げ道がお互いにあった。
依頼主からすれば自分の思う通りリスクなしで動いてほしいだし、
受けるこちらは物見遊山で責任を取らない。

この体験を通して自分ごととして携わるには「受け身」ではいけないということ。
リーダーのビジョンには共感する。
でも自分ごとのビジョンとして主体的に
自己実現に貪欲でもある必要がある。
そうでないと大きなビジョンを成し遂げられないと思う。

リーダーを主としたトップダウンではなく、
リーダーに共感するそれぞれが自立し
自分ごとの自己実現として取り組む。
だからこそ無限の可能性が拓かれるんだと思う。

ゆかちゃんのビジョンを私が自分ごととして捉えているのは
今の時点では思いの部分。
実作業としてどう貢献できるのか、何をしたいのか
責任をどう考え持とうとするのか自覚していないと
成り立たない。

ゆかちゃんの本気に応えるなら、
いつでも私は自分ごととして携わり続けるということだ。
多分遂行する中で意見の食い違いもあれば
方向性の違いも出てくる。
プロセスの違いもあれば、眼差しの遠近も違うかもしれない。
でも相手を信じ、メンバーを信じ、自分を信じて
いろんな意見から合意形成をしていく。

昨年へこたれながらファシリテーションをし続けたり
今年に入ってマネジメントをやってみたり
いろんなことがこの道に通じていると思った。

私のコミュニケーションのパターンは
自分の意見、相手の意見がたとえ違ったとしても
いったん自分の中に受け入れ、互いの合意を探ること。

この部分が異なっていると成り立たない。

今までいろいろな人と仕事をしてきた。
本人は仲間と取り組みたいと思っていても
自分の意見を決して曲げないというパターンの人もいる。
無意識だからきっと気がついていないだろう。
かつてのトップダウンの組織であればそれも可能だと思う。

自分の意思を貫く人が行っていた組織、会社は
追従する人が必要だった。

私は誰かのビジョンを成し遂げるパーツではないと昨年強く感じた。
とても嫌だと感じた。

真摯に相手の想いに応えるということは
自分を殺してイエスを伝えることではない。
自分の意思、思いを伝えてより洗練された「何か」を
作っていこうとすることだと思う。

私たちは一人一人違うからこそ、
その違いから新たなものが現れてくるんだと思う。
そのためには「自分」でいることが何よりも大切だと思う。

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